アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
2.庭園での出会い
-
コツコツと王宮の回廊に足音が響き渡る。
ここは人通りの多い回廊ではなく比較的人の少ない場所で、いわゆる王の側仕えの者達が通る場所でもあった。
カミルはその回廊を歩きながら自身の婚約者へと思いを馳せていた。
ミルチェ=フロスタイン。
彼女は侯爵家の令嬢だ。
彼女が10歳の頃に婚約し早6年。
来年彼女が17になったら結婚しようと話を進めていたのだが、ここ最近彼女の様子がおかしいと密かに送り込んでいる間者から話を聞いた。
これはやはり近々ある国王陛下の花嫁選びのせいなのだろうか?
確かに侯爵令嬢である彼女なら妃に選ばれても何ら不思議はないしそわそわする気持ちもわからないでもない。
けれど万が一にでも彼女が選ばれればおとなしく身を引くが、そうでなければ自分たちは予定通り結婚することだろう。
政略結婚なのだからこれはまず間違いがない。
だからこそ行動には気を付けてもらいたいという気持ちが少なからずあった。
正直彼女のことを好きかと聞かれたら微妙だと思う。
容姿は申し分ないほど美しいが、時折自分と話をしていても嘲るような色を瞳に滲ませるのであまり自分から積極的に会話する気になれないのだ。
領地の話にもあまり興味がなさそうだし、言ってみれば贅沢さえできればそれでいいという典型的なご令嬢。
これで好きになれという方が無理な話だ。
「はぁ…」
(本当に…陛下が彼女を引き取ってはくれないだろうか?)
口には絶対に出す気はないが、婚約破棄できるのならいくらでも押し付けてやりたいと思ってしまう。
彼女がせめてもっと自分好みのタイプであればどれほどよかっただろう?
領地を一緒に盛り立てていけるような才女やせめて穏やかに微笑みあいながら他愛のない話をすることのできる相手であればよかった。
けれど彼女が持っているのは美貌と侯爵令嬢という肩書だけで、性格の不一致は言うまでもない。
そんな彼女との未来など憂鬱でしかない。
何が悲しくて仕事から帰ってからも神経を張り詰めねばならないのか。
「いっそ爵位は弟に譲って騎士団にでも入ろうかな…」
弟は綺麗な彼女を見ていつも称賛しているし、多分押し付けられても文句は言わないだろう。
寧ろ喜びそうな気がする。
自分は文官ではあるが剣を振るのは好きだし、自主訓練だって怠ってはいない。
剣を振ると仕事でたまったストレスもどこかへと吹き飛ぶし、汗をかいた後の爽快感はたまらない。
あながち悪くない案だなと思いながら、家に帰ったら今日もまた剣を振ろうとふっと表情を緩め手にした書類を抱えなおしたところで、その音は耳へと飛び込んできた。
ヒュンヒュンと風を切る音が聞こえてくる。
これは庭園の方からだろうか?
このような場所で剣を振るのは一体誰だろうと思いながらそっとそちらの方へと足を向けるとそこには騎士服に身を包み剣をふるう一人の男性の姿があった。
(あれは……)
自分の記憶違いでなければ彼は第二騎士団団長ではないだろうか?
若くして団長に就任した伯爵家の次男―――エドワード=ロワル。
どこか線が細いその容姿にそぐわぬ剣武の才は他者を全く寄せ付けぬほどの素晴らしいもので、王の覚えも目出たいと聞く。
そんな彼が騎士団の訓練場ではなく今ここで剣の訓練をしているのはどういうことなのか?
ヒュンヒュンと音を立てて一切の無駄なく振り下ろされるその剣筋は鋭く、美しい。
けれどその眼差しはまるで何かに耐えてでもいるかのように…いや。何かを吹っ切ろうとでもしているかのようにどこか頼りなげで、何故か守ってあげたいと思うようなものを感じさせた。
そうして思わず見惚れるように彼を見つめながらその場に立ちすくんでいると、ふと彼の目がこちらへと向けられた。
「はぁ…はぁ…。カミル様?」
正直その言葉に驚きを隠せなかった。
まさか彼の方が自分を見知っているとは思いもしなかったからだ。
「……不躾に見つめて邪魔をしてしまったでしょうか?」
思わず申し訳なかったと謝罪の言葉を紡いだが、彼はいいえと首を振ってくれる。
「こちらこそ、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ございません」
そう言って微笑んだ彼の顔はどこか無理をしているようにも見え、何故か心がざわつくのを感じた。
庭園に差し込む日の光が彼の金の髪に反射し眩しく乱反射する。
「カミル様?」
呼び掛ける彼の声が耳に心地よく響き、こちらへと向けられた綺麗な蜂蜜色の瞳は深みがあって何故か心捉えられるような気がした。
「あ、いいえ。私も剣を嗜むものですから、先ほどの貴方の剣技を思い出して以後に生かしたいなとふと思い、思わずぼんやりとしてしまいました」
正直自分でも苦しい言い訳だとは思う。
けれど彼はその言葉に疑問は抱かず、どこか憂うように下を向き、儚く微笑んだ。
「先程の剣技は…見るに堪えないひどいものだったでしょう。どうか忘れてください」
正直どうして彼がそんなに卑屈になるのかはわからなかった。
今彼はいったいどういう心境でこの言葉を紡いでいるのだろうか?
