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オフィーリア・・・・終
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稽古場に現れた黒島を待ち受けていたように、スーツ姿の男がかけより、人気のない喫煙室に黒島を連れ込んだ。
「黒島さん、困ったことになりました」
俳優大河内のマネージャーだった。大河内というのは、黒島の舞台の常連の暁月座出身のシェイクスピア役者で、もちろん今回も出演者だ。
「大河内か?」
「はあ、それが、悪癖がでまして。……どうもあの子に手を出してしまったらしいんです」
「はあ?」
大河内の悪癖と言われれば、すぐに思い当たる。
そして志水だ。
黒崎は、両方の意味で苦々しく舌打ちした。
「彼、未成年ですよね。かなりまずいですよ……どうお詫びすれば……いや、その前に事が表立ってしまったら……」
確かに大河内だけの問題には留まらないだろう。
志水を放任しすぎた事は自分の責任だ。
性愛に秩序をと口出しする良識は持ち合わせないが、犯罪は犯罪だ。
「後で、大河内と話すよ。大河内には、ちょっと覚悟してもらわねえとな。漏れた時にはどうにもできねえよ」
黒島は、頭をかかえるマネージャーの背中を宥めるように叩いた。
◆
稽古場の屋上でフェンスにもたれ、タバコを吸っている志水を見つけた。
こら、と後ろから頭をこづいて黒島はタバコを取り上げ、自分でそれを咥えた。
「おまえ、大河内とやったのかよ」
志水は相変わらず動揺もせず、うん、とそっけなく答えた。。
黒島はため息と一緒に大きくタバコの煙を吐いた。
「かんべんしろよ……」
ゆるゆるとしゃがみ込んでコンクリートでタバコをもみ消す。
「無理矢理……じゃねえんだろ?」
「うん」
「好きなのか?大河内の事」
我ながら陳腐な事を聞くと黒島は自嘲する。少し考えて志水が答える。
「……よかったよ」
深いため息……こいつには言葉さえすり抜けてしまう。
志水は黙ってそんな黒島を見下ろしていた。
「……いや、悪いのは大河内だし、俺だ。おまえが子供なうちは全面的に大人が悪い」
いつになく気弱な黒島に、他に言える言葉も見当たらず、志水はボソリと言った。
「誰にも言わないよ……」
もう一度大きくため息をついて、黒島は立ち上がると、並んでもなお黒島を見下ろす高さにある志水の頭を、今度はポンポンと父親のように優しく叩いた。
「そんなことお前は言わなくていいんだ」
風に乱れたままその目を覆い隠している前髪をはらってやる。
現れた志水の眼は相変わらず焦点があっているのか、奇妙な視線で黒島を見つめている。
「悪いけどな、今回のカンパニー、亡霊は退場だ。稽古場も、小屋も、俺のとこにしばらく来ちゃだめだ」
志水の表情は変わらない。ただ、黒島を見つめている。
「勝手に誘い出しておいて、何を今更だな。消えろだなんて。……本当にすまない」
頭を下げた黒島から、志水はスッと視線を逸らすと、「そう……」とだけ応え、がしゃんと音を立てて、錆びた鉄柵に再びもたれかかった。
そのまま沈黙が続く。
志水のことだから、さっさと屋上を立ち去るのかと思った黒島が、意外に思って頭を上げると、鉄柵に背中を預けた志水は、静かに空を見上げていた。
そして、それを黒島に聞かせようとしたのか、それともただ志水の中にあった言葉がこぼれたのか、深く響く声が黒島を捉えた。
……小川の上に柳の木が差し掛かり
灰白い葉を水面が映し出すところで
あの子は花冠を作っていたわ
キンポウゲ、イラクサ、ヒナギク、シランを編み込んで
下品な羊飼いたちがいやらしい名で呼ぶ花です
でも娘たちは死者の指と呼んでいます
あの子が花冠を枝垂れた枝にかけようとよじ登ると
つれないことに枝は折れ
花冠もろとも小川に落ちてしまったわ
あの子の服は水面に広がり
人魚のようにしばらく浮かんで川面を漂って
自分の災難を知らぬかのように
古い歌を口ずさんでいたわ
まるで水に生まれた生き物のように
その歌もやがて切れ切れに
哀れなあの子は水底に沈んでいきました……
いつの間に覚えたのか、それは志水がはじめて観た黒島の舞台の中のセリフだった。
劇場に通い、黒島の隣りに座って……。
『……あの人たち、怖くないの?』
セリフを言い終わると、志水は立ち尽くす黒島を見ることもなく、いや、もう黒島などそこにいないかのように、屋上から立ち去った。
黒島は、自分が泣いていることに気づいていなかった。
大河内の件は、表沙汰になることはなかったが、次の公演以降、黒島のカンパニーから彼の名前は消えた。
黒島はもう亡霊を呼ぶことはしなかったのだが、翌年行ったオーディションに志水の名前を見つけた。
オフィーリア・・・・終
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