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個人的な連絡先など知らないので、出版社に電話をかける。たまたま社内にいたので、田辺さんとはすぐに繋がった。
先生に会いたい旨を伝えると、いいけどその前に一度おれと会ってくれ。そう言われた。
指定された日時に、指定された喫茶店へ向かう。田辺さんは、俺の見た目が随分変わったことに驚いていた。
「…………どういう心境の変化?」
「なんでしょうね。……わかんないです」
二人でアイスコーヒーを頼む。本題へ入る前に和ませようとしてるのか、田辺さんは、いつから髪染めたりしてたの? と訊いてくる。
「面倒臭い話になりますけど、聞きます? 俺、高校の時に先輩が自殺したんですよ」
「……聞くよ。もう今日は、腹くくってきたからね」
穏和で、頼もしい笑顔。ずっと誰にも言わないでいようと思った話を、俺は田辺さんに打ち明ける。
「高校のときに、すごく仲のいい先輩がいて。……その人は小説家になりたかったんです。俺も本は好きだったからその人の書いたやつも読んだりして、……俺もちょっとだけ書くようになりました」
兄貴のような、父親のような、親友のような。
どれだけ一緒にいても飽きが来なかった。ひたすら喋ってばかりいた。会えないときもほぼメールのやり取りをしていた。
二人で将来の話をした。同じ大学に入って、大好きな文学の勉強をしまくる。俺は一学年下だけど、卒業したら、先輩は小説家に、俺は……なんでもいい、本に携わる仕事であれば。先輩と共に歩んでいける道であればいいと思えた。
富山からは、遥か遠く。
ドラマや映画を見ても、ピンとこない東京の風景。
夢物語に聞こえるが、俺らは本気でそれを叶えようとしていた。叶う気もしていた。生徒会長で成績も優秀だった先輩はあっさり合格したし、俺も追うように生徒会書記も勉強も頑張った。
先輩は高校卒業を控えた一月の朝、雑木林の中で首をつって死んだ。
「……理由は?」
田辺さんが訊く。俺は首をすくめる。
「わかりません」
イジメや家庭の問題。そんなものは、本当になかった。将来に悲観することも考えられない。あまりにも死ぬ理由がなさすぎて、自殺ではなく殺されたのではと言われたが、警察の調査結果は、やはり自殺だった。
俺はそのまま、生徒会を続け、先輩と二人で行くはずだった大学に合格した。
東京に来て。
今更、なんの目標もないことに気付いた。
ここには先輩がいない。
彼の志を継ごうとWordを開いても、小説は書けない。書きたい世界もなければ誰に伝えたいこともない。
もういっそ、本に携わるものはやめようかと思った。今までの自分をすべて捨ててしまおう。要らない。こんなに悲しい現実なら、見たくない。
だから自分の容姿を変えた。派手な友達も作った。女にも奔放でいた。
……でもどれだけ取り繕っても、俺は俺だった。こんなに辛くて苦しくて、寂しくて悲しいのに、からっぽじゃなかった。
面白い家族がいて。
結局は、無理せず付き合える友達ができて。
そしてやっぱり本が、物語が、日本文学が大好きな俺だった。
「…………なるほどね」
俺は、田辺さんにとって、これが重苦しい話に聞こえてないことを祈る。や、重いんだけど。でも彼が気にするようなことじゃないから。忘れてくれてもかまわないとすら、思う。
「もう自分を武装する必要がないってことなのかな……」
彼は小説でも読んだかのように感想を呟く。俺は自分の気持ちをときほぐすつもりはない。そんなの、言葉でどうとでも扱える。
「ただ単に、髪が痛んだからってのもあるし。カラコンも面倒臭いし。ピアスだって、就活までには塞いだほうがいいし。……理由はなんとでも」
「なるほどね」
にっこり笑った。田辺さんが田辺さんでよかった。少しでも違ってたら、たぶん話さなかった。
今度は俺が聞く番だ。
「田辺さんに聞きたいことがあるんですけど、」
「うん。なに?」
「八崎恒雄全集。装丁まで覚えてるかは、わかりませんけど」
「…………?」
「先生の書架に埋もれてた本です。表紙に題名のない本」
「……ああ」
