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それぞれの想い
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翌朝、いつものように駅前で野々瀬と合流する。
「おはようございます、野々瀬さん! 番号教えてくれてありがとうございます!」
今日も梢は頬を赤らめて野々瀬に話しかけている。
「こっちこそ、メールくれてありがとうね。これからもよろしくね?」
「はいっ!」
ニッコリ笑顔の野々瀬に何度も頷いて返事をしている。
梢……いや、もうなにも言うまい。
少し立ち話をしたあと、梢は手を振って港中の方へ駆けていった。
そういえば、部活に入ったら朝こうして一緒に出ることもなくなるのかな。
だとしたら、ちょっと寂しいなぁ。
「どうしたの、常磐君」
「え? あ、ううん。行こっか」
少しぼんやりとしてしまった僕の顔を、野々瀬が覗き込む。
そんな野々瀬に笑って首を横に振り、僕は改札を抜けた。
バスの中で、野々瀬に昨日のことを話す。
そう、リョウちゃんのことだ。
「そっかぁ……。先輩がリョウちゃん……」
思った通り、野々瀬はなにやら複雑な顔をしている。
なんとなく言いたいことは分かるんだ。でも、あえて聞くことはしない。
野々瀬だって言っていいことだとは思っていないから、無理に話すこともしないんだろうし。
「それに、お医者さんの息子さんだなんて知らなくて、ビックリしちゃったよ」
「先輩はおうちのことで目立つの嫌がってるからねぇ」
僕の言葉に苦笑して野々瀬が答えてくれる。
それは、なんとなく分かる気がする。
ただでさえ目立っているのに、お医者さんの息子だなんて知れたらもっと目立ってしまうだろう。
特に、女の子たちなんかは余計に惚れてしまいそうだ。
「あ、あとね。さつきさんに氏家先輩のお兄さんのことも聞いたんだ」
「え、そうなの? どんなこと?」
興味深そうに聞いてくるところを見ると、野々瀬はお兄さんがいるらしいということしか知らないようだ。
そんな野々瀬にお兄さんの名前が義政さんということ、放浪癖があるらしいということ、医大に行っているということを話す。
「放浪癖か……そりゃあ先輩もあんまり話したがらないわけだなぁ」
話を聞いて、野々瀬は納得したように頷く。
氏家先輩、お兄さんのこと話したがらなかったのか。話しちゃってよかったのかな?
そんな不安が顔に出ていたようで、野々瀬は笑って「先輩やいーちゃんにはナイショね」と言ってくれる。
「でも、随分と先輩に詳しくなっちゃったね。ボクより詳しいんじゃない?」
イタズラっぽく言われた言葉を苦笑で流す。
野々瀬より詳しいってことはないだろう。僕が知ったのは表面的なことでしかない。
付き合いが長い分、野々瀬のほうがずっと詳しいに決まっている。
「……それにしても、先輩がリョウちゃん、か」
やっぱりそこに話が戻ってしまうのか。
野々瀬は眉を寄せ、頬に人差し指を当てて少し首を傾げる。
これは野々瀬が悩んでいる時の癖だ。
「もう、浅山先輩も適当な事言うよね。氏家先輩と顔合わせるのがちょっと恥ずかしいよ」
「ううーん、浅山先輩はそんな人じゃないんだけどなぁ……」
本音交じりの僕の言葉に、野々瀬は更に首を傾げる。
僕は、浅山先輩のことは全然知らない。
だから野々瀬の言っていることが嘘なのか本当なのか、判断のつけようがない。
見た目はとっても優しそうで、確かに嘘なんてつくような人には見えないんだけど……。
***
「つかさー、おーっす!」
「あっ、いーちゃん! おはよー!」
なんと、教室についたら佐木先輩がいた。
野々瀬の席に座り、こちらに向かって両手を広げている。
その腕の中へ、野々瀬はためらいなく飛び込んでいく。
