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藤臣家の人々
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それから、甲斐の持ってきてくれた冷たいタオルを目に当てていたけれど、散々泣いた後だったから泣いたことを誤魔化すことはできそうになかった。
「うーん……。まだちょっと、目が腫れてるな。鼻の頭も赤いし」
「うぅ……」
僕の顔を覗きこんでの甲斐の言葉に、僕は恥ずかしさと情けなさでうめき声を上げる。
この間梢に泣き顔を見られたばかりだ。
こんな顔で家に帰ったら、学校でいじめられているとか、そんなあらぬ誤解を生みそうだ。
「あのさ、槙。よかったら今日泊まってくか?」
「え?」
「あー……ほら。その顔だし、雨、まだ酷いし」
言われて窓の外に目を向けると、雨はまだ容赦なくビシビシと窓ガラスを叩いている。
「でも、甲斐。甲斐は明日も部活だよね? それに、急に泊まるなんて言ったらご家族にも迷惑じゃないかな」
遠慮してそう言うと、甲斐はあっけらかんとした顔で笑った。
「確かに部活だけど、槙だって店の手伝いがあるだろ? 朝早いのは一緒だと思うぜ。それに、中学んときにも急にツレが泊まりに来ることあったし。うち、その辺の融通利くからさ」
甲斐は朝7時に起きて、部活開始の9時まで自主練をするらしい。
朝7時なら僕も家に帰ってから少しは開店の準備が手伝えるし、接客の方の支障にはならなそうだ。
そして甲斐のご家族的にも問題はないらしい。
「……いいの?」
正直、今の顔のままで家に帰るのはためらわれた。
タオルで顔を拭ったとはいえ、目元はむくんでいるし、甲斐の言う通り鼻の頭も赤くなっている。
声も鼻が詰まったような、泣いた後だと丸分かりの声だ。
遠慮がちに問いかけると、甲斐は「おう」と笑顔で頷いてくれた。
「うん、それじゃあご厄介になろうかな」
「よっしゃ! じゃ、とりあえず服着替えろよ。湿ってて気持ち悪いだろ?」
「ん、うん」
口には出さなかったけれど、シャツもズボンも湿気を吸っていて身体に纏わりつくようで気持ちが悪かった。
甲斐って気が利くんだな、なんて思いながら差し出されたシャツとジャージに着替える。
着替える前に甲斐は大きめのスポーツタオルを差し出してくれて、その中でもぞもぞと脱いだ僕の服を持って「おかんに槙のこと言うついでに洗濯頼んでくる」と言って部屋を出て行った。
前、僕の裸を見ると興奮するとか言っていたから、そこでも気を遣ってくれたのかもしれない。
それにしても、だ。
分かってはいたけれど、甲斐の服はサイズが全然合わない。
借りたシャツはダブダブだし、ジャージも丈がかなり余っていて、ウエストも緩すぎて立つとずり下がってきてしまう。
これはあまり立たないほうがいいかもしれない。
自分の身体の貧弱さに打ちひしがれていると、甲斐が戻ってきた。
「槙、今日の晩飯鍋焼きうどんでいいか――……ってうお、ぉ……エ、エロいな……」
「エロいってなにさ……」
シャツのボタンを第一ボタンまでしっかり留めてから、じっとりと甲斐を見上げる。
甲斐が「いやそこは2つくらいボタンを外していてくれたほうが」とかなんとか言っているけれど無視する。
「えっと、鍋焼きうどん、僕好きだよ」
「そ、そうか。んじゃおかんに言ってくるわ」
そそくさと甲斐はまた部屋を出て行った。
……甲斐は僕が好きで、裸を見ると興奮する。
そして、僕が甲斐にしてあげられること……。
そこまで考えて、ぶんぶんと首を振る。
甲斐がいくら僕に欲情するといっても、自分から迫るのはやっぱり恥ずかしいし、拒絶されたら立ち直れなくなりそうだ。
甲斐がそんなことを望んでいるとも限らない。
そもそも、女の子とも経験がないのに、男とエッチな事をするというのは……怖い。
だけど、僕が甲斐にしてあげられそうなことといったらそれくらいのことで……。
「ただいま。槙、おかんが風呂入れってさ。お客さんに風邪引かせちゃいけないって」
「へぁっ!?」
悶々と考えているところに声をかけられて、素っ頓狂な声を上げてしまった。
そんな僕を甲斐はきょとんとした顔で見てから、心配そうに顔を覗きこんでくる。
「どうした? なんか顔赤いし。具合悪いのか?」
「え、あ、い、いや、そんなことないよ? っていうか、僕、お風呂最後でいいよ?」
「客人に残り湯使わせるわけにいかねーってよ。風呂まで案内するから、ついてきてくれ」
好待遇に戸惑いながら、甲斐に連れられて渡り廊下へ出る。
ジャージの裾は折り曲げたからいいものの、ウエストばかりはどうしようもなくて僕はずり下がらないように腰のところを掴んで歩く。
渡り廊下を渡り終えて母屋に出て、左側の廊下の突き当りの引き戸の前に和装のきれいな女の人が立っていた。
例のお姉さんの片方だろうか?
