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32.
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フラフラと、人気のない夜道をひたすらに歩いて行く。
時々すれ違うひとはみんな、ぼくを見て一瞬ぎょっとした顔をするけれど、誰も声をかけてきたりはしない。
…………それはそうだ、"ふつうじゃない"ものに、進んで関わりたいひとなんて、きっといない。
そう考えて、ちらりと頭によぎったのは、先生の顔。
ズキリと、心臓が鈍く痛んだ。
ぎゅうっと、服の上から胸を押さえる。
冷え切った手は、凍るように冷たくて、その感触すらあいまいで。
長い時間、歩き続けた足も冷え切って、感覚がまひしてしまっている。
………こころも、おんなじようにまひしてくれたらいいのになぁ。
そしたら、くるしくない。
何も考えなくて、いい。
目的地も、行きたいところもないまま、歩き続ける。
…………できるだけ先生から遠いところへ。
ただそれだけを、かんがえて。
だって、すこしでも近くにいたら、きっとまた甘えてしまう。
すがってしまう。
ーーーーーー今度こそきっと、この、今にもあふれそうな"すき"を、伝えてしまう。
あれだけ幸せにしてもらったんだから、ぼくにできるせめてものお返しは、先生の幸せをこれ以上壊さないことで。
きっと、もう一生ぶんの、幸せをもらったから。
もう、大丈夫。
もとに、もどるだけ。
本当は、あるはずのないものだったんだから。
そのはず、なのに。
「……………………ふ、ぇ……」
痛み続ける心臓は、うったえる。
ーーー苦しい。
はなれたくない。
いっしょにいたい。
抱きしめて、ほしい。
…………くるしい、よ。
フラフラあてもなく歩いていたはずなのに、気が付けば当たり前のように、自分の"家"の近くまで来てしまっていた。
…………なに、やってるんだろう。
わかってる。
ここはもう、ぼくの"帰る場所"じゃない。
だけど、それでも、ぼくには、ここしか来る場所がない。
ゆっくりと階段をのぼって、部屋へと近づいていく。
てっきり真っ暗だと思っていた部屋からは、明かりが漏れていた。
「…………!」
ーーーーまだ、オトコノヒトは、ここにいるの………?
電気も、お水も、お湯も、なにもないのに?
どうやって?
それとも、ぼくがでていったから、"もとにもどった"?
「………………!」
けれど、事態はそんなに甘くないことは、すぐにわかって。
目の前に飛び込んで来た、表札。
ついこの間まで、"綺羅"だったはずのそこにあるのは。
ーーー"神田"の文字。
ストン、足から力が抜けて、その場にうずくまった。
「………………はは。」
口から乾いた笑いがこぼれる。
…………あぁ、本当に。
本当に、"捨てられてしまった"んだね。
オトコノヒトは、もう。
本当に、全部全部、捨ててしまったんだね。
もうここは、ほかのひとのもので。
思い出の残骸すら、残ってはいなくて。
ーーーーーそれならいっそ、ぼくごと消えてしまったら?
そんな考えが、あたまを過ぎる。
"つらい"と思ったことはあっても、こんなことを考えたのは、はじめてで。
自分で自分の考えに、ゾッとした。
『命を軽々しく扱う奴の気持ちは、まじでわかんねぇわ。ばっかじゃねぇの』
最初に、先生に言われた言葉を思い出す。
…………今のぼくを見られたら、怒られちゃうのかな。
わかってる、ぼくがいま考えているのは、きっと馬鹿みたいなことで。
けれど、じゃあ、ぼくはどうしたらいいの?
生きていたとして、一体誰が得をするの?
そんなひと、思いつかない。
…………それで、じゃあ、一体何人のひとが、損を、するの?
きっと、そのひとのほうが、ずっと多い。
だって、みんな、ぼくがいて、迷惑していて。
もう、頭の中がぐちゃぐちゃで、わけがわからない。
……あのとき、先生と出会わなければ。
先生が、ぼくをすくったりなんてしなければ。
ぼくは、もしかしたら、もう死んでいた、のかもしれないけれど。
それでもたぶん、ぼくは歌と空さえあれば大丈夫で。
…………きっと、"死にたい"だなんて、思いはしなかっただろうな。なんて。
そんなこと思ったところで、なんの意味もない。
ちらり、自分の後ろを振り返る。
ここは、アパートの6階で、それなりに、高い。
…………ここから、飛び降りたら、全部終われる、かなぁ?
荷物から、手を放す。
床に落ちたちいさな荷物は、けれどドサリと、思ったよりも大きな音をたてた。
柵に、腰かけて、最後にと空を見上げる。
あんなに好きだった、そら。
"すくい"だったはずの、それ。
「…………。」
けれど、今はなんの感情も、おこらない。
うただって、歌いたいなんて、おもえない。
だって、僕が今歌を聴いてほしい相手は、空じゃない。
ーーーーー『綺羅』
……"聞かせよう"としたら、歌えないくせに。
空を見上げて、柵に腰掛ける。
その状況は、先生と出会ったあの時と、酷似していて。
何も持っていないのは、あの時と同じなのに。
あのときと、今では全然ちがう。
……あのときのぼくは、何も持っていなくて。
きっと、"しあわせ"でも、"不幸"でもなかった。
どうしてかな、あのときのほうが、本当になにもなかったのに。知らなかったのに。
なにもなかったからこそ、なにも思わずにすんだんだろうなぁ。
同じ、状況。
"始まり"の反対の"おわり"としては、ちょうどいい、のかな。
そのまま、ゆっくりと前方に重心を傾ける。
…死ねなかったら、いたいだろうなぁ。
……最期くらい、先生に直接、僕の声で『ありがとう』っていいたかったなぁ。
なんて考えて、目を閉じたぼくの体を。
「…………危ないよ」
誰かが、後ろから、抱きとめた。
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