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──マズい。
時計を見た俺は心の中で何度目かのその呟きを漏らす。
その理由は、約束の時間から既に数時間が過ぎているというのに、俺がいるのは家じゃないからだ。
「すみません、オーナー。今夜は早く帰る予定でしたよね…」
「まぁ……こればっかりはどうしようもねえよ。言わば不慮の事故だからな」
何度も時計を見る俺にスタッフの1人が申し訳なさそうに眉を下げる。
六本木のキャバクラの新装開店にあたり、今後店の営業方針をどうするか話し合っていた時だ。
誰が連絡したのか、あろう事か近藤が合流しやがった。
近藤とは現役時代に知り合い、それ以来の付き合いで持ちつ持たれつな関係だ。
奴は夜の世界の裏との繋がりが広く、俺が飲み屋を経営する上で色々と世話になっている。
だから無下にも出来ず、今もこうしてミーティングが終わっても酒に付き合うはめになった訳だが、底無しに飲み続けられるこいつとの酒の席はいつも朝方まで続き、終わらせるのに一苦労だ。
(そろそろ0時か…)
「近藤、悪いがそろそろ帰らせてもらうぜ?」
仕事の付き合いとは言え、さすがにこれ以上は付き合い切れず席を立とうとすると、笑っていた近藤が目を丸くして俺を引き止めた。
「オイオイ、冗談だろ?マジで帰んのか?」
「ああ。実を言うと、数時間以上人を待たせてる。だから今夜はもう勘弁しろよ」
「なんだ、惚れた女でも出来たのか?」
「ま、そんなとこだ」
「!お前が認めるなんて珍しいな~。だったら今度紹介しろよ。なんたってお前は、相手がどんなにイイ女でも絶対に落ちないって有名だったからな~。どんな女に落とされたのか見てみてぇ」
「……。気が向いたらな」
上機嫌なのが幸いしたのかだいぶ酔ってるからか、近藤は俺をあっさり解放した。
周りの連中は近藤の扱いには慣れてる奴らばっかりだし心配もいらねえ。
残る心配はただ一つ。
(既読も無しか…)
電話をする隙が無く、遅くなる主旨を伝えたLINEに既読の文字は最初の1度きりだ。
つまり勇太は相当怒っているんだろう。
「こっちだって好きですっぽかしたんじゃねえっつーの。ったく、何なんだよ…」
俺は車を走らせながら不満を口にした。
すると、今までに感じた事もないような疲労感がどっと押し寄せてきた。
俺は今まで通りの仕事量をこなしながら勇太の世話もしている。
なのにあいつはまるでそれを分かろうとはせず、不満ばかりを俺にぶつける。
薬の副作用がきつく、満足に外出もできずにストレスも溜まっているんだろうが、こっちも働いてる以上予定通りにいかない時もある。
社会人としてそんな事くらい理解するべきだ。
「俺……なんであいつといるんだ…?」
勇太と暮らすようになり、今までの生活が変わった。
それも多少の変化なんてもんじゃない。
だからいつだって好き勝手やってきた俺は、あいつの生活に慣れようと努力してる。
だが無理をすればする程苛立ちや不満が募り、今日に限ってそれが爆発しそうになっているのを自覚した。
(こんなんじゃ俺達は続かねえ。話し合いが必要だな…)
惚れた相手だとしても所詮は他人。
その他人同士が同じ屋根の下で暮らすには互いに妥協し合う事も重要だ。
そう結論を出した俺は、明かりの無い家に戻るとすぐさま勇太の部屋をノックした。
「勇太……遅くなって悪かったが、今話せるか?」
苛立ちを悟られないよう細心の注意を払いドア越しに呼びかける。
だがそのドアは開く気配をみせなかった。
恐らく俺が約束を破ったことに対する怒りの表れなんだろうが、勇太のその行動に俺は益々苛立ちを覚えた。
「……話があんだよ。部屋から出てこい」
なんとか怒りを押し込めながらもう一度声をかけたが状況は同じ。
部屋の中の物音すら微塵も感じず、その内、"眠っているんじゃないか?"という考えが浮かぶ。
だったら寝かせてやった方がいいだろうと、俺は話し合いを諦めて自室に戻った。
スーツの上着を脱ぎ捨て、しわになるとかそんな事は全く気にならない程の憤りを抱えたままベッドに寝転がる。
俺は本当に疲れていた。
あいつを気遣う余裕もなく、自分の事すら手に余る状態をどうにか解消しなければならない。
そう考えている内に意識が遠くなり、自然と眠りの中に誘われた。
そしてこのまま寝ちまおうとした時、ふと今朝のやり取りが脳裏に浮かび、俺は閉じていた瞼をこじ開けた。
(そういやあいつ、不安がってたよな…)
正直腹は立っていたが、一度気になりだしたらおちおち寝付けやしねえ。
「…………ッくそ!」
結局折れるのはいつも俺の方だった。
それに不満を感じながらも病を患ったあいつに余計な負担をかけたくないという想いもある。
その矛盾こそが俺の本音だ。
話し合ったところで解決なんてしないだろう。
あいつが俺に気を遣うのは不本意で、俺が気を遣うのも不本意だ。
現状維持という自分なりに打ち出した答えにため息を吐くと、俺はもう一度勇太の部屋へ向かった。
そして今度は入室の合図としてノックをしたが当然返事が返って来るわけもなく、俺は勝手にドアを開ける。
「悪かったと思ってる。俺は…本当に早く帰ってくるつもりでいたんだ」
明かりのない暗い部屋に俺の言い訳だけが響いた。
あいつは予想した通りベッドの中で静かに眠ってる。
寝たふりかとも思ったが、顔を覗き込めば熟睡しているのが分かった。
普段なら起きている時間帯の勇太にしては珍しい事だ。
「……明日、目を覚ましたら一番に俺の部屋へ来い。いくらでも謝ってやるよ」
もしかしたら夢の中まで聞こえるかもしれない。
そう思った俺は勇太が起きない程度に静かに告げ、部屋を出ようとした時だった。
「……?」
何か違和感があった。
それが何なのかは分からないが、気になった俺はもう一度暗い部屋を振り返る。
だか違うところなんて何も無い。
小さなテーブルの上にはPCがあり、読みかけの本はベッドの脇にあるチェストの上だ。
だがどうしても腑に落ちず注意深く部屋を見渡していると、その小さな違和感がやっと目に映る。
ケータイだ。
何かを通知する小さな光を点滅させるケータイが床に転がっていた。
いつもはチェストの上に置いているはずの物だ。
それを見た俺は何か嫌な予感がした。
「勇太…?おい、勇──っ!?」
無理やりに起こそうとして布団から出ていた手を握ると、とても眠っている人間のものとは思えない程冷たい。
その瞬間、苛立ちで血が上っていたはずの俺の頭は一気に冷め、代わりに冷たいものが背中に走る。
「勇……太…起きろよ……っ、今すぐ目を開けろ…!!」
気が動転した勢いで勇太の体を揺さぶり、何度も怒鳴りつけると僅かにその目蓋が開く。
「みさ…き……さん…」
「今すぐ病院へ連れてってやるからな!しっかりしろ!」
「ちか、ら…入ん……な…」
「勇太!?おい勇太!!」
抱きしめたあいつの体はぐったりと沈み、触れた頬はあまりに冷たい。
この時俺は、一番恐れていた事態を考えずにはいられなかった。
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