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「──洋輔!」
その声を聞いた時。
自分がどこにいるのかも分からず、どうしてここにいるのかも理解できなかった。
だがその声があまりに力強く耳に届き、俺は強いられたように顔を上げる。
「真奈美……」
消毒の匂いが鼻につく。
白い壁で覆われた長く無機質な廊下の途中に置かれた長椅子に座り、俺は項垂れていた。
「一体何があったの!?彼は!?」
治療されている勇太を待っている間、あまりに気が動転したせいか電話をかけてしまった。
選りに選ってそれが真奈美。
真奈美が俺の事をよく知っている人間で、互いに相談事を持ちかけられる相手だからかもしれない。
現に今回も、真夜中だというのに文句一つも言わず真奈美は駆けつけてくれた。
「…………助かった」
「そう、良かった…!」
そう言って真奈美は心底安心した様子で俺に笑顔を見せる。
…分かっていた。
困った奴がいれば嫌な顔一つせず手を差し伸べる。
こいつはそういう女だ。
だからこそ尚更、"今"連絡を取るわけにはいかなかったのに、気付いた時には頭とは裏腹に心のまま電話をかけていた。
俺が唯一本音を漏らせる人間であり、元妻でもある真奈美に…。
「……?何をそんなに落ち込んでるの?助かったんなら良かったじゃない!」
「……良くねえ。ちっとも良くねえよ」
「え?」
「もう…あいつとはやっていけねえ」
自分が何を言ってるのか分からなかった。
そんな風に考えたことは一度もなかったはずが、俺の口はあたかも前々からそう思っていたようにべらべらと喋り出す。
「ちょっ…、何言ってるの!?」
「あいつ…敗血症だって言われた。病院に運ぶのが後2、3時間遅けりゃ助からなかったそうだ…。つまり、もしあの時俺が勇太の様子を見に行ってなかったら?帰りが2、3時間遅けりゃどうなってた?そう考えてゾッとした。下手すりゃ、俺の帰りが遅いせいであいつ、死ぬかもしれなかったんだぜ…?そこまで責任とれるかよ…っ」
たった一つ。
勇太という新しい存在が出来ただけで俺の環境は180℃変わってしまった。
ここまでの変化を想像していなかった俺にはその全てが煩わしく感じ、いつからか勇太にまでそう感じるようになっていた。
だからこそ真奈美との連絡は必要最小限に止め、会うことすら控えていた。
こいつに会っちまえば俺は頭の片隅に追いやった考えを口にしてしまう。
そして一度言葉にしてしまえば、それが自分の本音だと認めざるを得なくなる。
それだけはどうしても避けたかった。
だが……俺は結局、その全てを自らの手で台無しにした。
「俺の仕事は主に夜だ。それに時間も不規則で自由も利かねえ。そんな状態であいつの面倒を見るなんて…無茶苦茶だろ…。これ以上俺にどうしろっていうんだよ…!」
一度口にしてしまえば次から次へと不満が零れ、その言い草は"まるでガキだな"と心の中で自分を罵る。
欲しいペットを飼い始めたはいいが、後々世話が面倒になったガキが言いそうなものだ。
だが真奈美は何も言わず黙って聞いていた。
彼女は時々頷いたり、俺の背中を摩ったり…。
そうして俺が一通り愚痴を吐き出したところで、やっと彼女はある一言を俺に告げる。
「だったら別れるべきよ」
「…!」
勢いでも煽りでもなく淡々とした冷静なその声に後ろから頭を殴られたような強い衝撃を受け、頭を抱えていた俺は弾かれたように顔を上げた。
「簡単に…言ってくれるじゃねーか」
「あら、簡単よ?"別れよう"って言えばいいだけなんだから。あなたは今までだってそうやって切り捨ててきたじゃない」
「っ…、けどあいつは…!」
「そうね。彼は今も病と闘ってる。でも、だから何なの?今のあなたは自分の事で精一杯なのに、それを彼のせいにしてる。だったら彼の為にも側に居ない方がいいわ」
「…………」
「話しにくいなら私が伝えてあげる。彼も判ってくれるはずよ?あなたは十分努力した」
「……いい。自分で言う。呼び出しといて悪いが、お前はもう家へ戻れ。待ってる人がいるだろ」
「平気?」
「ああ。だいぶ気持ちが落ち着いた。…悪かったな」
頭がはっきりしてきた俺は真奈美に帰るよう促し、エレベーターへと向かう彼女の背中を見送りながら再認識した。
これまでの苛立ちは勇太のせいじゃない。
俺の覚悟の無さが浮き彫りになった結果だと。
「どうすりゃいいんだよ…」
その答えはなかなか見つからず、それでも俺は何かを見つけようと暗い廊下の先をしばらくの間見つめ続けた。
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