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範頼8
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鎌倉
この年の十月、私はやっと鎌倉へ帰還した。
九月には戻れるはずだったが、海が荒れ、なかなか素早く戻れなかったのだ。
そんな私を頼朝兄上はやはり褒めてくれていた。
連絡不行き届きより、まめに報告をくれるそなたはほんに心強い弟(てい)である。
ついては近々、父、義朝のための勝長寿院落慶供養がある。
わが、源氏一門として参列を許そう。
許す、か。
けどまあ、有り難き幸せ。
たくさんの宝物と、経、写経、さらに父の、荘厳なる肖像が飾られてある。
盛大な席だから、全成もいる。
なのに…義経はいない。
義経は、戦後をしくじった。
平時忠の娘を娶るは、鎌倉の褒賞より後白河の褒賞をありがたがるは、勝手に鎌倉入りしようとして拒まれ、拒まれたらむきになって、悪たれ言うて帰京。
こどもか!と怒鳴ってやりたいが、ほんにあやつはこどもにすぎなかったのかもしれぬ。
怒って拗ねて涙して、それでも許されたかったのだろう。
だがな、義経。
世の中はそういうものではないのだ。
私も正直腹を立てた。
壇ノ浦が決着したとき、おまえは追い弓すべきではなかった。
あそこから戦は殲滅戦となり、安徳帝も二位尼も、天叢雲剣も消えてしまった。
それらは兄が、院や朝廷とやりとりし、武家一統を報賞尊崇させるための、多大な利益を生むはずだった、いちばん大切な勝負札だったのだ。
おまえはそれらを全部駄目にした。
おまえは英雄ではない。
戦犯に近い存在だったのだ。
後白河から頼朝追討の宣旨が出たことを、兄上はすでに知っている。
この父君供養の集いが終われば、悼む集団はそのままおまえを追う集団と化す。
現に私の養父・藤原範季の息子、私とも兄弟のように育った範資までが義経追討に行くとて、それもよりによってこの私のところに馬を借りに来たのだ。
鎌倉殿に離反とは、弟君は正気ではない。
範頼殿も不用意な言動はなさらず、ただただわたくしどもらとともに御出陣あれ。
勇んで追討に加わると言っていた。
ああ義経。
何故行家と組む義理がある。
同母兄・義円を死なせたと、おまえも憤っていたではないか。
戦後処理で私が九州に居残っていた間に、いったい何がどうなったのだ。
おまえはどうなってしまったのだ!
頼朝動く
勝長寿院落慶供養終えたその夜、鎌倉殿は御家人らに、即時上洛の命を出した。
朝廷の、頼朝追討宣旨に対抗しうる武家集団を仕立てる為ではあったが、その時鎌倉に集まっていた二千人余の武士のうち、命に即応の気概を見せた者は、わずか六十人ほどだった。
宣旨はあちらに出ておるし、ちょっと派手なる兄弟喧嘩、そのような受け取り方をされてしまっているのかもしれなかった。
もちろん鎌倉殿は大いにご立腹。
義経自身が為したような無礼を、全武士団が示しては、武家の棟梁の身が立たぬのだ。
鎌倉殿は自らの出陣を決められた。
行家と義経を討つべく出立する鎌倉殿見て、御家人たちは色を失った。
木曽義仲を叩くにも、平氏を崩壊さすにも立たなかった鎌倉殿が腰を上げたのである。
本気度は瞬時に伝わった。
御家人たちは我も我もと慌てて帯同、出陣し、鎌倉殿は黄瀬川辺りでさりげなく陣を解いた。
すべて兄上の掌のまま。
世情など、兄上がひと揺さぶりするだけで動いてしまうのだ。
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