「おはようございます、佐木先輩。今日は早いですね」
通りすがりに挨拶をする。
「おう、槙。おっす。たまには司を驚かせてやろうと思ってな」
「うん、ビックリしたぁ」
佐木先輩に撫でくり回されながら野々瀬が笑う。
そうだろうな。この前、鳴海町から一緒に行った時の様子からして、佐木先輩は朝に弱そうだ。
仲睦まじい様子にクスリと笑い、僕は席に着く。
「おはよ、常磐」
「おはよう、遠山君」
このやりとりも最早毎日のことだ。
遠山君だけじゃなく、周りのクラスメイトも声をかけてきてくれる。
クラスに馴染んでこれたのかなぁ、と思うと嬉しい。
「お、常磐君、いい笑顔だね! いただき!」
……中村君の激写には、未だに慣れないけれど。
まったく、僕なんかを撮ってなにが面白いんだろう。
何度目か分からないことを思いながら、遠山君と数人のクラスメイトと話をする。
話の内容は他愛もないことだ。今日の授業の話とか、部活の話とか。
「……?」
ふと、佐木先輩と野々瀬が静かなことに気付く。
いつもはキャッキャウフフしているのに。
ちらりと視線を向けると、二人は真顔でなにか話していた。
珍しいなぁ……。
……と、眺めていたら野々瀬と目が合った。
途端、なにかを誤魔化すように笑顔を作られる。
僕が笑い返すと、すぐに視線は逸らされた。
野々瀬があんな態度をとるのは珍しい。
なにか気に障ることをしてしまったんだろうか。それともまた、氏家先輩のことだろうか……。
なんにしろ、直接聞くのはためらわれる。
「――……っと。んじゃあ、教室戻るわ」
遠山君たちとの会話に気持ちを戻してからしばらくして、佐木先輩がそう言うのが聞こえた。
へぇ、今日は珍しいことばかりだ。
野々瀬も引き止める言葉は口にせず、「またお昼ね」と言っている。
佐木先輩が自分で戻るってことは、氏家先輩は今日は来ないんだろうか。
そのことにがっかり半分、安堵半分の気持ちでいると、野々瀬が僕たちの方にやってきた。
「ねぇねぇ、常磐君たち。なに話してるの?」
「あ、野々瀬。鈴木君がね……」
普段と変わらない様子に戻った野々瀬に少しホッとしつつ、僕はみんなと会話を続けた。
……その後、氏家先輩はやっぱり来なかった。
***
「槙。屋上行こうぜー」
「あ、うん」
お昼の休憩。僕は甲斐に誘われるままに屋上へ向かう。
野々瀬ももう一緒に食べるのは諦めてくれたようで、「いってらっしゃい」と手を振って見送ってくれた。
今日も、甲斐の手は僕の手を握っている。
啓太の「積極的になれよ」という言葉を思い出して、ちょっとだけ力を入れてその手を握り返してみる。
甲斐は少しビックリしたような顔をしたあと、眩しいくらいに笑顔になって、力強く握り返してきた。
こんなに喜んでもらえるなんて、やってみてよかった。
「……あっ。先輩たちだ。ちーっす」
3階への階段をのぼっているところで氏家先輩と浅山先輩に出くわした。
「ああ、藤臣にマキちゃん。今から屋上?」
浅山先輩は以前と同じ優しい笑顔で問いかけてくる。
「そっす。さりげなく槙のこと勝手にマキちゃんとか呼ばないでほしいっす。あと、この間みたいに邪魔しないでくださいよ?」
「あはは、どうしようかなぁ」
笑顔を交えて会話をする二人とは対照的に、氏家先輩は静かだ。
なんだか、少し表情が暗い。
「……あの、氏家先輩。こんにちは」
「あっ、ああ。こんにちは、常磐君」
思い切って声をかけると、ぎこちない笑顔で挨拶を返された。
……どうしたんだろう。こんなの、以前の状態に戻ったみたいだ。
もしかして、やっぱり僕のことが許せなくなってしまったんだろうか。
そうだとしたら今朝の佐木先輩の態度も納得がいく。
でも、それならなんでこんなに寂しそうな目で僕を見ているんだろう?