その目に動揺が走る。
「山田くん。中身は見てないよね?」
「見ません。お約束したので」
「そう。……賢人は?」
田辺さんが、先生を名前で呼んだ。きっと『当時』のことを思い出したんだろう。
「言ってません……でも、もしかしたら気付いてるかも。やっぱりあれ、先生のじゃないんですね」
「……千代さんのだよ」
知らない名前が出てくる。
「聞いてるかわからないけど。あいつに昔婚約者がいたって話」
「聞いてます」
「…………。その婚約者がね、書いてた日記。日記っていうか、雑記というか。おれも中は見てないから知らないんだけど」
それは、二人が婚約を解消した頃の話。
大学で、田辺さんの前に彼女は現れた。
一度しか見たことはないが、彼の記憶には鮮明だった。肩で切り揃えた黒髪。可愛らしい背丈。おとなしそうな顔。それが、鬼のように豹変する様も。
髪は長くなっていたし、かなりやつれてもいたが、すぐに彼女とわかった。何故ここにいるのか、怖くなった。
――――賢人の居場所なら、知りませんよ。
――――貴方にお話があって参りましたの。
一体、自分に何の用が? 田辺さんは、そう思ったらしい。
そこで、彼女から婚約の話がなくなったことを知った。そして彼女は、もし貴方があの家にまた本を借りに行くようなことがあっても、決して表紙に題名のない本を手に取らぬように、と告げたのだ。
――――あの家に住まわせて頂いたとき、毎日したためていたものですの。見た目は本そっくりなんですけども、中は私の手記ですわ。未練がましいかとお嫌いになるでしょうけど、どうか。あの方がいつか気付くまでは。
そのときの彼女は、純粋に恋に破れた乙女だった。少なくとも田辺さんは、おそろしいとは感じなかったらしい。
………………結局、田辺さんが再び古城家を訪れるのは、それから数年先。先生が作家になってからだった。彼女の話は忘れていた。思い出したのは、俺が整理整頓を始めてからだったらしい。
「中身。なんだと思います?」
「どっちだろうねぇ。恨みつらみの日記か、健気に綴ったラブレターか」
どちらでもいいのだと、田辺さんも俺もわかっている。これは二人には関係ない話。これも、俺らは忘れていい話。
アイスコーヒーをおかわりして、しばらく沈黙が続く。休憩。核心に至るまでには、もうひとつ、話さなきゃいけないことがある。
やる気のなさそうなウェイトレスが、アイスコーヒーを持ってきた。
彼女が立ち去ったところで、田辺さんが言った。
「…………賢人の新刊は読んだ?」
「読みました」
「……………………あれの最後さ」
「凄かったですね」
「男が人に救われたっていう」
「はい」
「あれ読んで、どう思った?」
「…………色々思うことはありましたけど」
「男が古城先生だとするじゃん」
「……田辺さん、俺」
「うん」
「うぬぼれていいですか」
「めちゃくちゃいいと思うよ」
「…………あれって、俺のことですか」
田辺さんはニヤリと笑って、指を鳴らして俺を指した。
まじか。
…………まじか。
「よく気付いたね」
「根拠ないんですけどね」
俺だとわかるものは、なにもない。俺の名前や特徴が書かれているわけでも、俺が先生に言ったことが使われているわけでもない。俺を暗示するものはない。
けれど最後の部分だけを読み返したとき、何故か強烈にある記憶が呼び起こされたのだ。男が圧倒的に絶対的に救われた、その瞬間。
知っていると、思ってしまった。
俺は実際そこにいて、男を見ていた。
廃墟のラブホテル。
足元の消えかかったハート。
かつてのジンクス。
先生が諦めたあと一歩を、俺が踏み込んで唇を奪ったあの日。
先生は声をあげて笑った。
膝が崩れ落ちるほどに、心の底から。
あの瞬間。
俺からすれば、大人にからかわれて誤魔化されてむかついた出来事だった。
でも、先生は。
………………小説を読まなければ、きっと知らないままでいた。
そろそろ本題に入ろうかと、田辺さんは言う。
「…………あいつと、何があったの」
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