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巻三
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夜半。
起き出して、法眼殿の文机の部屋へ立ち戻る。
巻一、巻二を置いた以上、巻三もそのあたりにあると考えるのが自然だ。
室内に入って物色しつつ考える。
この家(や)のことを考えたなら私はたずさの遺骸をも、持ち戻るのが自然であったろうか。
だがそうした場合、私はたずさがこの家の令嬢であったと知っていたことになってしまう。
知って現れたほうがよかったか、知らず物盗りの一味扱いのままがよかったか。
娘が盗人がよかったか、盗人と思われた娘がよかったか。
考えは堂々巡るばかりで、答えは全く見当たらない。
そんな私の背後に、いつの間にやら鬼一法眼殿が寄り来ていたのだ。
考え事をしながらでは、これを見つけることはできませんぞ。
お手には巻三。
何のことはない。
法眼殿は寺小僧の嘘など、とうに見抜いていたのだ。
情けない。
たずさの思い人は、こんなつまらぬはかりごとをするお人だったか。
たずさはそんな御仁のために命かけて文書を持ち出していったのか。
老人の目は濡れていた。
すべてご存知だったのですか。
すべてではない。
だが文書は儂が手ずから渡した。
読むにふさわしい人物だと、たずさが繰り返したからじゃ。
巻三を添えなんだは、儂も人物が見たかったため。
よもやこのような騙りが相手とは、儂も夢にも思わなんだ!
泣き濡れつ、怒りに震える老人を、私はもはや直視できず、その場に土下座してひれ伏した。
お許しください!
私が行きました時には、たずさ殿は既に事切れていたのです。
そしてその後六韜に気づきました。
お嬢様を連れ帰らず、本当に不届きなことを致しましたが他意あってのことではありません!
私は、私は…
本当に落涙していた。
すらすらと、次々嘘の流れ出てくる己が情けなく、浅ましかった。
たずさは正面から父君に申し出たというのに。
そしてそんな私を、法眼殿はちゃんと見抜いているのだった。
持って行きなさい。
私にはもはや必要のないものだ。
法眼殿!
既に私に背(せな)を向けていたご老人は、異なことを語り出したのだった。
あれは娘ではない。
正式ではないが妻だった。
遠い日海端で拾った。
外つ国の女人だったのだろう。
やまと言葉を覚える前から肉の交わりに精通していた。
陰陽師としての仕事も学問も忘れ去るほどに耽溺したが、思えばここしばらく様子がおかしかった。
今朝(こんちょう)、急ぎ出かける私の袖をとり、
今日が私の最期の日となる気がする
と繰り返した。
武辺の少年が来ると思うから六韜を授けてやってはくれまいかと。
意味はわからなんだが、こうなってみて初めて実際がわかった。
私はたずさを忘れる。
そこもとも忘れるがよい。
巻三を、打ち捨てるように投げ出して、鬼一法眼殿は閨に消えた。
どう受け止めたものか、一切わからなかった。
たずさは娘だったのか妻だったのか。
自分が今日死ぬと知っていたのか。
そして何より、
私は六韜を受け取ってよいのか?
もはや何をどうするのがよいのか、全くわからなかった。
屋敷を出る。
手には巻三。
巻一、巻二は既に頭の中に納めてある。
だが心は空疎である。
帰るところもなく、連れ添う友も女人もない。
しかも今、橋を越えんとする私の前に、そやつがいた。
大柄の、いかつい顔立ちの僧兵。
法眼殿に“鬼若”と呼ばれていたあの男だった。
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