「……氏家先輩」
「ごめん、マキちゃん。早く行かないとパンがなくなっちゃうから。行こう、貴良」
「ああ、そうだな。……ごめんね、常磐君」
話しかけようとした僕の言葉を、浅山先輩がやんわりと遮る。
氏家先輩は申し訳なさそうな眼差しを残して、浅山先輩と階段を降りていった。
「氏家先輩、どうしたんだろーな。なんか、テンション低かったな」
この前と同じ、出入口の裏のベンチでおにぎりを食べながら、甲斐が首を傾げる。
甲斐から見ても様子がおかしかったのか。
「朝練の時は、普通だったの?」
「あー……そうだな、多分。先輩は部活中、いつも真剣だし」
「そう……」
公私は交えないということだろうか。
ほうれん草のおひたしを食べる手を止めて、小さくため息をつく。
あの態度は地味にショックだ。理由が分からないから、尚更。
でも、あの優しい氏家先輩がああいう態度をとるということは、僕が悪いんだろうな……。
「まぁ、槙。そんな落ち込むなよ。そんなに気になるなら、俺が聞いてきてやっから」
”未来の恋人”という肩書を手に入れたからか、甲斐は寛大な心でそう言ってくれる。
それが嬉しくて、「ありがとう、甲斐」と言って回された腕に引き寄せられるまま甲斐の肩に頭を乗せる。
「あ、あー……俺、卵焼き食いてーなぁ」
「もう、今日は卵焼き? じゃあ、はい」
卵焼きを箸でつまんで、口元まで持って行ってあげる。
関係が変わったのだから、これくらいはしてあげたっていいだろう。
甲斐は顔を赤らめながらも、「あーん」と口を開けて卵焼きを受け入れている。
「……やっぱこれ、幸せだわ」
「ふふ、そっか」
照れ隠しに笑い、僕も卵焼きを食べる。
卵焼きには甘い派と甘くないもの派がある。うちの卵焼きは甘い卵焼き。
幸い、甲斐も甘い卵焼き派のようだからお口にあっているようでなによりだ。
「……あ。もしかしてアレ、関係あんのかなぁ」
ふと思い出したように甲斐が呟く。
「アレって?」
「ああ、ほら。休憩中に槙が電話くれただろ? その時、先輩方が周りにいたのは知ってるよな?」
「う、うん」
思い出したら恥ずかしくなってきた。
何人かのバスケ部の先輩がいるところで、「甲斐が好き」って言わされたんだっけ……。
顔に熱を感じながら頷くと、甲斐は話を続ける。
「あん時、氏家先輩と浅山先輩もいたんだよな。あの二人、槙のこと知ってるだろ? それで、もしかして引かれたのかも知んねー」
「……そっか」
僕も甲斐も男だ。その二人が「好きだ」と言い合っていたら、引かれても仕方がない。
……でも、氏家先輩には佐木先輩という友人がいる。
今更、そんなことで引くとは思えないんだけれど……。
そんなことを思いながらお弁当を食べ終わり、カパンと蓋を閉じる。
途端、甲斐が腕の中に僕を囲ってきた。
「か、甲斐。いきなりはビックリしちゃうからやめようね?」
「槙が弁当食い終わるの待ってたんだぜ。そんくらい勘弁してくれよ」
そのまま腰を掴まれ、ひょいと膝の上に乗せられる。
うう、野々瀬と佐木先輩がよくやっているけど、これは結構恥ずかしいよ……。
「だ、誰か来たら下ろしてね?」
「ああ、だいじょーぶだいじょーぶ」
軽い返事に一抹の不安を覚えながら、甲斐の胸に身体を預ける。
背中越しに伝わる鼓動は、余裕ぶっている割に今日もトクトクと早い。けど、それが僕と一緒なんだなって思えて心地がいい。
「なぁなぁ、槙」
耳元で聞こえる甲斐の声にドキドキする。
「な、なに?」
「キス、していいか? 口にじゃなくて、ほっぺたとか、おでことかに」
「え……えぇー……」
甲斐の言っていることは、この間の約束に違反していない。
あれはあくまで、いわゆる身体の関係は勘弁してくれという意味で、キスやそれ以上のことは禁止と言ったに過ぎない。
ほっぺたにキスは、身体の関係にはならないから、まぁ、オッケー……なのかな?
