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海蛍 75
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ライナスの名に薫はハッと息を飲む。
愛する者を失い失意の底にいるのは自分だけではないはずだ。
弟を失ったアランも、夫と父を失ったヘレンとクロエも母娘も、親友を失った
ジョージもみんなが今も悲しみの中にいるはずだ。日向を失った悲しみで、
自分は他者の苦しみや悲しみを理解し分かち合おうとさえしてはいなかったのではないのか。
もしも、日向が今も生きていたのなら果たしてこんな己のことしか考えられない
自分を愛し続けてくれただろうか。
自分の死を直視しながら、薫の未来だけを考え誰にも悟られることなくことを
進めてくれていた日向の強さを、改めて薫は思い知らされた。
今まで封印し続けた日向への思いと、もうひとり。
知ることのなかったライナスの封印を解く時が、今、来たのかも知れない。
「あの……ライナスさんってどんな方だったんですか」
薫は初めて自分からライナスの名を口にして、アランに問いかけた。
「ライナスは人と争うことを好まない奴だった。理不尽なことで殴られても、
それでその場が納まるのなら、喜んで右頬も左頬も相手に向けるような弟だった。
牧師になりたいと言っていたよ。
神学校へ行き名実ともに牧師となって、この町で神の御心を広めたいと、いつも言っていた……
ライナス自身も、この戦争はもうすぐ終わるだろうから、そうなれば神学校へ
行くと夢を描いていたんだ。
徴兵でどんどん若者が戦地へ送られ、私も既に合衆国海軍軍医として艦に乗っていた。
13歳年下のライナスにもいつ戦地への招待状が届いても不思議ではなくなっていた。
そんな中、ライナスはヘレンと結婚することを決意したんだ。
いや、決意したのはヘレンだったんだろうな。
私やライナスが死んだら、マイヤーズ家が途絶えるとの思いもあったと思う。
結婚式を挙げヘレンがクロエを身籠ったと知らせが私の元へ届いた同じ日、
ライナスに徴兵の命令書が来たんだ。
それもあの温厚なライナスに海兵隊入隊なんて冗談にもならなかったよ」
アメリカ海軍と海兵隊は互いに独立した別軍である。
どちらが楽などということは全くない。
海兵隊員は戦地へ先鋒として送られる精鋭軍であった。
先鋒として危険を伴う作戦を担うため、『命知らずの海兵隊』とも呼ばれていた。
心優しきライナスは、有無を言わさずそこへ送られた。
「過酷な訓練を重ね、戦地へ赴くうちにライナスは精神に異常をきたし始めていた。
ライナスからの手紙を読んで、私はそれを確信した。
軍医として私はライナスを前線から離脱させようと動き始めていた矢先、ライナスに
硫黄島への出撃命令が出た。ライナスは正常な判断が出来ない状態で硫黄島へ行った。
で、ここからは実はヘレンもジョージも知らないことなんだが……」
最後、底に僅かに残っていた冷えたコーヒーを、アランは一気に飲み干す。
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