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30 白石圭介side
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俺は聞いてしまった。
いや、正確には聞こえてしまった、という表現の方が正しいのかもしれない。
それは自分の家族に対する言葉としてはあまりにも
冷たくて、鋭くて。
どこまでも温度のない冷え切ったソレは、
俺の思考を停止させるには充分過ぎてお釣りがくるほど。
桜木が保健室で目覚めたあと。
俺らの担任である本城先生は、彼に
「 お母さんの方には電話が繋がらなかった 」
と言った。
でも違う。
そうじゃない。
あれは嘘だ。
桜木を傷つけないための、悲しい嘘。
だって俺は聞こえてしまったから。
桜木が保健室で寝ている間、
担任が携帯で桜木の母親らしき人に連絡をした時。
理由と一緒に、迎えに来て欲しいという旨を伝えた先生に
対して返ってきた言葉。
「 アレはうちの子じゃありません 」
静かでしんとした保健室。
電話の向こうの、少し高めの女性の声は虚しく響いた。
途端に凍りつく空気と、その場にいた全員の固まる表情。
一瞬聞き間違いかと思ったけど、保健室は凄く静かで、
電話の向こうの機械音混じりのこもった声は意外と良く聞こえる。
一方的に電話を切られた担任は、携帯電話を耳に当てたまま目を見開きしばらく立ち尽くす。
保健医は目を細めて眉間にしわを寄せ、体育科の先生は明らかに動揺した顔で目を泳がせていた。
俺は俺で、どういう顔をしたらいいのか全く分からなくて、
拳を握りしめて俯くことしか出来ない。
まさかあんな言葉が返ってくるなんて誰も思わなかったのだろう。当たり前だ。
子供の体調不良を聞かされてあんなに冷たい言葉を返す親が
いるなんて誰が思うというのだ。
誰も何も言えなかった。
静かな無言の時間が淡々と流れていく。
ただ唯一、桜木の弟だけが薄い笑みを浮かべていた。
口角は上がっているのに、その顔は酷く無表情に見え、悲しそうに視線を落としている。
そしてそのあとすぐに桜木が寝ているベットまで走って行き、
静かにその顔を覗き込んでいた。
きっと寝ているか確かめたんだと思う。
もし起きていたら今の言葉を聞いていたことになるから。
桜木の弟はほっと安心したように肩をすくめ、
携帯を取り出して誰かに電話をかけ始めた。
会話の内容から察するに、きっと父親だろう。
桜木の弟が父親と話しているのをなんとなく聞く。
どういう家庭環境なんだ......と、他人ながらにあれこれ考えたところで、さっきの言葉が正当化されるような理由なんて俺には分かるはずもなく。
咄嗟に桜木の弟に桜木の連絡先を聞いて、自分の携帯に登録した。でもさっきまでクラスの誰も知らなかった番号が表示されるディスプレイが悲しく見えるのはどうしてだろう。
ただ思うのは、
あんな悲しい言葉が吐かれたのが
桜木が起きている時じゃなくて本当に良かったってことだけ。
さっきの言葉のショックが大き過ぎて頭がぐるぐると回ったように感じる。
そして少し考えてぼんやりと分かった気がした。
桜木が何故「先生を呼ぶな」と言ったのか。
きっと騒ぎになって、今みたく親に連絡されるのを避けたかったのだろう。
あんな言葉が返ってくると分かっていたから......?
必死になって「大丈夫だから」、と繰り返し俺に縋り付いてきたあの手の意味を、桜木の本心を、
理解してしまったことが良い事なのか悪い事なのか。
考えれば考えるほど
ひたすらに浮かぶのは罪悪感で。
俺は桜木の顔を真っ直ぐに見れないかもしれない。
そして目が覚めた桜木は、
俺を見るなりやっぱり冷たく鋭い目でこちらを睨んできた。
きっと避けたかった事態が起こってしまったからだろう。
だけど俺は何も出来ない。
現状は把握しても助けてあげられないし、桜木が今どういう
気持ちなのかも分からない。
それが歯痒くて。
悔しくて。
だから桜木に謝りたかった。
それなのに。
桜木は保健室を出る前、ふらふらしながらも真っ直ぐに俺の方に来て、「 ごめん 」と謝ってきた。
それから助けてくれてありがとう、とも。
それも酷く泣きそうな顔で。
なんでだよ、
なんでお前そんな顔で礼なんか言うんだよ。
きっと今の状況は桜木にとって不服であるはずなのにそんな事を言わせてしまうなんて......。
辛そうに歪められた顔を見てると、こちらも泣きそうになってしまってなんだか悔しい。
今一番辛いのは桜木なのに。
どうして。
どうして。
その日は部活を休んだ。
全然走るような気分じゃなかったから。
いつもなら嫌なことがあっても、トラックを全力で走れば
スッキリするのに。
今は心に鉛をぶら下げられたみたいに重たくて、足枷がついたように上手く歩けない。
あぁ、気持ちが悪い。
でも桜木はもっと辛くて重たいものを背負っているのかもしれないと思うと余計に辛くて。
明日あったらちゃんと話してみよう。
......そう思ったのに彼は次の日学校には来なかった。
ぽっかりと空いた席は寂しく俺の視界にチラつく。
午前中の授業なんか全然頭には入らず、ずっと桜木のことを考えていた。
身体大丈夫かなとか、今何してるかなとか、
家族と上手くやってんのかなぁとか。
そんなこと考えてたら昨日の出来事を思い出してしまって。
桜木が独りで家にいるかもしれないと思ったらなんかじっとしていられなくなって電話した。
なにを話すとか決めてないしそもそも電話にでてくれるかも分からなかったけど発信ボタンを押す。
けれど数回コール音がなっても全然でる気配がない。
.......寝てるのか。
ずっと鳴らし続けるのも悪いしからもう切ってしまおう......