「ん……人前では、やらないでね?」
「分かった、約束する」
言うなり、甲斐は僕の前髪をそっとかきあげ、額に唇を押し付ける。
緊張でドクンドクンする心臓と、甲斐の温もりに触れる心地よさが入り混じって、思わず目を閉じる。
人に見られたら、恋人同士だと思われるかな?
それはちょっと困るけど、甲斐に触れられるのは気持ちがいい。
額の次は目尻、鼻先、頬、唇のすぐ下にキスされる。
むむ。こんなキスの仕方、どこで覚えてきたんだろう。
「……甲斐、キス上手」
「へっ? マジか? 本の知識も案外アテになるもんだな」
少しむくれながら言った僕の言葉に、甲斐はあっけらかんと言って笑う。
なんだ。今までの実体験におけるものじゃなかったのか。
そのことに安心している自分に苦笑し、僕も甲斐のほっぺたに掠めるだけのキスをする。
ヤキモチ焼かせた罰だ。これ以上はしてあげない。
「う、おぉ……。俺、今日顔洗わねー」
「汚いこと言わないでちゃんと洗おうね」
大体、汗で流れちゃうだろう。
笑いながらそう言って、僕は甲斐と恋人もどきのお昼休憩を過ごした。
***
予鈴が鳴ったので教室に戻ると、野々瀬は机に突っ伏していた。
どうしたんだろう、具合が悪いのかな?
「野々瀬、どうしたの? 具合悪い?」
「えっ!? あ、と、常磐君……」
確かに顔色はよくないけれど、それ以上に動揺が目立つ。
なにかあったんだろうか。
「なにかあった?」
「う、ううん……うん。ちょっと、困ったことになっちゃった」
そう言って、野々瀬は俯いてしまう。
佐木先輩と喧嘩でもしたのかな? いや、この二人に限ってそれはありえないか。
「困ったことって、なんだ?」
「そ、それは……まだちょっと、言えないんだ」
甲斐の問いかけに、野々瀬は苦しそうに答える。
なんだか、今にも泣きそうだ。
だからそれ以上は追求せず、僕は野々瀬に問いかける。
「授業、受けれそう? 保健室に行く?」
「……ううん。大丈夫。ありがとうね、常磐君」
明らかに無理をした笑みを浮かべ、野々瀬は5限目の用意を始める。
それ以上口を開こうともしなかったので、僕たちも自分の席に戻って野々瀬に倣った。
***
5限目あとの休憩でも、野々瀬は机に突っ伏したままだった。
なにがそんなに野々瀬を悩ませているんだろうか。
ちょっと心配になって、悩んだ末佐木先輩にメールを送ってみることにした。
「野々瀬の様子が変なんです。佐木先輩、なにか知りませんか?」……送信。
返事はすぐに来た。「放課後付き合え」
……ん? なにか噛み合っていないような気がするんだけど。
首を傾げながらも「分かりました」と返事をして携帯を閉じた。
「んー、補充完了! じゃあ、槙。また明日な!」
「うん。部活、頑張ってね」
しばらく僕におんぶお化けしていたけれど、今日は比較的あっさりと甲斐は部活に行ってくれた。
甲斐の精神もだいぶ安定してきたのかな。
クラスメイトが部活や帰るために教室を出て行くのを眺めながら、佐木先輩が来るのを待つ。
野々瀬は、机に突っ伏すことはやめたけれど、沈んだ顔で頬杖をつき、中庭を眺めている。
それにしても、佐木先輩遅いなぁ。いつもならそろそろ来てもいい頃なんだけど。
そんなことを思っていたら、携帯が軽く振動した。……佐木先輩だ。
「第2音楽室へ来い」? 野々瀬には、聞かせたくない話なのかな?
「野々瀬、僕ちょっと出かけてくるね。先に帰ってもいいから」
「え? あ、うん。もしかしたら、そうさせてもらうかも」
力なく笑う野々瀬に「無理しないでね」と声をかけ、僕は第2音楽室へ向かった。
「失礼します……」
しんと静まり返った第2音楽室の扉を開けながら、そっと声をかける。
佐木先輩は窓際に立って外を眺めていた。
少し開かれた窓から入る風で長めの薄茶色の前髪がなびいていて、きれいだ。
「あの、佐木先輩?」
「ん、ああ……槙。来たか」
「はい。でも、野々瀬を放っておいて大丈夫なんですか?」
扉を締めながらの僕の問いかけに、佐木先輩は苦い顔をして頭を掻いた。
「司のことはしばらく放っておいてやれ。自己嫌悪に陥ってんだ」
「自己嫌悪……?」
思いもよらない言葉に、きょとんとしてしまう。
どうして野々瀬が自己嫌悪なんて? あ、ひょっとして業を煮やして佐木先輩に襲いかかっちゃったとか?
