アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
海蛍 86
-
土地は戦後復興の名のもと、最終的には笹本の想像を遥かに超える金額で売買された。
骨董の類も売買の意思を示した日から問い合わせが殺到し、数日の間にそれらは現金の
束へと姿を変えていた。
そこから薫は固辞する笹本へ弁護士として自分と関わり、これまで掛かったであろう金額に
かなりの上乗せをして報酬として手渡した。
「これは元々は私のものではありません。
何より親身になってこれだけのことをしていただいたんです。
日向艦長がおられたら、きっと同じことをされていたに違いないです」
幸せそうに日向の名を口にする薫の姿に、笹本は深く頭を下げると過分過ぎる報酬を
受け取った。薫は僅かな金額を自分の懐へ忍ばせる。
これから自分を生かす元となる日向の思いのこもった金だ。
そして残った大金は笹本を通じて、アメリカのアランの元へ送金された。
薫は送金に関わる事実と希望を書き記し、アランへ手紙として送る。
日向の平和を願う思いが海を超えて広がっていく。薫に一切の悔いはなかった。
「で、薫さん。これからのことですが……」
笹本が鞄から資料を取りだし、新たな話題を向ける。
「海軍遺族が受験できる医科大学及び医学部の一覧がここにあります。
次の1月受験を考えておられるのならば、そろそろ志望する大学を決める必要があります。
願書作成などは私が行いますが、既に決められている大学はあるのですか?」
縁側からじりじりと西日の射しこむ部屋で、笹本が薫に問いかけた。
「受験……ですよね。もう、決めていなければならないんですよね。
もしも希望が叶うのならば、私は京都にある医科大をと考えています」
「京都、ですか?」
想定し得なかった地名に笹本の声は僅かに上ずった。
そして、一呼吸すると改めて問いなおした。
「京都とは思ってもみませんでした。で、何か伝手でもおありなんですか?」
「いえ、私は自分の生まれた土地と入隊した軍港のある街、そして今いるこの東京しか知りません。
ただ以前、日向艦長と京都を訪ね歩きたいと話したことがありまして……
それだけなんです」
薫はそう言うと恥ずかしそうに微笑む。
「自分で自分の人生の選択をするなんて初めてで嬉しさ半分、緊張半分です。
アメリカでアランから学んだことを生かせば、合格できると信じています。
これから受験までは死ぬ気で勉強をします。日向の姓を穢すことのないように」
未だ日向の姓を口にする時、薫は恥ずかしそうに視線を下げる。
戦艦に乗りこみ太平洋上で地獄を見てきた兵士とは思えぬ初々しさに、笹本は何か
ホッとしたものを感じる。
「わかりました。では、受験に必要な手続きは私が致しますので」
笹本が書類を手に立ち上がり背を向けた。
「笹本さん……」
僅かに躊躇った後、薫は笹本を呼び留める。
「はい?」
「実は……私は、あの……今週末にここを出ることにしました」
背中越しでの薫の突然の申し出に、笹本はしばし言葉を失った。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
86 / 200