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【舞姫】1
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【舞姫】
本を読んでいたら、文字がぽろぽろとこぼれて床に散らばってしまった。慌てて拾い上げてはみたものの、どうも文字の置き方が悪かったのか、違う物語になってしまう。勇者は姫を救いだし、誰もがハッピーエンドになるはずだったのに、ぎこちない文章の羅列はどんどん軋(きし)んでいく。勇者は敗者となり、姫は拷問を受け、魔王はひたすら階段を上り続ける。朝日は気まぐれに色を変え、千年時計のからくりは遂に解き明かされない。
そんな夢を見たので先生に話したく思い、今日もバイト先へ向かったのだが、あいにく先生は雑誌の取材を受けていた。相変わらずのワイシャツにカーディガン。作り笑いもお手の物。
軽く挨拶をして、早々に整理に取りかかる。先日から、室生犀星全集の三巻だけ見つからないのが気にかかる。ずっと奥に仕舞われてあった巻物は、鳥獣戯画のレプリカだった。雨月物語の解釈本が多い。昔研究していたんだろうか。傍らにトルストイ。かと思えば三國志。脈絡がなくて酔いそうだ。もう内容は気にせず、サイズ別に分けようと思うけど、見事な箱本が目に入ればそうもいかず、旧字体には心引かれて、なかなか思うように進まない。
それでもなんとか、残り一画というところまで来た。
「やーまだくーんー、どこだろ、あれ」
トタトタと、先生より重い足音がする。廊下に顔を出すと、編集のなんとかさんだった。ちょっと太ってて、ウェリントンの黒い眼鏡がよく似合う。
お盆にアイスコーヒー、和菓子。休憩しようよ、と言われたのでお相伴に預かる。
「なんかお宝あったー?」
「……金になるもんはいっぱいですけど」
古書は奇妙だ。印刷の状態や、時代背景、出版数に応じて、千円前後の本が、今では三万円が相場だったりする。帯つき、初盤、寄稿、蔵書印。せどりじゃないから詳しいことは知らないが、ここにはBOOK・OFFでもよくあるレベルの本もあれば、どれだけ金を積もうが、巷で売ってない本もある。
「尾崎紅葉あった?」
いたずらっぽく目を輝かせて、彼は言う。たぶん一回り以上は歳上だろうに、先生についているくらいだから偉い人のはずなのに、俺に対しては親戚のように話しかけてくれる。先生が話したんだろうか。ヤンキーの愛読書が『金色夜叉』だなんて、そうそうない話だろう。てかまあ、ヤンキーじゃないけど。
「それはないですけど、海野十三が。あと、あれ」
押し入れを指差す。内側一面に貼られた新聞紙が、大正のままですごくわくわくした。勿論、湿気や黴で汚れてはいるが、文字はそれなりに読める。それを眺めながら、ひとしきりノスタルジィな話題で盛り上がったあと、ああそうだ、と彼は小声で切り出した。
「本片付けててさ、もし、表紙に何も書かれてない本があっても、決して開いちゃいけないよ」
「……なんでです?」
押し入れに二人頭を突っ込んだまま、まるで内緒話だ。
「え、知らない? 大量の本のなかに白紙の本を一冊紛れ込ませてね、そのまま忘れるまで放っとくんだ。そしたら、周りの本の香りを吸い込んで、勝手に物語は刻まれる。ってやつ」
「…………………なんかで読んだことあります、それ」
「あ、信じてないでしょ」
信じるもなにも。
でもそういう幻想的な話は好きだ。
「……ここには本当に、表紙に何も書かれていないのがあるからね。見ないでね」
その声があまりにも真剣なので、俺は頷いた。
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