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ガチャっと玄関の鍵を開けて中に入ると、いつもと同じ暗く不気味な廊下が伸びる。
サッと靴を脱いで自室への階段を上がろうとすると
千里に「ねぇ」と声をかけられて呼び止められた。
「 なに?」
振り向くと、不思議そうに俺の手をまじまじ見ながら小首を傾げる千里がいた。
「 なんでその手包帯ぐるぐる巻きなの?」
俺の手を覗き込み、大げさな手当てを見て少し顔をしかめた。
「 ……今日怪我した、刃物で」
聞かれるだろうなぁとは思っていたので、大したことないという意味も含めて軽く肩をすくめてなんでもない口調でそう答えた。
けれど千里は眉間にしわを寄せて
「 誰にやられたの?」と意味の分からないことを聞いてきたからちょっと笑ってしまった。
「 誰にって……別に誰でもないよ、俺の不注意。」
「 そんな大袈裟に包帯巻くくらい深い傷?」
「 別にこれ巻いたの俺じゃないしね、念には念をってことなんじゃない?知らんけど 」
「 大丈夫だったの、ねぇちょっと見せて…」
「 しつこい 」
千里があまりにも色々聞いてくるのでめんどくさくなって、
ピシャリと言い退けると、不満そうな顔で小さく舌打ちされた。
「 心配してやってんのに 」
千里が、わざとドサっと大きな音を立ててカバンを床に置いてこちらをキロリと睨んだ。
責めるようなその視線に少し気圧される。
確かに俺のことを心配してくれてるのに、少し言い方が悪かったかもしれない。
深く聞かれなくなかったからとはいえこんな風に突き放しえしまえば返って逆効果かもしれないし。
ここで千里の機嫌を損ねるのもかなり面倒くさいから避けたい。
「 ごめんね、でも本当に大したことないから」
重たくなりかけた空気を払うためにちょっと笑いながら言うと、千里の表情がほんの少しだけ柔らかくなった。
「 最初から言ってくれれば荷物持ってあげたのに 」
「 うん、ありがとう……」
ここで肯定の意思を見せておいた方がきっと千里の気分もよくなるはず。
なんて考えてしまうのもいつもの癖で。
でもこういう些細なご機嫌取りも、実は千里に見透かされているかもしれないと思うと酷く気持ちが悪いし落ち着かない。
「 包帯変える時声かけてね、俺やったげる。」
千里が軽くため息を零しながら俺の肩をポンと叩いた。
そして思ったよりも優しい言葉がかけられた。
「 ありがと、じゃあお風呂の後にお願いしようかな」
「 ん、」
「あ、まって千里」
トントンと階段を上っていく千里を呼び止めると、彼は上半身をこちらに向けて振り返る。
「 ……?」
目をパチリと開いて小首を傾げる千里を階段の下から見上げて、軽く息を吸った。
ちょっと気持ちは乗らないけど仕方ない。
「 話ある。今から部屋に行っていい?」
俺の言葉を聞いた千里はうっすらと目を細めて首を傾げた。
「 話……? 別にいいけど…… なに」
俺を疑うような目。
こんな風に自分から千里に接触を求めにいくことなんて普通はないから、俺がなにをしようとしてるのか考えてる、といったところだろうか。
じっと目を見つめられ、その鋭い視線を感じて目を逸らしたくなる。
俺が黙っているのをつまらなく感じたのか、千里は興味を無くしたようにふいっと顔を背けて俺を視界から外す。
「 ふーん……ま、いいや。おいでよ 」
「 ん、」
階段を登って行った千里の姿が見えなくなるまで、心臓がドキドキと嫌な音を立てていた。
小さく深呼吸して顔を上げる。
千里の後を追って階段をトントンと登っていき、部屋のドアを軽くノックして中に入った。
千里は制服から部屋着に着替えている途中で、突っ立っている俺に向かって「座りなよ」と言って小さく笑う。
なんとなくぎこちない動きでその場に腰を下ろすと、ひやりとしたフローリングの床の冷たさが伝わってきてなんとも言えない気持ちになる。
「座りなよ」と言われても、この部屋には椅子や座布団なんてないし、カーペットやラグも敷いていない。
来客用の椅子はもちろん、ちょっとしたテーブルも無いので部屋という感じがしない。
まるで監獄だと思った。
必要最低限のものしかここには無い。
でもここにある少しの物だけで生活が成り立っているのが少し怖くも感じられる。
本当にいつ来てもこいつの部屋は落ち着かない。
俺の部屋も充分何もないけれど、千里の部屋はそれをはるかに上回る殺風景で本当に高1か疑いたくなる。
千里は全く本を読まないし何かを集める趣味もない。
辞書や参考書は使うけれど、そういうものは全て俺の部屋の本棚に置いてあるから千里が必要な時に借りに来るだけで、こいつ自身の部屋にはほぼ本類が無い。
