アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
1日のおわり
-
「ただいま」
「あっ……兄貴!」
店に入った途端、ショーケースの向こうに立っていた梢が声を上げた。
梢が店に立っていることに驚きつつ、近寄る。
「どうしたの? なんで梢が店にいるの?」
梢は今まで小学生だったこともあり、店に立った経験がない。
夜に接客の練習はしていたけど……どうしてだろう。
問いかける僕の目の前で、梢の目にじわりと涙が浮かぶ。
「あ、兄貴の帰りが遅いから手伝ってたんだけど……勝手が分かんなくて……」
もう梢の涙腺は決壊寸前だ。
慌てて啓太に別れの挨拶をし、店の奥に入る。
そして更衣室で手早くシャツ、ズボンを着替え、黒いエプロンを付ける。
後は鏡の前で三角巾をつけて手を念入りに洗って完成だ。
簡易エアシャワーを抜けて店に入ると、鼻をすすっている梢を啓太が慰めていた。
「梢、ごめんね。なにがあったの?」
「なにもなかったけど……緊張したよぅ……」
……よかった。トラブルがあったわけじゃなかったのか。
初めて店に立って緊張していたところに僕が帰ってきて、安心してしまったんだろう。
背中を優しく撫でて、もう上がるように促す。
今度また、自信がつくように接客の練習を一緒にしよう。
「待たせてごめんね、啓太。あと、梢をありがとう」
「いいってそんなこと。てか、梢も店に立つようになるのかぁ……」
啓太は感慨深そうに呟く。
小さい頃から梢を知っている分、感慨もひとしおなのかもしれない。
「そうだねぇ……って、そうだ、ミルフィーユまだ残ってるかな?」
啓太のお目当てを思い出して、ショーケースを覗きこむ。
ミルフィーユは……あった。2つ残っている。
「啓太、ミルフィーユ2つ残ってるけど、2つでいい?」
「おーラッキー! うん、2つよろしく! あとは父さんと母さんに苺ムースを2つ頼むよ」
「はい。少々お待ちください」
営業モードに頭を切り替え、箱にケーキを詰める。
おいしいと思ってもらえますように、と心のなかで念じつつテープで封をする。
「お待たせしました。賞味期限にお気をつけ下さい」
「おう! 帰ったら早速兄ちゃんに電話しちゃおっと。ありがとな!」
嬉しそうに受け取り、お会計を済ませて啓太は帰っていった。
ふぅ、よかった。
落ち着いたところで店内の様子を伺う。
席はそこそこ埋まっているけど、そこまで忙しそうではなさそうだ。
厨房の方も、父さんがケーキを作っていて、さつきさんがお皿洗いをしてくれている。
3人いればなんとかなりそうだな。
***
それから店内のサービスをしたり、レジをしたりしていたらすっかり日が暮れていた。
時計を見ると閉店まであと30分だ。
オーダーストップもしたし、店内のお客さんもさつきさんに会計をしてもらっている。
店に立つとあっという間だなぁ……他のことを考えている暇もない。
……と、そんなことを思っていたら、ベルがカランと鳴ってお客さんがやってきた。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは、マキちゃん。今日もお手伝い?」
にこやかに声をかけてきてくれたのは、常連のハルエさんだ。
若く見えるけど高校生の息子さんがいる、おっとりとした雰囲気のキレイな人だ。
「はい。今日は友達と話していて、ちょっと遅れちゃいましたけど」
「あらそうなの? じゃあこの時間に来て正解だったわね」
ハルエさんは僕のことを随分と気に入ってくれていて、店に出ているとこうして話しかけてくれる。
ただ問題なのは……僕のことを女の子と思っていることだ。
事あるごとに「息子のお嫁さんになってくれないかしら」と言ってくるのだけど、今まで男だと言い出せないでいる。
言おう言おうとは思っているんだけど……。
「そういえば、マキちゃんは今年高校生よね? おめでとう」
「あっ、はい。ありがとうございます」
「結局、どこの高校にしたの? 秋洛かしら」
……チャンスだ。
ようやく、僕が男だと言える時が来た。
内心緊張しつつ、ニッコリと笑顔を浮かべて答える。
「いえ、坂上第一高校です」
「そう、坂上第一……え? あら? だ、男子校……?」
笑顔のままハルエさんが固まる。
そんなハルエさんに頭を下げて僕は謝る。
「ごめんなさい、ずっと言えなかったんですけど、僕、男なんです」
「あ……あらあらまあまあ……そうだったの。ごめんなさいね、私こそ全然気づかなくて」
