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ゴースト
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志水は自分がどんな顔をしているのか知らない。鏡を見ないからだ。
薄い髭をあたる時も、おざなりにシェイバーを滑らせるだけで、服を着る時も、外出先の洗面所などでも、見目の確認作業を極力避けている。それは、もう幼い時からの癖のようなものだった。
もっとも裸眼ではぼんやりとピントのずれた顔しか認識できない。
鏡の中に幽霊がいる。
子供の時、なぜかそんな考えに囚われてしまった。
幽霊は信じていなかったが、自分はこの世界でそんな存在なのではないかと思っていた。
「ひどいね……」
不意に左隣から声をかけられた。指にはさんだ煙草越しにちらりと見やると、髭を蓄えた短髪の男が、黒縁の眼鏡の奥からじっと志水を見つめていた。すぐに手元のグラスに視線を戻したが、おとといまでまだ熱持っていた頬の痛みを思いだし、ずいぶんな痣にでもなってるんだろうと静かに笑いがこぼれた。
「同じものでいいかな」
男の指が志水のグラスに軽く触れる。気がつけばいつのまにか氷だけになっていた。
志水の返事を待たずに、男がバーテンダーにそれを促す。
男の顔を見ようにも、どうせ志水の視力では朧げな輪郭しかわからない。
満たされたグラスを傾けてみせ、唇に煙草を戻した。
「初めて会うよね」
男は会話を続けたいようだった。奢られた酒の分は付き合うかと、志水はそっけなく応えた。
「たぶん」
「いらっしゃったの久しぶりですよね」
バーテンダーがさりげなく会話をつなぐ。
「そうか……。でも僕はあなたを知っている気がするなあ」
「よくある顔なんじゃないですか?」
「はは……よくある顔、ではないと思うよ」
声の雰囲気から、人好きのする男なのだろう。目を細めて焦点を調節し、志水はようやく男の顔を見た。
眼鏡と髭の印象が刻まれる。
「去年近くに引っ越してきて。ひとりで飲める店を探しててここに行き着いてさ。いい店だよね」
「ありがとうございます。可愛がっていただいてます」
すっかりなじみではあるらしい。
志水の方は、できれば馴染みの店など作りたくないので、またしばらく店を変えようと思っていた。
確かにここは、街に忘れ去られたような蔦に覆われた古めかしいビルの4階にあり、目立つ看板もネオンサインもないので(正確には蔦に隠されてしまった)一見が飛び込みで立ち入ることもほとんどない、落ち着けるオーセンティック・バーだった。
志水も気に入っていたのだが。
「一人で飲むのが好きそうだね。お邪魔したかな?」
今さらの遠慮を見せる男に、志水はもう一度グラスをかかげてみせた。
安心したように、男は続けた。
「僕もひとりで飲む方が好きなんだけど、一人で飲むのが好きな人と飲むのも好きなんだ」
「……」
思わず笑みをこぼしてしまう。その反応を増幅するようにバーテンダーが声を出して笑った。
あらためて、志水は男の顔を見る。きっと男も自分を見ているのだろう。
新しいタバコを咥えながら、志水は男のグラスを指して言った。
「同じものでいい?」
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