「あ、えっと、こんにちは」
ぺこりと頭を下げて挨拶をすると、女の人は上品に優しく笑い、頭を下げ返してくる。
「こんにちは。いつも甲斐がお世話になってます」
イントネーションがこのあたりのものと違う。
TVで聞く、本州の西の辺りのものに似ているような……と考えていると、甲斐が女の人のことを紹介してくれた。
「これ、うちのおかん。おかん、コイツが槙。クラスメイトでダチだ」
「え、お、お母さん?」
びっくりして思わず口に出すと、甲斐のお母さんは口元に手を当ててうふふと笑う。
どうやらこの反応には慣れっこのようだ。
「あー、槙。騙されんな。ただの若作りだからってイテッ!」
お母さんは笑顔のまま甲斐の耳を引っ張っている。痛そうだ。
「槙君、甲斐と仲良くしてくれているみたいでありがとう。今日は雨で冷えるでしょう? お風呂に入って温まってくださいな」
「あ、は、はい」
お母さんに引き戸を開けてもらい、中へと促される。
……広い。
洗面所というか脱衣所は、僕の家の洗面所と浴室を合わせたくらいの大きさがあった。
ぽかんとしている僕に、お母さんは「ここにタオルを置いておきますから、使ってくださいね」と言って傍にあった籠の中にバスタオルと普通のタオルを置いてくれる。
「シャンプーとかボディソープとか、テキトーに使っていいからな」
背後から甲斐の声も聞こえる。
反射的にこくこくと頷いて、僕はなんとか「お借りします」と言葉を発して引き戸を閉める。
甲斐の家って、もしかしてすごいお金持ちなんじゃないだろうか。
和装の、上品できれいなお母さん。大きな純和風の家。庭に池。離れ。そして、大きな脱衣所。
服を脱いで普通のタオルを持ち、浴室への磨りガラスの戸を開けた時、僕は甲斐の家がお金持ちだと確信した。
だって、広い。広い上に檜風呂だ。
檜風呂なんて僕はTVの旅行番組でしか見たことがない。
なんとなく恐る恐る浴室へ足を踏み入れ、かけ湯をする。
にごり湯の張られた檜風呂に入る前に、いつもよりも丁寧に身体と頭を洗う。
シャンプーは甲斐が使っているらしい男物のものと、女性陣が使っていると思われる女物のものがあって、悩んだ末に申し訳ないけれど女物のものを使わせてもらう。
男物のシャンプーは僕の髪質に合わないのか、使うとバサバサになってしまって髪をとかすのが大変なんだ。
桜の香りと書かれたシャンプーとトリートメントは、ふんわりとしたいい香りがしてちょっと欲しいななんて思ってしまう。
ボディソープは甲斐のものらしきものを使わせてもらって、丁寧に流し終えた後で檜風呂に身を沈める。
「これは……いいなぁ」
深すぎず浅すぎず、ゆったりと足を伸ばせる浴槽。檜のいい香り。身体に染みこんで疲れを癒してくれるようなにごり湯。
文句無しのいいお風呂だ。あんまりにも気持ちよすぎて憂鬱な気分までもが洗い流されていくような気がする。
あまり長湯しては失礼だとは思いつつ、うっとりと目を閉じてお湯に身を委ねる。
――……と。
「ちょっと甲斐! アタシより先に風呂入らないでって言ってるでしょ!」
「ひぃ!?」
勢いよく磨りガラスの戸が開かれ、大学生くらいの女の人が怒鳴りこんできた。
突然の出来事に僕は浴槽のなかで身を縮める。
「あ……あら? もしかしてノリの友達? やっだアタシったら! ゴメンなさいね、ごゆっくりー」
怯えた眼差しで自分を見つめる僕の姿に気づいたのか、女の人は一瞬呆気に取られた顔をして、気まずげにホホホと笑いながら戸を閉めた。
……い、今のは、甲斐のお姉さんだろうか。
またこんなことがあっては大変だと、僕は慌てて浴室から出て身体を拭き、甲斐から借りた服に着替えた。
「友達? 私友達なんて連れてきてないけど」
「え、でもお風呂に女の子がいたのよ? ノリの友達じゃないなら誰よ?」
脱衣所の引き戸を開けて廊下に出ると、二人の女の人が立ち話をしていた。
一人はさっきの大学生くらいの女の人。肩までの茶色い髪を緩く巻いている。
お風呂に入ろうとしていたらしく、胸元に着替えを抱いている。
もう一人はこれまた大学生くらいの女の人。眼鏡をかけていて、長い黒髪を無造作に後ろで一つに束ねている。
二人とも僕より背が高そうで、スタイルもいい。顔もどことなくお母さんに似ていて、きれいな人たちだ。
浩司が見たら放っておかないだろうな。
この人たちが、甲斐の二人のお姉さんだろうか?