ハルエさんの申し訳無さそうな言葉がぐさっと胸に刺さる。
全然気づかなかった……全然……全然……。
「それじゃあ、マキちゃんをリョウちゃんのお嫁さんにもらうのは無理なのね。残念だわぁ」
心の底から残念だというように深いため息をついている。
リョウちゃんというのが件の高校生の息子さんだ。
お嫁さん、お世辞だと思っていたのに、本気だったのか……。
「あらでも、坂高だったらリョウちゃんと同じね」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。見かけたら仲良くしてあげてね?」
「はい」
笑顔で頷くが、あんな大きな学校でリョウちゃんに会うことが果たしてあるのだろうか。
そもそもハルエさんの苗字を僕は知らない。
「えっと、今日はなにを買われますか?」
気にはなるが、プライベートなことだ。
あまり突っ込んで聞くのは良くないかな、と思い、話を打ち切る。
ハルエさんはお話好きだから、こちらから打ち切らないといつまでも話が終わらない。
「あ、そうそう。ミートパイを3つと苺ショートを1つ欲しいのだけど、まだあるかしら?」
「少々お待ちください」
ミートパイは冷めないように厨房の方に置いてある。
父さんにまだ3つあるか声をかけると、幸いまだ残っているようだった。
父さんからミートパイを受け取り、ハルエさんに見せる。
「こちらでよろしいでしょうか?」
「あら、おいしそう! リョウちゃんが食べたいって言ってたから来てみたのだけど、当たりみたいね」
そう言ってうふふとハルエさんは笑う。
ミートパイの情報の出どころはリョウちゃんなのか。
中々の情報通だなぁと思いながら箱詰めする。
「苺ショートは別の箱になりますが、よろしいですか?」
ミートパイと一緒に入れたら匂いが移ってしまうし、熱でクリームが溶けてしまう。
問いかけると、ハルエさんは「わざわざごめんなさいね」と申し訳無さそうな笑顔を向けてきた。
こちらとしては、箱が2つになってしまうことに申し訳無さを感じてしまうのだけど。
ミートパイの入った箱と、苺ショートの入った箱に、お口に合いますように、と念じながらテープを貼る。
「はい、お待たせしました。お会計、1300円になります」
ミートパイが1つ350円。苺ショートが1つ250円だ。
今のところ価格設定に苦情は来ていないから妥当な値段なんだろう。
「ありがとう。それじゃ、1500円からお願いね」
「はい。200円のお返しになります。ありがとうございました」
「こちらこそありがとう。それじゃあ、またね、マキちゃん」
男だと分かってもマキちゃん呼びは変わらないんだな……。
苦笑しつつ店を出て行く姿を見送っていると、ハルエさんが店を出たところで誰かが近づいているのが見えた。
店の光が届かない暗いところにいるからよく見えないけど、男の人のようだ。
もしかして、あれがリョウちゃん……?
興味を惹かれたが、わざわざ見に行くのも野次馬根性丸出しで恥ずかしい。
「槙くん、お皿片すのをお願いしていいかしら?」
「あ、はーい」
さつきさんの声に、僕は店内へと意識を向けた。
***
そのまま閉店を迎え、店内の掃除をしたり戸締まりをしたりして本日の営業も終了した。
「あ、兄貴。さっきはごめんな」
着替えてから家に戻ると、梢がしょんぼりとした様子で出迎えてきた。
「いいよ。それよりも偉かったね、梢。店の手伝いをして」
「ん、なんか忙しそうだったし……母さん、あまり具合よくなさそうだったから」
「そっか……」
梢と一緒に台所へ向かう。
台所では母さんが食卓に夕御飯を並べてくれていた。
「槙、お疲れ様」
「ううん。母さん、具合が悪そうって聞いたけど、大丈夫?」
問いかける僕に「大丈夫よ」と言って母さんは笑うけど、顔色があまり良くない。
母さんは、よく分からないけれど貧血のちょっと酷い病気らしくて、具合が悪い時は長時間の立ち仕事とかができないんだ。
今も足元がおぼつかない。
「母さん、後は僕がやるから、もう休みなよ」
「……そう? ごめんね、いつも」
見かねてそう言うと、母さんは結構限界だったのか、悲しそうな顔をして部屋に戻っていった。
家族なんだから、そんな気兼ねすることないのにな。
「梢、母さんに付き添ってあげて」
「うん」
母さんは梢に任せて、僕は食卓の準備をする。
2人分の用意しかしてないということは母さんと梢は先に食事を済ませたようだ。
「槙、今日は悪かったな」
ちょうど御飯を並び終えた時、父さんが店から戻ってきた。
