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『番外編:星のひとみ』1
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>>古城賢人
『番外編:星のひとみ』
繕うのが上手くなったとは、思わない。ただ手順を知っただけだ。口角をあげる。目に力を入れる。好きなものを思い浮かべる…………たとえば美しい渓谷、朝焼けの空。目の前の人は見ない。自分がどこにいるのか、意識しない。
書いた小説の映画化が決まり、顔合わせと称して呑み会をすることになった。人嫌いだし本来酒も好まない。だから行きたくもない。仕事だと自分に言い聞かせれば、まるで立派な大人になったような心持ちがして、笑えた。いつの間にお偉くなったんだ、お前は。スーツを着れば、まるで普通の人のよう。身体は歳を取るもの。中身は幼稚なままで。
父親からは暴力を受けて、女にもろくな思い出がない。嫌いと憎むよりも、圧倒的な恐怖におそわれる。さっきから隣の女がベタベタと触ってくるのに吐き気がとまらない。悟られるな。ヤン・ファン・エイク。ボッティチェリ。ミケランジェロ。好きな画家を思い浮かべる。クリムト。レンブラント。ダリ。マグリット。駄目だ限界だ。
酔ったから風に当たりたいなどうそぶいて座敷を出る。都内の高級な呑み屋なぞに縁はない。料理は美味しかったが、こんな状況では食べている気もしなかった。
間接照明でぼんやりとオレンジに明るい廊下を適当に歩く。監督は奇抜で面白い人だった。年上の男だが、ああいうのは怖くない。少年の心を持っている? 違うな。あれは金の使い方も人の動かしかたも知っている大人だ。やりたいことをやれる範囲でやりきる人。自分の行動が人を楽しませ世の中を面白くすると信じて疑わない人。
廊下の突き当たりに御手洗いがあり、その前に灰皿と座る場所がいくつかあった。腰掛けに腰をおろし、煙草に火をつける。頭が痛いのは酒を飲んだからではない。そんなに弱くもない。ずっと緊張していたからだ。
酒も煙草も大学時代よりはやらなくなった。あの頃は生きていることに憂鬱で、かといってわざわざ自殺する気もなく、ただ目の前の時間が早く過ぎるのを待っていた。
二本目に火をつけたところで、むこうから人がやってくるのが見えた。僕はうつむいていたのでそのまま無視する。むこうから声をかけてきた。
「お疲れの御様子ね」
勝ち気な女の声。仕方なく顔をあげる。笑顔をまた作らなくちゃいけない。しんどい。
映画の主演女優だ。年齢は五つくらい上だったか。男が好きそうな女。気取らなくて、さばさばとした。化粧はもちろん、髪も爪もスタイルも完璧だ。気色が悪い。
「…………美人が同席していたので緊張してしまって」
「あなた女嫌いでしょ」
冗談を言ったらピシャリとやられた。有名だ。僕が女嫌いなのは。それでいい。むこうから遠ざけてくれる。
女は灰皿を挟んで向こうの椅子に座った。手慣れた様子で煙草に火をつける。女物の細いシガレット。この女が煙草を吸うとは知らなかった。少なくとも、テレビで見た限りは、そんな印象だった。
むこうが笑顔を作らず、僕に話しかけもしないので、こちらも黙って煙草を吸う。いらいらしたような雰囲気が伝わってくる。関わりたくはない。
大きく白い煙を吐き出して、また女は話しかけてきた。
「いつから女嫌いなの」
「…………さあ」
「千代のことが原因?」
一瞬にして、酔いがさめた。昔の話。親の勝手に決めた婚約者。僕は初めから冷たい態度をとり、当然なにもかもうまくいかず、最後はお互い悲惨な状態で終わった。
あの女の名前を、何故こいつが知っている。
「妹なの」
嘘だろと僕は疑いの目をむける。あれはどこぞの名家の一人娘だ。芸能人の姉などいない。
「正しく言えば妹みたいなもの、だけど。ねえ、私、あなたのことが許せないの」
映画の台詞のように、彼女は僕の目をまっすぐ見て言う。もう作り笑いも必要ない。これは敵。これは女。
「許してもらう必要がありますか。……もとはあなたに関係のない話ですけど」
僕は応える。この女はともかく、あの仕打ちを千代が許せなくても仕方ないと思える。そのくらい酷いことをした。何度振り返っても間違ってたと言える。もっと他にやりようはあった。最初にきちんと話をしていれば、今頃は良き友人として笑いあっていたのかもしれない。僕がここまで女を嫌い、憎み、バカにすることもなかった可能性さえある。で、それがどうした。
婚約者のことも。
大学での自堕落な生活も。
人生で正しいことをしようと思ったことがない。もとから正しくない場所にいたから。
「償ってほしいの」
「あなたに?」
僕は嗤う。無関係なおまえに対して、何故償う必要があるのか。
「そうよ。千代を直接会わせるわけにもいかないでしょう。…………このままじゃまともに演技なんか出来ない。私の大切な妹を追いつめた男が書いたラブストーリーなんて無理。許せない、こんなの。出来ない絶対無理」
喋るうちに興奮していく女を、僕は冷ややかに眺める。嘲笑う。醜い生き物だなあ。
「……ラブストーリーと思って書いてない」
「女がいて男がいて最後は希望なんだからラブストーリーでしょ。監督だってそう売ろうとしてる」
「ふ………暴論だ」
思わず本当に笑ってしまった。原作は辛気臭いから、邦画として売り出すには脚色が必要になる。だから監督は恋愛の要素を盛り込んだだけだ。この女の脳内では、男女が会えば必然的に恋愛になるのか。どうかしてる。
笑われた女は羞恥と怒りで言葉を失う。多分に反論したいようだが、ただ口をパクパクとさせているだけだ。気持ち悪いので目をそらす。綺麗なものだけ見たい。自宅の庭の、朝露に濡れて色鮮やかな苔。埃ひとつない廊下。いつか見た虹。
「……じゃあ、なんで最後、歩道橋の上で抱き合うの」
しばらくして、女は口をとがらせて言った。その仕草は可愛いと思えた。言い訳を必死に口にする子供みたいだ。
「触れることは許すことだから」
それだけ答える。自ら言葉にすると胸が痛む。僕はもう、誰にも許されない。
女は考え込む。そして、言った。
「……そう。じゃあ、」
――――――千代はあなたに、許されなかったのね。
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