見た感じだと以前甲斐から聞いた”鬼姉”には思えないんだけれど……。
通りすぎようにも目の前で話をされていて、どうしようかと思っていたら二人が僕に気づいてくれた。
「あ」
「あ」
「こ、こんにちは」
一斉に視線を浴びて、緊張しながら頭を下げる。
「こんにちは、さっきはゴメンね。……で、ノリの友達じゃないの?」
「違うわよ。忘れてるだけでサエ姉の友達じゃないの?」
「い、いくらアタシが忘れっぽいからって、友達の顔まで忘れないわよ!」
むきーっと巻き髪のお姉さんが黒髪のお姉さんに食ってかかる。
黒髪のお姉さんはそれを「はいはい」といなして、僕に笑顔を向けた。
「こんにちは。お見苦しい茶番をごめんなさい。甲斐の服着てるってことは、甲斐の彼女かしら?」
「あ、えっと、その……彼女じゃなくて、クラスの友達で、常磐 槙っていいます」
どうも完全に僕を女の子と勘違いしている様子のお姉さん二人に、申し訳ない気分になりながら頭を下げる。
クラスの友達、という言葉で僕の性別に気付いてくれたようで、お姉さんたちは顔を見合わせてから揃ってホホホと笑った。
「そ、そうだったの。あんまりかわいいから、女の子かと思っちゃった。ゴメンね」
「い、いえ、慣れてますから」
長年勘違いしていたハルエさんに比べたら、この程度の時間の勘違いなんてかわいいものだ。
笑って首を横に振ると、お姉さんたちは安心したような顔をして自己紹介してくれる。
巻き髪のお姉さんは長女の佐恵子さん。大学生に見えるけれど社会人だそうだ。
黒髪のお姉さんは次女の紀子さん。大学4回生だからさつきさんと同い年かな。
それから少し年齢が離れて長男の甲斐。藤臣家の姉弟構成はこうなっているらしい。
「そっか、君が槙君なのね。いつも愚弟がお世話になっているようで、ありがとね」
「いえ、僕こそいつもお世話になっています」
頭を下げてくれる紀子さんに頭を下げ返す僕を見て、佐恵子さんが感心したように口を開く。
「甲斐のツレにこんなに礼儀正しい子がいるなんて、びっくりだわ」
「そ、そんなことは……」
「あるわよ。アイツのツレ連中ときたら、アタシたちを鬼か悪魔かって感じで顔を見るなり逃げ出して。失礼しちゃうわ」
それは甲斐が悪評を吹聴しているからだろうなぁ。
まぁ、僕もお風呂に怒鳴り込まれた時はびっくりしたけれど。
「ちょ……おい! お前ら、槙になにしてくれてんだコラァ!」
そのまましばらくお姉さんたちと世間話をしていたら、様子を見に来たらしい甲斐が大慌てで駆けよってきた。
そんな甲斐を「うるさい」と佐恵子さんが腹部への蹴りで止める。
ふんわりとした女の子らしいスカートがめくれあがって、中が見え……
……見ていない。僕は見ていない。
「くっそ、この暴力女がっ……!」
お腹を押さえつつ、甲斐が悔しげに呻く。
よろめいてはいるけれど、意外とそこまでのダメージは受けていないようだ。
「か、甲斐、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、慣れてるから。いきなり人をタカリみたいな扱いするから悪いのよ」
甲斐の傍に寄る僕に、紀子さんが軽い口調で言う。
うぅ、甲斐が”鬼姉”っていう理由がちょっと分かった気がする……。
「まあ、佐恵子、紀子! お客様の前で、なにをしているの?」
騒ぎを聞きつけたのか、甲斐のお母さんが小走りで寄ってくる。
佐恵子さんは自分を睨んでいる甲斐に「べー」と舌を出して、脱衣所に逃げ込んでしまう。
残された紀子さんは音を立てて閉まった引き戸を恨みがましい眼差しで眺め、気まずそうに頬を掻いた。
「ごめんなさいね、槙君。うちの娘たちったら、お行儀が悪くて」
「い、いえ……」
この上品なお母さんに育てられながら、どうして甲斐もお姉さんもワイルドに育ってしまったんだろう?
