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はあぁ、と深い息をついて、出た言葉は、
「素敵……!」
だってもう、それしかない。
小栗虫太郎の中編。例によって俺好みの装丁と書体で、物語の内容自体もわくわくするし、あっという間にどっぷり浸かった。
摩訶不思議な難事件。
探偵と犯人の心理戦。
解決するかと思いきや、の定番どんでん返し。
バイト時間ギリギリまで読み進めたけれど、大団円に差し掛かった辺りで時間切れ。
最後まで読みたかった、と呟いたら、俺の膝に頭を乗っけていた先生が、持って帰る? と聞いてきた。
応接間のソファ。いつ膝枕したっけ。覚えてない。そのくらい、本に夢中だった。
「駄目ですこんな貴重な本」
即座に断る。どこかで汚したらどうする。……あー、でも読みたい。大好きな音楽をいきなり中断された気分だ。あるいは、今すぐ黒髪に戻せと言われたような。
「じゃあ、もう少しだけ読んでく? あと少しでしょう、読み終わるの」
魅惑の提案に、くらっとする。明日は午前に授業ないし。帰るの遅くなっても。……いやいや。
先生に迷惑かけたくない。口を開いたとき、聞き慣れたラインの着信音がした。テーブルの上のスマホが光る。もちろん俺のじゃない。
届かないとわかっているのに、だらんと手を伸ばす彼に、スマホを渡す。電話。見ないようにとは思うけど、目には入ってしまう。
佐久間。
もたっとしながらも、先生は通話ボタンを押せて、電話に出る。最初の一声を発したあと、すぐに起き上がって、よろけながら俺から離れた。
「どうしたの。…………大丈夫だよ。………うん……………」
気色ばんだ横顔とは正反対の、酷く優しい声。そのまま足を引きずりながら急いで離れのほうへ行ったので、ああ、俺には聞かれたくないんだな、と思う。
きちんと挨拶しないで帰るのもあれなので、しばらく待ってみる。なんだろなー。なんか緊急事態? まー俺には関係ないし。てゆーか、良かったじゃん。これで続きが読める。ラッキー。
…………なんて全然思えなくてもやもやする。
さっきまで触れてたとこが先生の温かさを失って寒い。聞こえはしないのに耳をすませてしまう。いつもああやって電話する仲なのかな。俺の知らないとこでどんだけ連絡取ってんだろう。俺だって先生に優しい声かけられたいよ。いやかけてもらってるけど。俺にだけ優しくしてほしいのかな? うわなにそれ、幼稚園児かよ。だっせー。ばっかみてー。ていうか違うし。そんなんじゃないし。
なんでこんな。
嫉妬みたいな。
醜い感情がわいてしまう自分に一番むかつく。だって、そういう意味で先生を求めてない。俺だけの、なんて微塵も欲しくない。気持ち悪い。先生の気持ちが全部俺に向かったら俺だって困る。恋愛、じゃない。もう何度も考えてわかりきってるのに、じゃあなんで彼氏束縛する女の子みたいな感じになるんだろう。
さっきまで凄く魅力的だった本に、全然集中出来ない。これはただのモノ。これはただの文字。どうせ架空の冒険譚。駄目だ。出来の悪い写真みたいに薄っぺらい。
…………………………………悶々と待つこと十数分。眉間にシワを寄せて、先生が戻ってきた。どうしたのか訊くと、煙草吸いたいと返ってきた。
「駄目です」
「…………田辺君みたいなこと言うね」
苦笑。だけどなんか疲れてるみたいな。
「……………君、明日も学校だよね」
「はい」
「………………………………………」
「午後からですけど」
「………………………………うーん」
ああもう、じれったい!
「佐久間となんかあったの? 俺邪魔なら帰るし、なんかするんならやるけど?」
なんでこう、乱暴な言い方しかできないかな、俺。
「佐久間が今から来るって」
「え」
だってあいつ、ここ怖いから来ないんじゃなかったの?
「……ちょっと、今パニック起こしてて。抜け出してくるみたいだから、落ち着いたら帰らせるけど」
少し掠れた声。優しい口調。この人はわかってるんだ。俺が不機嫌になるって。
「……君がいたほうがいいとは思うけど、僕の考えてる通りになるかは微妙だし。あれの相手は面倒だから。あと佐久間と僕が二人で会うの、君が嫌がるかと思って……でも君、明日も忙しいでしょう?」
最後はこちらに視線を投げかける。なんかいっぱいボール飛んできた。
なんで俺、この人に気遣わせてるんだろう。それこそ迷惑だ。……バカ。
「……いてもいいなら、いる。……嫌だけどそれは俺のわがままだし。えーと、…………で、明日は午後からだし特に課題もないから、暇」
ちゃんと返せただろうか。たどたどしい。
言葉を頭の中で反芻していると、頭を撫でられた。ありがとう。そんなことを言われてしまうと、ますます自分のガキっぽさに惨めになる。
たぶん、一時間もかからないで来ると思うから。先生は言い、キッチンへむかった。
あ。
「先生、煙草駄目だからね」
そう投げたけど、先生じゃないからいいんだよとかわされた。
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