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Words are of no use.<下>
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ーーーー最近、おかしい。
「あ、なぁ、西原」
そんな普通の呼びかけに、どうしようもなく肩が震えた。
「うぉ?!悪い、驚かせたか?」
ーーーー違う。
べつに、そんなに唐突だったわけでも、特別大きな声だったわけでもない。
ただ。
「というか、近かったか、ごめんな」
ーーーー耳元に、近かっただけだ。
「……いや、悪い。眠くてぼーっとしてたわ」
気まずそうな相手に、軽快に返せば、相手はホッとしたような顔をする。
「おい!いくら優秀だからって、居眠りはすんなよ、びびっただろ」
そういってからりと笑うと、本題に戻った。
どうにか切り抜けられたことに安堵しながらも。
「………………」
歯車が狂いかけているような、強い違和感に、ぎゅっと歯を食いしばった。
そんなことは、一度や二度で済むわけでもなく。
毎日、少しずつ積み重なる違和感は、確実に俺を苛立たせていく。
ふと、耳に柔らかく息が当たった時。
ふいに、風が吹き込んだ時。
そうして、ふとチカを思い出した時。
俺の体は、俺の制御から、外れた。
それはまるで、頭のてっぺんから爪の先まで、チカに支配されているような感覚。
体が自分の支配を離れていくような、そんな恐怖は俺をじわじわと蝕んだ。
「西原、ちょっとこい」
部長直々の呼び出しに、部内がかすかにざわめくような、そんな気配。
別に、珍しいことじゃない。
少し大きなミスをすれば、こういったことは起こり得るわけで。
誰しも一度二度は通ったことのある道だ。
ーーーーそれが、俺じゃないなら。
自惚れになるだろうが、俺は生来器用で、何事にもあまり困ったことはなかった。
だからこそ今、"思い通りにいかない"ことに、こんなにも翻弄されている。
それなのに。
『タク』
最近、昼夜問わず脳裏に浮かぶあいつの存在は、あからさまに俺の注意力を削いでいた。
「…………失礼します」
ノックしてゆっくりと扉を開けば、こちらをうかがい見る部長がいた。
「……扉を閉めて、こちらに腰掛けなさい」
「……はい、失礼します」
部長の言葉に従い、腰掛けたはいいものの。
「………………」
「………………」
良くも悪くも、はっきりした物言いで有名な部長が、珍しく口籠るのに、ひどく嫌な予感がする。
「…………西原」
「………………はい」
「お前は、優秀だ」
「…………勿体ないお言葉、ありがとうございます」
面と向かって褒められたところで、嫌な予感も、胸騒ぎも、消えない。
「だからこそ、お前には大きな仕事を任せてきた」
「…………」
「お前がそういったことに頓着していたかはわからんが」
「…………」
「お前に担当させていた仕事は、お前の同期のものよりずっと責任も重い案件だった」
「…………」
そこまで言うと、部長は、深いため息をつき、髪をかき乱した。
「………………申し訳ない」
「…………え?」
そこで飛び出したのは、予想外の謝罪。
「…………お前が余りに優秀だから、半ば忘れかけていたんだ。お前だって、まだ若いのに。お前にはまだ、任せるべきではなかった」
すまない。
もう一度深く頭を下げて、部長は続けた。
この会社でもトップ3には入る大手の取引先が、急遽取引の取りやめを検討し始めたこと。
その原因が、担当の俺だったということ。
そんな仔細を聞かされた。
とんでもない失態をやらかしてしまったのだと、そう理解する傍らで。
『お前にはまだ、任せるべきじゃなかった』
そんな部長の言葉と、疲れ切った表情が、いつまでも脳裏から離れなかった。
ーーーーーー
「ははっ、たらいま〜〜〜」
ガチャリ、玄関を開けるやいなや、その場にへたり込む。
鞄も、靴も、何もかも放り捨てて、スーツが皺になるのもかまわずに。
「タクっ?!君、こんな時間まで何してたの!!!!っ?!」
そんな無様な俺のもとに駆け寄ってきた、チカの声は、俺のそんな姿を視界に止めてか、急に打ち切られた。
「なにこれ、すごい臭い。タク、大丈夫?意識ある?」
慌てたようにそう言って、そのあとにひやりと首に何かが触れる気配。
「……うん、呼吸は大丈夫そうかな」
それはすぐに離れて、再び慌ただしい足音とともに、視界の端に何かが差し出される。
「ほら、水飲んで?タク、お酒強くないくせに飲み過ぎ。中毒にでもなったらどうするの」
ぼんやりする頭では、何もかもの認識が曖昧で。
それでも確かに、チカが俺を心配しているだろうことはわかったのに。
そう、いつもの心配だって。
いつもの世話焼きだって。
そうやって、俺の中をまた一杯にしていくんだって。
「うるせえ!!!!!!」
俺はいつのまにか、その手を振り払っていた。
脳みそを満たすような激情に駆り立てられるままに。
視界が真っ赤になるような、正体を忘れるような怒り。
ガッシャーン!!!!