自分には何かとても重いものを抱え、それを振り払いたい一心で剣をふるっていたように見えた。
だから―――――。
「ロワル騎士団長。今お手隙ですか?」
「え?」
「実は私の剣は基礎は兎も角、今はほぼ自己訓練のものでして。もしよければ少しご覧いただいても構いませんか?」
「……」
「剣をお借りしても?」
当然だが自分は文官なので今剣を手に持ってはいない。
だからそう口にしたのだが、エドワードは少し困ったようにしながら申し訳なさそうに断りを入れた。
「すみません。騎士は己の剣を人に貸し与えることはできないのです」
その言葉にそう言えばそうだなと思い至り、迂闊な自分に思わず苦笑が漏れた。
「そうですよね。考えが至らず申し訳ありません」
「いいえ。訓練場の方でしたら予備の剣があるのですが…」
どうしますかと暗に促されはしたものの、自分も今はまだ仕事中だ。
さすがにそれほど時間に余裕があるわけではない。
「では剣の方はいずれ機会があればお願いいたします。実は先ほど騎士団に入ってみたいなと考え事をしながら歩いていたので、ここで騎士団長にお会いできて運命的なものを感じてしまったのですよ」
ふふっと明るく笑ってそう話を振ってみると、先ほどまでどこか悲壮感が漂っていた彼の空気が変わった。
一瞬目を丸くしたところでこちらを見ながら緩く微笑んでくれたのだ。
「騎士団の訓練は大変ですよ?」
「ええ。きっと最初はついていくのが大変だと思うんですが…剣を振るのが好きなので、文官よりももしかしたら性に合っているかもと思って」
「普段の稽古はどのような感じで?」
「そうですね。仕事が終わってからですし、素振り300回程が限界ですかね。あとは昔教わった基礎の型を反復するくらいでしょうか」
「それは凄いですね。文官の方でそこまで剣を振ってらっしゃる方はそれほどいないと思います」
「そうですか?ストレスも発散できるし、頭もスッキリするのでいいと思うんですけどね」
そうして暫し効果的な訓練法や剣を振るときの踏み込み方などを教えてもらい、笑顔で別れることができた。
何があったのかはわからないが、少しでも自分との会話で張りつめていた気持ちが落ち着くといいなと思いながら、そっとその場を離れたのだった。
*****
カミルの後姿を見送りながらエドワードはふと気持ちがほんの少し楽になっているのを感じた。
あれほど遣る瀬無い気持ちを振り払おうと躍起になっていた先程までとは違い、今は少し一息つけたような気がする。
カミル=シルフィード。彼は公爵家の嫡男だ。
深緑の森林を思わせるような瞳を持ち、大地を思わせるアースカラーの髪色を持つ人物でもある。
彼とは今日初めて話をしたが、思っていたような無口な人物ではなく、なんだか落ち着く雰囲気を持った不思議な人物だなと思った。
「はぁ…。行くか」
僅かではあるが、彼のお陰で気持ちも落ち着いたことだし、騎士団の方に戻ろうと思うことができた。
これで必要以上に部下を扱かずに済む。
そう考えていたところで遠くの方から自分を探しに来た部下の姿が見えた。
「あ、団長~!お疲れ様です!」
「デビッドか。どうした?」
「いや。新人が団長がいないのをいいことに気が抜けた様子で訓練をしているので、そろそろお戻り頂きたいと思って探しに来たんですよ」
「ああ。そうか」
なんとも間の悪い新人だ。
今このタイミングで気を抜くとは。
「では精々その弛んだ精神を鍛えてやるとしようか」
「お手柔らかに頼みますよ?」
「私はいつだって優しいだろう?」
「それ、団長基準ですからね?第一騎士団の奴らは知りませんけど、うちじゃあ団長を優しいだなんて評す奴は一人もいませんから」
「へえ?じゃあ陰ではなんて呼んでいるんだ?」
「天使ですよ」
「普通に優しそうじゃないか」
「やだなぁ。天使が黒い笑みを浮かべるから怖いんじゃないですか」
あっけらかんと言い放たれた言葉に思わず苦笑が漏れる。
どうやら『今日も天使は怖かった』だの『天使の一撃が厳しかった』だのと口にされているらしい。
「そういうことなら天の軍団を率いる大天使ミカエルのようにしっかりしないといけないな」
そうだ。自分も腑抜けている場合ではない。
早々にいつもの自分を取り戻さなければならない。
「そうですね。是非これからも超然としながら第二騎士団を率いてください」
こんな軽口で気安く話してくれるデビッドだが、そこにあるのはやはり尊敬の念だ。
『超然としながら』という言葉がすべてを物語っている。
だからだろうか…?
折角先程軽くなった気持ちが、また少しだけ重くなったような気がした。
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
2 / 6