アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
腰越
-
鎌倉行
元暦二年(1185年)五月七日。
殿は京をお発ちになった。
鎌倉に凱旋。
ああでも、そのようなお考え、果たして大丈夫なのであろうか。
鎌倉様は四月十五日、こんな令を発しておられた。
吾の内挙得ずして朝廷から任官を受けし東国武士めらは、恩知らずの馬鹿者である。
と。
東国への帰還を禁じずる。
在地で沙汰を待つように。
ともあったのに、殿はご自分が、鎌倉様の御弟御であるゆえに、この令に縛られないとお考えになったようだ。
わが力で平氏は一掃された。
褒められこそすれ、どうして身を律する必要がある?
みたいな。
令に構わず郎党連れ、鎌倉目指して出発してしまった。
土産は平宗盛・清宗父子。
壇ノ浦で捕らえたと示したかったのだろう。
そしてあの方も随行させていた。
うまく話の流れを作って、さりげなく兄上様にご紹介するおつもりだったのだと思う。
されどその機会は訪れなかった。
殿のご一行は鎌倉の地に、足踏み入れることさえ許されなかったのである。
満福寺
鎌倉郊外のその寺に、一行は留め置かれた。
鎌倉様の起居されているところまで、まさに目と鼻の先だというのに会いに行ってはいけないという、この扱いに殿は愕然となったようだ。
殿はご存知なさすぎた。
全軍の将たる範頼兄上が、まだ九州の地にあって、海中に没した天叢雲剣を捜索し続けていたことも、範頼兄上とともに平氏追討に参戦し、立場的には殿の補佐であった梶原景時から、
義経は追討の功をしきりに、ご自身一人のものとしている
と記された書状が、鎌倉様に宛てて発せられ、この時点ではもうこの地に届いていたことも、わが殿はご承知でなかったのだ。
そこへ宗盛だの連れて、夫が腰越に行き着いた。
梶原の言う通りではないかとなったわけだ。
それでも殿は必死だ。
自分のことなどどうでもいい。
廓御方を認めさせたい。
一つこと思い詰めると他のことはどうでも良くなってしまうあのお人柄ゆえに、鎌倉様に対する非礼は重なり続けた。
是非ともお目にかかりたし。
そればかりの文。
お目にかけたい、お話ししたき宜、あり。
そればかりの文。
宗盛らを連れ来たのだもの、宗盛らのことと思われたは必定。
そうまで自分の手柄見せびらかしたいか?
そう取られたも必定。
あまりに不運なわが殿が、腰越の先に進むすべなど、そこにはかけらもなかったのだ。
あれでなかなか短気なるわが殿は、ついに怒ってしまった。
血肉を分けた弟が、これほどまでに会いたいと言うておるに、なぜ会われんのか。
鎌倉殿はそれほどまでに偉いのか。
私は京の検非違使務め、後白河院にも重用されておる。
兄が会いたくないならそれでいい。
京のことは京で決める。
六月九日。
言わずもがなのことを言いおいて、殿は帰途についた。
連れ来た宗盛父子は連れ戻り、近江で勝手に処刑した。
無断任官受けるなと令した御仁であるから、無断処罰もあるまじきことであろう。
殿はすべてにおいて、下手を打ったのである。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
60 / 89