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海蛍 97
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【お詫び】
NO,97とNO,98を間違えて数分でしたがupしていました。
読んでいて「あれ?」と、思われた方、申し訳ありませんでした。
今は直っておりますので、お確かめの上、これからもお相手くださいませ。
++++++
出入り口から聞こえた声に、男らの暴力が止まる。
「ぁ……」
その男の顔を見て、皆はすぐに押し黙った。
「このご時世にまだ身分がどうこう言ってるんだ。
だったら、今俺がいるこの場所から、お前ら出ていくんだろ?
坂上、お前の親父は戦後、土地で成り上がったんだよな。
三代前のお前の先祖はどこで何をしてたんだ?
桑田、お前の家は姉を旧華族に嫁がせてから、偉くなったんだよな?
で、お前の家はことあるごとに『旧華族と縁戚』って言ってるけど、
それってお前の家が偉いのとどんな関係があるんだ?
富岡、お前の家は代々医者らしいが、お前だけはやっと医学部合格にこぎつけたそうだな。
お前の父親が何やら大金らしきものを手に、有力者と呼ばれる者達を渡り歩いたって噂あるけど、
まさか金でここへ入った訳じゃないよな?」
見知らぬ男の声が痛快なくらいに、卑怯な連中の恥部を曝け出していく。
「いいか、もう一度訊ねる。
お前たちの言い分が正しいのなら、お前たちは俺と同じ場所にいてもいいのか?」
「くそっ……」
男たちは薫から離れると、無言のまま教室を後にした。
「ぐぇっ」
廊下の水飲み場で男は、薫の口に無理やり水を入れては喉の奥に指を突っ込み、
汚水を吐かせる。七度吐いた後、薫は疲れ果て、ついにはその場に座り込んでしまった。
「もう、大丈夫だろう。
でも、お前も抵抗しろよ。
お前なら、本気出せばあいつらを簡単に叩きのめすくらいできたんだろう……」
薫は顔を上げて、言葉だけで自分を助けた男の顔をまじまじと見る。
どこかで見た顔だった。
「なんだ、覚えてくれてないのかよ。同期入学して、同じクラスじゃないか」
背の高くない、目立たぬ風貌の男だった。
ふと、眼鏡の蔓に触れ、眼鏡の位置を直す仕草に記憶が蘇る。
確か入学式の時、薫の前列に座っていた男だ。
「俺、田中一郎」
そう言うと、田中はポケットから綺麗に畳まれたハンカチを取り出し薫に手渡す。
「いや……いいんだ」
汚水に塗れた身体を、そのハンカチで拭くことに薫には抵抗があった。
目立ちはしないが、この男の身に着けている物は皆、舶来品だ。
あの粗暴な連中をやり込めた言葉を思い出せば、この田中と名乗る男もまた、
相当の身分のある者の子弟なのだろう。
例えハンカチ一枚であっても、今の薫には礼をすることは容易ではない。
しかし、田中は何の躊躇いもなく、薫の頭をゴシゴシと舶来品のハンカチで拭き始めた。
「や、だから……」
「ばーか。こんな布切れ一枚と人間、どっちが大切なのかって、医師を目指すお前が
わからないのか!?」
「ありがとう……」
その言葉に偽りがないと感じ取った薫は、改めて礼を言うと、そのハンカチで身体を拭き始めた。
「それ、返さなくてもいいから。
あとな……お前、あんな連中に絶対に負けるなよ。
断言するよ。十年後、あいつらは医師として、人間として誰一人、救うことができてはいないってな」
薫が声を掛けようとしたが、田中は『じゃまた明日』と、言うと陽の傾いた緋色の廊下を
癖のある歩き方で去っていった。
これが生涯、ただひとりのかけがえのない友となる田中一郎との出会いだった。
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