それは聞こえた、そんな鋭い破砕音に、砕かれて。
ハッと我に返って。
「…………ッ、お、おれ……!」
急に、何もかもが怖くなって、頭を抱えた。
何で、どうして。
そんな単語が頭をぐるぐる回って、対処できない。
…………なぁ、何やってんだよ、俺。
こんなことは、人生で初めてだった。
失敗してしまった。
失望されてしまった。
感情に、ふりまわされた。
大切な人に、八つ当たりしてしまった。
…………自分が、わからなくなってしまった。
ガタガタと、震え始めさえした体は。
「よしよし、大丈夫だから」
そんな、柔らかい声に包まれた。
「ごめんね、気が立ってるときに余計なことしたね」
ゆるゆると背を撫でる手は、いつものように悪戯な動きをすることもなく、ただ俺を甘やかしている。
冷たい後悔を溶かすような、とろとろに煮詰めたシロップみたいな、甘い声。
「ちが、俺がっ!」
「しーっ、大丈夫だから、ね?」
俺が悪かったのだ、と、そう言おうとしても、それもまたチカに遮られた。
「大丈夫だよ、ぜーーーんぶ、タクは悪くないから。ね、疲れたでしょう?ほら、明日も朝早いんだから、ゆっくり休まないと、ね?」
そんな、どこまでも穏やかで、ゆったりした声に、ぼろぞろと涙が溢れてくる。
「!」
人前で泣いたのなんて、いつぶりだろうか。
もしかしたら、小学生とか、そんなとき以来かもしれない。
だって、こいつに会うまで、俺はそんな涙を拭う側だったんだ。大丈夫だよ、安心していいよって。
それなのに。
わずかに狼狽したような気配のあと、優しく、ゆっくりと俺の頭から背中を撫で、あやしていく、俺より一回り大きな手。
それが、どうしてこんなにもしっくりくるんだろう。
「……どうしたの?話してごらん、きっと楽になるよ」
そう促す声は、麻薬みたいで。
とん、とん、と寝かしつける様に変化した手付きは、まるで、俺が言葉を吐き出すのを促しているみたいだ。
その手付きに流される様に、言葉が口をついてでてくる。
「…………クビに、なった」
「…………え?」
「厳密には、今日、たいしょ、くとどけ、だ、した、から、あと1ヶ月、あるけど」
「……うん」
「…………ッ、もう、有給あつかい、に、するから、来なくて、こなくていいって……ッ!」
そこから、ゆっくりたどたどしく、話した。
俺がミスをしたこと。
そのミスが途方もなく大きなものだったこと。
部長に遠回しに退職を勧められたこと。
途切れ途切れになる言葉を、チカは辛抱強くまってくれた。
そうして、ようやく最後まで言い切った瞬間。
これまでにない強さで、抱きしめられた。
そうして、苦しいほどに抱きしめられながら、感じたのは。
「チ、カ…………?」
早い鼓動と、震え。
………………泣いてる?