「ううん、僕こそ帰りが遅くなってごめんなさい」
「気にするな。手伝ってくれているだけでありがたいんだから」
大きな手で頭を撫でてくれる。
それをくすぐったく思いながら、父さんに母さんのことを伝える。
「……そうか。明日病院に行くように言っておくか」
表情を曇らせて父さんは言う。
そして、「様子を見てくるから先に食べていなさい」と言って母さんの部屋へと向かってしまった。
僕も行こうかと思ったけど、みんなで行ったら母さんがまた気を遣いかねない。
あとで、父さんと梢が戻ってきたら様子を見に行こう。
父さんの言うとおり、先にご飯を食べさせてもらうことにする。
今日のご飯は僕の好物の手羽元の煮付けがメインだ。
作ってもらったことに感謝しつつ食べていると、父さんが戻ってきた。
「母さん、どうだった?」
「横になったら随分と楽になったと言っていたよ。念のため梢が傍に付いているが、大事にはならないだろう」
父さんは安心した顔をして席に着く。
そして、優しい目で僕を見て問いかけてくる。
「それで、槙。今日の学校はどうだった?」
「うん、色々あったけど……今日も楽しかったよ」
甲斐の大告白大会。中村君写真事件。甲斐からの初めてのキス。そして……あの人から見た真実。
楽しいというよりも大変だった印象が強いけど、僕まで父さんを心配させる訳にはいかない。
笑顔でそう言うと、父さんは「そうか」と目を細めて笑った。
「……あ、そうだ。浩司がね、同意書を貰ってきてくれたんだ」
食後のお茶を飲んでいる時に思い出し、隣の椅子に置いていた鞄から同意書を取り出して父さんに渡す。
「なるほど、これが同意書か……。書き方見本も付いているのか、親切だな」
父さんも僕と一緒で機械関係には疎い。
お茶を飲む手を止めてふんふんと書類を読んでいる。
「とりあえず、明日までには書いておこう。梢が楽しみにしているからな」
「そうだね。あ、僕の分は土曜まででもいいよ」
「なに、一枚書くのも二枚書くのも一緒だ」
「そっか。ありがとう」
父さんにお礼を言って、お茶をすする。
食器を洗い終わる頃には、もう時間は21時をとっくに過ぎていた。
***
部屋で明日の準備をして、母さんの部屋へ向かう。
静かにドアを開けて顔をそっと覗きこむと、穏やかな顔で寝息を立てていた。
よかった……顔色も良くなってきている。
それを確認し、起こさないように部屋を出る。
「ふぁぁ……」
安心した途端に眠気が襲ってくるが、生憎とまだお風呂に入っていない。
父さんも入り終わったみたいだし、僕も入ろう。
洗面所に立って、ぼんやりと鏡を見る。
撫で心地がいいという黒い髪。高校生の割に童顔な気がする顔。
佐木先輩が88点という理由も、甲斐が好きだという理由も、目の保養になるという理由もさっぱり分からない。
ハルエさんが女の子と間違えていた理由は……もっとよく分からない。
「……」
そういえば甲斐に、キス、されたんだよなぁ……。
された部分に触れると、途端に恥ずかしくなって顔が熱くなる。
鏡の中の僕の顔も真っ赤だ。
こんなに恥ずかしいこと、野々瀬と佐木先輩はよく平気でできるものだ。
両思いで、愛があれば気にならないんだろうか……。
そんなことを思いつつ服を脱ぎ、浴室へと入る。
かけ湯をして湯船に浸かると、思わず「うあー……」とおじさんくさい声が漏れる。
1日の終わりのお風呂は最高だ。
湯船に肩まで浸かりながら、今日一日のことを思い返す。
甲斐。放っておけない僕が好きだと言ってくれた。
告白なんてされたことがないから思い返すとドキドキするけど、これが恋愛感情なのかは分からない。
ただ、今の関係はとても心地いいと思う。
甲斐も今のままでいたいって言ってくれてたし、返事の件は保留でいいだろう。
佐木先輩。かっこよくてピアノが弾けて妙にスキンシップが過多な人。
案外面倒見がよくて僕に携帯の使い方を教えてくれた。
あと、野々瀬の前での情けないところばかり目立つけど、生徒会長さん。
とりあえず、野々瀬に誤解されるような真似はやめてほしいなぁ……。
野々瀬。今日の野々瀬はちょっと変だった。
「大好き」と言ったら顔を真っ赤にして「ボクにはいーちゃんが!」なんてことを口走っていたっけ。
うん、やっぱり言われたりくっつかれたりする方の耐性がないんだろうな。
帰りには自分から抱きついてきていたし、普通に戻っていてよかった。
啓太と浩司。昔から全然変わらない僕の親友。
前向きになった、って言われて少し嬉しかったな。