あるのは勉強机とベッドと洋服タンスくらいで酷く面白味に欠けるなぁと考える。
俺は人のこと言えないけど。
ふと部屋の隅を見ると、机の上に無造作に積み重ねられた教科書の端からは大量のふせんが飛び出ているのが見えた。
……そういえばもうすぐ中間試験か。
高校に入学してから初めての定期テストだから勉強頑張ってんだろうな。
しかも主席で入学したやつだから周りから期待もされるだろうし。
まぁ絶対千里はプレッシャーなんて感じずに余裕で学年1位をキープするんだけどな。最初から分かってる。
千里が着替え終わったようで、パタンと洋服タンスの閉まる音がした。
顔を上げると、なんだか苦笑しながら千里がこちらを見つめている。
「 なんでそんなとこに座ってんの、固いでしょ。」
「こっちおいで」と笑いながら、千里がベットに座って隣をぽふぽふと叩く。
俺の顔が一瞬強張ったことに気づいた千里が、ふぅっとため息をついてめんどくさそうに首を傾ける。
「 そんなに警戒しなくても今日はなにもしないよ、そういう気分じゃないし。いいから来て、涼。」
「 なにもしないって言ったからね」
「 はいはい、わかったよ。」
のろのろと立ち上がり、仕方なく千里の隣にゆっくりと腰を下ろす。ふかふかのベッドに少しだけ体が沈んで心地が良い。同じ家に住んでて同じ洗剤や柔軟剤を使っているはずなのに俺とは少し違う千里の香りがした。
香水だろうか。なんとなく爽やかな柑橘系の香りがする。
少し気分が落ち着いてきたみたいだ。
千里の方を向くと、彼の琥珀色の目と目が合う。
「 なんで、今日友達を怪我させたの 」
俺がそう言うと、千里がハッとした顔をして目を見開いた。
千里は俺にそんなこと言われるなんて予想してなかったようで、ひどく驚いているように見える。
そして千里が何か言う前に口を開いて言葉を続けた。
「 ただの喧嘩でもそうじゃなくても、あれはやりすぎ。お前は加減ができないの?……頭なんて打ち所が悪かったら相当危ないんだし、ちょっとは考えて。どんな理由でも手を出しちゃダメ、いい?」
「 ………見てたの?」
「 お前が怪我させたところは見てないよ、」
「 じゃあ誰に聞いたの」
「 本人だよ、零くんって言うんでしょ?」
「 え、2人いつから知り合い?」
「 今日たまたま保健室で会って、それから千里の友達って知って事情を聞いて、、……ってそんなことはどうでもいいの、俺の話聞いてた?反省してんの?」
俺がわざと強い口調で怒鳴るようにそう聞くと、千里の肩が一瞬だけびくっと揺れた。千里は昔から大きな声を出されたりヒステリックに喚き散らされるのが大嫌いで、怒ってることを伝えるためには効果的だと思った。
千里が目線を落としながら小さく「してるよ」と答えた。
「 俺もやりすぎたと思ってる……あの後ちゃんと保健室まで俺が運んだし応急手当てもした。放課後一緒に病院行こって言ったけど零が嫌だって言ったから….」
「 ちゃんと謝った……?」
「 うん、」
千里の態度から察すると、ちゃんと反省してるみたいだし自分が悪かったと思ってることが伝ったからほっと安堵する。
これで逆ギレとかされたらマジでこいつ人として終わってるなと思うところだったから良かった。
そっとベッドから降りて床に膝をつく。
向かい合う形で俺が千里を見上げ、そのまま腕を伸ばして千里の頭にポンっと掌を乗せた。
「 部外者の俺が口出ししてごめんね、あと怒鳴ってごめん。何度も言うけど、人に怪我させるのはダメ。もしまた次こんなことあったら本気で怒るからね。」
「 わかった 」
今日が比較的千里の機嫌がいい日で良かった。
こんなに素直に俺の言うことに返事してくれたのが嬉しくて今日話せてよかったと思った。
千里の頭をもう一度軽く撫でてから立ち上がり、部屋を出ようとすると「涼、」と呼び止められた、
振り返ると、穏やかな顔をした千里がいて俺に向かってへらりと笑う。
「 叱ってくれてありがと 」
思わずぽかんとしてしまった。
え、今日どうしたのお前。めっちゃいい子じゃん。
「 ………………… べつに、」
戸惑って素っ気なくそう返したけれど、よく考えたら千里をこんな風に叱って諭す人間はほかにいないんだろうなと思った。だからこそこうやってたまには厳しい言葉で怒ることもこいつには必要だったんだと気づく。
案外千里も自分を叱ってくれる人がいることを嬉しく思ったのかもしれない。
「 俺に怒れるのは涼だけだね」
そうやってまた小さく笑う千里の表情はなんとなく悲しそうだった。
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