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鎌倉
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東国を統べる
鎌倉殿は西進せず、一旦本拠に取って返した。
何もせずに得た勝利でも、褒賞はせねばならない。
鎌倉殿は付き従ってきた東国の将たちに、おもにもともとの所領を安堵した。
新しき褒美ではないが、いきなり京からやってきた平氏家人やその息のかかった者に目下扱いされ続けてきた者たちにとっては、本領安堵以上に嬉しい出来事はなかったから、草木も民も鎌倉を讃えた。
東国で、平氏に与する者は、それだけで命の危機となった。
例えば常陸佐竹氏。
鎌倉殿を支える柱である、上総氏、千葉氏、三浦氏らが、天敵と嫌う佐竹氏を、倒してほしいとねだられた際に、鎌倉殿は躊躇しなかった。
確かに身近に平氏の拠点があることは、鎌倉武士らの危機にもつながる。
鎌倉方は迷わず遠征し、佐竹一族を分断して、堅固な城を陥としたのである。
側につく者を大事に取り立て、敵対する者には容赦なく当たる。
これが鎌倉流となった。
東国が網羅され、鎌倉は、名実ともに、侮れぬ存在となっていったのである。
そこに居らぬ兄弟(けいてい)
鎌倉殿に従って、相模に入った義経様は、出撃の機会を待ち望んでおられたが、それはなかなか訪れなかった。
武功を上げたいお気持ちが、ひしひしと感じられる。
だがそのゆえに兄君は、機会をお与えにならぬのだろうと察しがつく。
兄君は、今はご自分が大事。
弟たちに、“自分を食う活躍”をされては困るのだろう。
そんなことはあるまい。
弁慶殿の考えすぎだ。
そうでしょう?
なぜそう思う。
だって…
忠信は言い淀む。
忠信も本当はわかっている。
水鳥と、忠信らで、不戦の勝利を掴んだのは、いったいたれの知恵だったか?
しかもその知恵を出させたのが藤原範頼殿だ。
此度の知恵の出所が、ともに鎌倉でないとなれば、鎌倉殿の面目に傷がつきかねぬ…
厄介だな。
継信がため息をついた。
同感だ。
宿舎は町外れの僧坊。
中庭に池がある。
水面をみつめる主の瞳は、暗く澱んでいる。
何をお考えです?
兄者のことだ。
いや。
頼朝兄上でなく。
今は義円と名乗られてあるという、乙若兄上のことだ。
以仁王の令旨が伝わって、どの兄も動き出した。
自分はその以前に鞍馬寺を出てしまったが、今若殿はこちらに、乙若殿はいずれかに出向いたのだ。
遠く平泉からこちらに来た自分がもう鎌倉に着いたのに、乙若殿はまだ所在不明である。
主はそこが不安なのらしかった。
ご無事であられるだろうか。
それはたれにもわからない。
実際、土佐の地に流されていた希義殿~鎌倉殿の同母の末弟殿~などは、鎌倉殿のもとに走るかもしれぬという嫌疑を受けただけで、平家の思惑で殺されてしまったという。
鎌倉殿は東国に流されたゆえに討伐の手も遅れ、今のお立場を得られている。
ちょっとしたことで、こうまでお立場が変わってくるのだ。
無情ですね。
まさしく。
それでも生きておられさえすれば、お目文字もかなう。
全成兄上よりは、私に寄ってくださるのではないだろうか。
ああ。
結局このお方はお寂しいのだと思った。
我らがいてもそれは郎党にすぎぬ。
早くに母御に引き離され、やっと出会えた嫡男殿にはあまりよく思われていない。
だとしたら、まだ見ぬお人柄も知れぬ兄君に、思い馳せるのは詮無いことなのかもしれぬ。
が…
嫡男殿もいつか笑んでくださるはず。
あまりお人柄を決めつけてはなりません。
お諫めしながら実はもうわかっている。
多分兄君様方は、お見かけした通りの方がたであろうと。
されど範頼様は違う気がする。
我らに声をかけてくださったし、義経様の閃きを、うざったく思わないでくださっている…
私は主殿より、わずかながら長く生きておりますでな。
人はわかってくださる御仁が一人二人居ったら十分なのですよ。
私にあなたが在るようにと、続けたかったが止めた。
いつか言おう。
今ではなく。
年明けて治承五年。
意外なことが起きた。
閏二月四日。
清盛が死去したのである。
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