いつか二人に恩返しができるよう、僕ももっとしっかりしないとね。
でも……あの浩司の野々瀬のお気に入り様は危険な気がする。主に佐木先輩的な意味で。
「……」
そして……氏家、先輩。野々瀬の目から見ても、彼女からの手紙を貰っていないことは本当のようだった。
自分を叩いた相手を怒るどころか心配する器の大きさ。
僕は、この人に謝らないといけない。この人のことを考えただけで心臓がきゅうっとするけれど、逃げちゃダメだ。
謝るのなら、できるだけ早く謝りたい。
だって、僕が2年間引きずってきたように、この人も2年間僕を心配してくれていたんだから。
「……よし」
覚悟を決めたところで、湯船から出る。
しっかり身体を洗って気持ちをしゃんとさせる。
あとはゆっくり寝て、万全の態勢で明日に臨むだけだ。
「まったく、野々瀬の言うとおりだなぁ」
『死地に赴く兵隊さんみたい』という野々瀬の言葉を思い出して、苦笑しながら僕は浴室を出た。
***
お風呂から出て2階に上がろうとすると、階段のところに梢が座っていた。
「梢、どうしたの?」
「兄貴……」
どうも元気が無い。
「あの、ちょっと話があるんだけど……いい?」
「? いいよ。僕の部屋に行こうか」
遠慮がちに問いかけてくる梢に頷いて、部屋に招き入れる。
ベッドの上に並んで腰掛けて梢の顔を覗き込む。
「それで、話って? お店のこと?」
「……ううん、あの、野々瀬さんのこと、なんだけど……」
野々瀬のこと?
一瞬なんで? と思うが、今朝会っていたことを思い出して納得する。
「野々瀬がどうしたの?」
「その……ええと、野々瀬さんって、男なんだよね?」
「……うん。男子校に入るくらいだし、男だよ」
なんだかちょっと嫌な予感がする。
その嫌な予感が的中したようで、梢は「あああぁ……」と呻いて頭を抱えてしまう。
「もしかして、男装の麗人かなーって思ったんだけど……甘かったかぁ……」
「……ねぇ梢、もしかして野々瀬に……」
皆まで言わない。いや、言えない。言いたくない。
だが残念ながら、梢は顔を赤くしてコクリと頷く。
「うん……一目惚れ、したみたい」
やっぱりか!!
確かに野々瀬はかわいい。すっごくかわいい。
でも、まさか自分の弟が野々瀬に一目惚れするなんて思わなかった。
「実は今日、店に出てたのも、さつきさんに野々瀬さんがたまに来てるって聞いたのも理由なんだ……」
「……あのね、梢」
なんという不純な動機で店に立っていたんだ。
頑張っていたし、あまりお説教はしたくないけど、さすがにこれはいかがなものだろう。
けど、言葉を続けようとした時、梢が顔を上げて必死な顔で口を開く。
「でも、一番の理由は母さんが具合悪そうだったからだよ。それはホントだから!」
「……そう」
嘘じゃないことは目を見れば分かる。
僕はお説教をやめて口を閉じる。
……さて、しかしどう言ったものだろう。
梢に恋の相談をされるなんて初めてのことだ。
だけど、野々瀬にはラブラブでベッタベタな恋人がいる。
ここは正直に言ったほうがいいだろう。
「梢。残念だけど、野々瀬には恋人がいるよ」
「……うん、そんな気はしてた。あんなにキレイな人だもんな」
あれ、思ったよりダメージを受けていないようだ。
じゃあ、なにを僕に相談したいんだろう?
「兄貴!」
「!?」
突然、梢はベッドの上で土下座をする。
な、なんだ。なんなんだ?
「俺、野々瀬さんを見れるだけでいいんだ! だから今度野々瀬さんを遊びに連れてきてくれ!」
「……あ、うん。いいけど……手を出さないでね? 恋人の人、怖いから」
「恐れ多くて手なんか出せないよ!」
佐木先輩が何をするか分からないから、野々瀬になにかすることは梢のためにならない。
念の為に釘を差したら猛然と言い返された。
梢にとって野々瀬は神様かなにかなんだろうか。
「……とりあえず、機会があったら遊びに来てって言っておくよ。それでいい?」
なんだか疲れてしまってそう言うと、梢はキラキラした目で僕を見上げて手を握ってきた。
「うん! 絶対な! 約束だからな!」
「あーうん、約束するよ。お兄ちゃん嘘つかない」
「ひゃっほう! サンキュー兄貴! おやすみー!」
僕の投げやりな言葉に、梢は小躍りしながら部屋を出て行ってしまった。
…………わーい、悩みが増えた。
野々瀬って、本当に罪な子だ。
「疲れた……」
盛大にため息をついて、僕はベッドに潜り込むのだった。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
16 / 88