そんな冗談じみたことを考えてみるけれど、佐木先輩の珍しく真面目な顔を見る限りそんなことではないようだ。
「……槙」
真面目な顔のまま、僕の傍に近づいてくる。
な、なんだろう。いきなり変な真似はされないと思うけれど。
「オレぁこういうのが苦手だから単刀直入に言うわ。……貴良が、お前に本気で惚れてる」
「……へ?」
「司が自己嫌悪に陥ってんのはあのヤローとお前の仲を取り持つような真似をしたからだ。知らなかったんだから仕方ねぇだろうによ」
佐木先輩は苛立ちを隠そうともせずにまたがりがりと頭を掻いている。
ええと。氏家先輩が僕に本気で惚れていて。
甲斐と僕の中を取り持ってしまったことを野々瀬が後悔している。
佐木先輩はそう言いたいんだよね?
…………は? 氏家先輩が、僕に本気で惚れている?
「い、いやいや! それはないですよ! だって僕、氏家先輩に酷いことしたし、好かれる要素が無いですから!」
「なにしたのかは知らねぇが貴良本人が言ってたんだ。アイツがそんな冗談言うと思うか?」
「そ、それは……」
言葉に詰まる。
でも、やっぱり好かれる理由が分からない。
「う、氏家先輩は、なんで僕を……?」
「知らねぇよ。本人に聞け」
そっけなくそう言い、佐木先輩はじっと僕を見る。
「……お前もさ、貴良のこと気になってたんだろ? なんで心変わりしてるんだよ」
「そ、それは――……」
……言えない。甲斐が氏家先輩を困らせるのが嫌だったから、なんて。
それに、きっかけはどうあれ、今の僕は確実に甲斐にも惹かれている。
「それは、甲斐が僕なんかのことを本気で好きだって言ってくれたから、です」
嘘は言っていない。だから視線は逸らさない。
僕の言葉にしばらく黙り込んだあと、佐木先輩は大きくため息をついた。
「先着順、ってか」
「えっと……はい。そうなるかもしれないです」
「実際そうなんだろ。ったく、貴良がもうちょいでいいから、恋ってやつに敏感だったら違ってたのかも知んねぇのに」
佐木先輩が吐き捨てるようにそう言うけれど、仕方がないだろう。
氏家先輩は、今まで人を好きになったことがないんだから。
「……槙。オレは貴良を応援するからな。アイツの初めての恋だ。実らせてやりてぇんだよ」
「佐木先輩……。そんなこと、言われても」
「バスケ以外であんなに楽しそうにしてるアイツ、初めて見たんだよ。それから、あのヤローと槙が付き合ってるって知った時に見せた、あんなにショックを受けた顔も、だ」
思い出したのか、佐木先輩は顔をしかめる。
確かに、3階の階段で会った時の氏家先輩は辛そうな表情をしていた。
でも、だけど、僕には”未来の恋人”の甲斐がいて――……。
「まっ、話はそれだけだ。オレは貴良の初恋を全力で応援する。そのことを本人に伝えときたくてよ」
「……そうですか」
要するに、甲斐と僕に対する宣戦布告、なんだろうか。
……一体、僕はどうしたらいいんだろうか。
ようやく、甲斐をそういう目で見られるようになってきたのに。
それなのに、惹かれている相手が自分のことを好きだなんて言われて。
”未来の恋人”だし、甲斐は「振られても構わない」と言っていた。
だけど……それに甘えられるほど、甲斐に情がないわけじゃない。
「色々押し付けて悪ィな。でも、考えてやってくれ。貴良のこと」
そう言って僕の肩をポンと叩き、佐木先輩は第2音楽室を出て行った。
――……僕に、どうしろというんだ。
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