そう思って携帯の画面をタップしようとした瞬間。
「 .........もしもし。」
昨日聞いた時よりも弱々しい掠れた声が小さく聞こえた。
体調は決して良くなさそうな声だった。
でも何故だか知らないけど、桜木の声を聞いたら凄く安心して少し笑みがこぼれる。
だけど素直に「心配してた」とか「声聞いて安心した」とか
言えるほど俺は大人じゃない。
恥ずかしくなってつい
「死んでんじゃねぇかと思って」と憎まれ口を聞いてしまっても、桜木は「今生き返った」と冗談めいた言葉で返してくれた。心なしか少し声が元気になった気もする。
数回会話をして、俺が心配しなくても桜木は大丈夫なのかもしれない。昔から人に深入りしすぎるのが悪い癖だと誰かに言われたことがある。
今回もそのパターンか、
と思ったとき、ふと電話の向こうが静かになった。
そして聞こえた嗚咽。
必死で声を抑えようとしているのが分かる。
苦しそうに息をしながらしゃくりあげる桜木の声を聞いて、
思考が停止してしまった。
え、え?
なんで、どうして。
酷く動揺したのが自分でも分かるほど、心臓が嫌な音を立てて鳴っている。
電話越しに伝わる相手の 熱と 孤独と 悲しみ。
それらが、電話の向こうの桜木の中から溢れ出しているのだと思うと、それをすくいあげてやらないとって思った。
なのに。
彼は泣きながら「ありがとう」って言って一方的に電話を切ってきた。
桜木がありがとう、なんて言えるような心穏やかな心境ではないのは確かで。
絞り出したようなあの声も、漏れる嗚咽も、俺が何か言う前に電話が切れて聞こえなくなってしまうと無駄に頭に響く。
それから何度かけ直しても桜木はでなかった。
なにかあったとしか考えられない。
昨日最後に見た桜木の辛そうな顔が鮮明に脳裏に浮かぶ。
だから桜木が学校に来た時は酷く腹が立った。
この前見た時よりも痩せていて、顔色が悪いにも程がある。
目の下にはクマができているし、いつもより猫背の背中は縮こまって体調が万全じゃないのが丸わかり。
だいたいあの電話の切り方はいくらなんでも心配かけすぎだ。
桜木が学校に来てくれて嬉しいのに、心配する言葉よりも先に自分の苛立ちをぶつけてしまうくらいには、あの時からモヤモヤがたまってたんだろう。
また桜木は呑気にありがとうとかほざくし。
それに休んでた間のことを聞いたら
ご飯食べてないとか言いやがる。
いよいよ心配になった時、
見てはいけないかもしれないものを目にしてしまった。
桜木も動揺したように少しだけ目を見開いた後、
「しまった」とでも言いたげに顔を歪ませる。
桜木の手首にある青黒いアザ。
絶対になにかでぶつけたものではないようなソレは、
桜木の手首をぐるっと一周するようにくっきり浮かんでいて、
まるで縛られたみたいな痕。
どうして俺はいつも聞きたくないものを聞いてしまったり、
見てはいけないものを見てしまうんだ。
案の定桜木は「 なんでもないから 」と言ってさっさと席に着いてしまった。
きっと触れられたくない話題で、なにも見なかったことにしてほしいのだろう。背中がそう語っている。
でもとてもじゃないが見なかったことにして
忘れるなんてできない。
雷にうたれたみたいな衝撃だったから。
ぐるぐると、頭の中で考える。
母親のあの言葉。
さっき見えた痛々しいアザ。
桜木が言ってた、ご飯食べてないっていうのも
もしかしたら食事を与えられていないんじゃ......
「 ...............虐待.....、とか.... 」
自分でぼそっと呟いてハッとする。
だってそうなら辻褄が合う......気がする。
こんなこと考えてる時点でもう
頭の中は桜木のことでいっぱいになって。
桜木が嫌だと言っても、やっぱりちゃんと話をするべきだと思った。
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