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翌日の昼過ぎ、目をさますと奴は既に風呂に入ったのか、こざっぱりして服もちゃんと着ていた。部屋も、ある程度片付けられている。煙草を吸って、また何か小難しそうな文庫本を読んでいた。
「……なに読んでんの」
「……おはよう。幸福論」
「こーふく」
ぬくぬくの布団を出て、じんわりとした頭痛と胃痛をかかえながらシャワーを浴びる。戻って水を飲んだ。もちろん何も入ってないただの水道水だ。
狭くて雑多なアパートの一室。
薄暗い部屋だけど、ひとつだけある窓から、眩しい太陽の日差しが差し込んでいる。冬の、昼間だけ陽気な感じ。でも風は冷たい。
すこしだけ開いた窓。
揺れる安物のカーテンレースはところどころ黄ばんでて。
遠くで電車の走る音。
近くの小学校のざわめき。
ぺら、と薄い紙をめくって、本を読む友人。
その頬にかかる黒髪。
…………いやいやいや。なにこの、穏やかな空気。怖い。え、ありなの? こんなん、あっていいの?
「面白い? その本」
「たまに」
なんだそれ。
……煙草に火をつける。
「俺、昨日お前のことレイプしたんだけど?」
なんで、逃げてないの。
なんで、くつろいでんの。
賢人が俺の顔を見る。怒ってもいないし恥ずかしがってもない顔。
「なに、ありがとうとか言えばいい?」
「っ、は……バカじゃねーの……」
怖い。
……………………怖い?
賢人は本を閉じて、煙草に火をつけた。灰皿がこちらにしかないので、来る。
キッチンカウンターの、隣に並んだ。
俺は窓のほうをむいたまま壁によりかかり、奴はカウンターに肘をついて灰皿を見つめる。
「…………僕のこと壊してくれてありがとう、結局また日常だけど……………春喜、今日バイトじゃないの?」
「……………今日ない。先輩に呼ばれてっから」
「そう。ならいいけど」
こいつ。
なに考えてるのか、わからない。
「……………はは、お前さ、……俺がまたしたいっつったら、どうすんの」
「それは仮定の話? それとも提案?」
違いがわからん。
「て……提案?」
目が合った。
「……また薬使ってくれるなら、いいよ」
胸の奥が。
激しくざわつくような。けれど一瞬のことで。
犯したいあの衝動によく似ていた。
「……………慣れてんのな」
「昨日が初めてだ」
「…………あっそ。そのわりには平気そうに見えるけど?」
乾いた笑い。それだけが俺の精一杯の強がりだ。
「平気じゃない……身体痛いし。まだぼーっとするし。でもいいや、なんかいろいろ吹っ飛んだ…………君、上手だったし」
賢人は灰皿に灰を落とす。
「春喜こそ手慣れてたね」
「俺だって初めてだよ!」
むきに。
なって言い返したあとで、なんで俺は切羽詰まってるんだろうと思う。
誰にでもこんなことしてるわけじゃない。
男を抱くなんて。
「ふふ……そう。まあ、好きにしてよ。…………もう帰るね」
煙草を灰皿に押しつけ、既にまとめられていた荷物を持って、賢人は出ていこうとする。
「……賢人」
「なに」
「なんで怒んねぇの」
彼はしばらくためらってから、口を開いた。
「…………昨日は祖父の命日だった」
…………は?
「つらい日に意識がないって、楽でいいね。親にも遭わずにすんだし。久しぶりによく寝た。…………あのまま殺してくれればよかったのに。きっと幸せだった」
本気で。
そう思ってるんだってのが、わかった。死んでもいいんだ、こいつ。
本気で、幸せって。
……………幸せってなんだっけ。
「昨日死んでたら、今日家に帰らなくて済んだのに」
溜め息をつかれた。
「…………殺さねーよ。まだヤり足りねーもん」
「ふふ、……ありがとう。飽きたら殺してくれ」
そう言って、賢人は出ていった。
それから、じゃあヤりまくったかというと、そうでもない。
もともと俺はネコだし、賢人にタチ出来ないか聞いてみたところ、心底嫌な顔をされた。女としてるみたいで気持ち悪いそうだ。てことは、こいつ女としたことあるのか。それは教えてくれなかったけど。
どうしても俺がヤりたい日には、またこいつを部屋に呼んだ。身体を綺麗に洗って、本当は一つでいいはずの薬を多めに飲んで、それはまるで自殺をする人にみえた。それなら、このキスは人工呼吸か、それとも息の根をとめるためなのか。
大学三年の秋、親父が急逝したので、俺は大学を辞めた。そのときに大学の仲間や、ふざけた連中とは縁を切り、実家の植木屋を継いだ。あとはひたすら真面目に仕事をした。
やがて呑み屋で知り合った女と結婚して、子供も生まれた。
絵本を買いに書店に寄ったら、そこに懐かしい名前を見つけた。
古城賢人。へえ、あいつ、作家になったのか。なにかの賞をとって、それで出版されたらしい。
一冊手にとって、レジカウンターにむかったら、あんた漫画以外も読めるの? と、妻に本気で驚かれた。
中身は奇妙で不思議な話で、たまに難しい言葉や、俺にはわからないネタがあった。普段なら投げ出してしまうのに、その物語は何故か俺を惹き付けて、めくるめく万華鏡に似た世界を俺に見せつけた。
彼の作品には、妻のほうがどっぷりハマった。俺より先に読み終えて、また新刊が出れば、子供を連れて本屋に行く。今までこんなこと、なかったんだけどねぇ。彼女はそう言って、目をキラキラ輝かせた。
きっと幸せに暮らしているんだろう。丁寧で繊細な文章。もう、死ぬことだけが唯一の救いじゃないことを祈る。
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