そんなことを思う僕の内心を察したのか、甲斐が小声で「おとんに似てるんだよ」と耳打ちしてきた。
おとん……お父さんのことか。
どんなお父さんなのか気になるけれど、今は甲斐の方が気になる。
「甲斐、本当に大丈夫?」
「ああ。鍛えられてるからな」
ちょっと前かがみになっていた甲斐は、しゃんと背筋を伸ばして笑ってくれる。
どうやら本当に大丈夫のようだ。
お母さんにお説教されている紀子さんを残して、僕は甲斐に連れられて離れに戻る。
「槙こそ、大丈夫だったか? セクハラとかされなかったか?」
「う、うん。大丈夫だよ」
お風呂場に怒鳴り込まれたことは黙っていたほうがいいだろう。
文句を言いに行った甲斐が佐恵子さんに返り討ちに遭う未来が見える。
笑って僕がそう言うと、甲斐はほっと息をついて頭を掻いた。
「うちの姉貴たち、あんなんだからあんまツレに会わせたくねーんだよな。よりにもよって槙が会っちまうなんて、サイアクだ」
「で、でもすごくきれいなお姉さんたちだね」
「見た目だけだけどな」
僕のフォローも一言で切り捨てられた。
僕もそれ以上のフォローが出来なくて、アハハと笑ってごまかすことにする。
あんな感じのお姉さんだと、年も離れているから甲斐も頭が上がらないんだろうな。
「とりあえず、晩飯にはまだ早いし、なんかすっか」
「うん。……あ、ごめん。ちょっと家に電話してもいいかな?」
「あー、そういや連絡してないんだっけ。鼻声も治ってるし、電話しとけ」
甲斐の了承を得て、携帯を開く。
啓太に野々瀬、なんと浩司からまでメールが来ている。
……心配、させちゃったな。
後で甲斐がお風呂に入っている時にでも返信しようと思いながら、自宅に電話する。
『はい、常磐です』
電話に出たのは梢だった。
「あ、梢? 僕だけど」
『兄貴? どうしたんだよ。なんかさっき啓太先輩と浩司先輩と野々瀬さんがお店に来てくれて、兄貴は帰ってるかって聞いてたけど、一緒にいるんじゃないのか?』
「うん、ちょっと高校の友達の家に遊びに来てて。それでね、雨も酷いし今日泊まらせてもらうことになったんだ」
『へえ、兄貴が泊まりかぁ。ちょっと待ってて、母さんに伝えてくるから』
それからしばらく保留音が流れる。
啓太たち、お店にまで来てくれたんだ……。
後でたっぷり謝罪のメールをしようと考えていると、保留音が止まって『もしもし?』と母さんの声がした。
「あ、母さん。梢から聞いた?」
『ええ。でも、急に泊まらせて頂いて大丈夫なの? 相手のお宅のご迷惑にならないかしら』
「うん、それは大丈夫。ごめんね、急に。明日の開店までには帰るから」
『そう……。ご迷惑にならないのなら、いいのだけど。分かったわ、お父さんには伝えておくわね』
くれぐれも失礼な真似はしないようにね、と釘を刺して、母さんは電話を切った。
なんとなく、ふぅと息が漏れる。
「お袋さん、なんだって?」
「ん、失礼な真似はしないようにって。泊まり自体は許してもらえたよ」
「そっか。それならよかった」
そう言って甲斐は笑い、それからごそごそとその辺りを漁って色んな物を取り出してくる。
携帯ゲーム機にオセロ盤、キャラクターもののおもちゃの麻雀まである。
「晩飯までなんかして遊ぼーぜ。なにがいい?」
「うーん、そうだなぁ……」
と、考えたところで僕が甲斐にしてあげられることを一つ思いついた。
甲斐はあまり喜ばないだろうけれど、大事なことだ。
「それより甲斐。もっと僕たちのためになることをしない……?」
「え」
僕の言葉に甲斐は一瞬固まり、それから顔を赤くしてあたふたとし始めた。
「ま、槙。それは――……ちょ、ちょっと待ってくれ。嬉しいけど、俺まだ風呂入ってないし、心の準備ってものが……」
……やっぱりそっちを考えてしまったか。
誤解させるような言い方をしてしまったことに後悔しつつ、僕は甲斐の学生鞄を指さしてにっこり笑った。
「お勉強、しよう? 来月には中間テストもあることだし。今のままじゃ甲斐危ないでしょ?」
「…………。そっすね……」
臆病でごめんね、甲斐。多分、もうちょっとしたら僕にも覚悟ができると思うから。
がっくりと項垂れながら鞄から教科書とノートを取り出す甲斐に内心で謝り、僕はちゃぶ台を挟んで甲斐と向き合った。
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