「ひどいっ……!ひどいよ……!」
「え……?」
「だって、タクはずっと会社のために頑張ってきたのに……!」
「でも、これは仕方ない、んだ。だって、俺が」
「仕方なくない!!!!!」
それは、今まで俺が効いたチカの声の中でも、とりわけ大きくて、とりわけ悲痛な叫びだった。
「だって、知ってるんだ……!タク、は、いつも……!自分のためだけじゃ、なくて。他の人のぶん、まで……!」
そういって、はらはらと泣き出したチカを見て、急に溜飲が下がっていくのを感じる。
「ごめっ……!僕が泣いてどうするんだって感じだよね」
「…………いや、ありがとな」
「………………ううん」
飲酒をした自分の方が、どう考えたって体温が高いはずなのに。
どうしてか、チカの腕の中は、温かく感じる。
あまりに慣れ親しんだここは、まるで、母親の胎内にいるような。
そんな安心感を俺に与えてくれていた。
「…………ね、暫く休みなよ。きっとこれは、今までずーっと頑張ってきた、タクへのプレゼントなんだよ」
「…………すげえポジティブシンキングなのな」
「……それにね、不謹慎かもしれないけど、僕、これでタクと居られる時間が増えるのかって、ちょっとだけ嬉しいんだ」
そんな言葉に、ふとチカの胸元から顔を上げれば。
「…………ふはっ、なんで今その顔すんだよ」
俺に告白してきた日と、まるきり同じ顔をしたあいつが居て。
「ふふ、だってプロポーズみたいなものじゃない?」
「…とんだプロポーズだな、おい」
「……お味噌汁作ってまっててよ」
「…………!ふはっ、任せろ」
今まで許されなかったことを許され、最悪が塗り変わっていく感触。
それまで、俺の"通常"を塗り替えたこいつは、おれの"最悪"まで塗り替えていく。
「…………とにかく、今日はもう寝よっか」
そうして、いつものように俺を甘やかす声に、腕に、自然と瞼は重くなっていって。
俺の体をテキパキと拭いて、着替えさせる、その手に全てを委ねてしまう。
…………………そういえば、最後に、自分一人で1日を終えたのって、いつだったっけ?
そんな、何か、重要な問いが浮かんだ気がしたのに。
「おやすみ、大好きだよ、タク。一生愛してる」
そんな、甘すぎる声音に、俺の思考は霧散した。
ーーーーーーー
くたり、抜けた力と、安らかな寝顔。
僕に全てを委ねる君は、どうしようもなく愚かで、愛らしい。
君はいつか気付くのかな。
慰めなんかじゃなく、本当に、"君は何にも悪くない"ってことに。
君は、誰より愛してると、好きだと、僕にいってくれたね。
君は、誰よりまっすぐに、僕の思いに応えてくれたね。
僕がすること全て受け入れて。
その包容力で受け止めてくれた。
普通なら、真っ当な人と、真っ当な幸せを作っていけたんだろう。
なのに。
「…………僕みたいなのにつかまっちゃって。可哀想」
ごめんね、でも離してあげない。
言葉も、行動も、足りないんだ。
全然足りない。
だってそれは、"今"君が居てくれる理由とか、それを表象したものに過ぎなくて。
僕は今だけなんかじゃ、満足できないから。
でも、君を手中に落とすのは思ったより簡単だったな。
だって、物理的な条件は、君が自ら許してくれたから。
だから僕が使ったのは、単純な心理的操作。
あまりにも優秀な君を崩すための、小さな小さな習慣。
ただ、君を深く深く愛しただけ。
それを、君の五感の1つと結びつけただけ。
そんなことでも、案外人は崩れるものだ。
それから。
<もう要件は済んだから、あとは好きにしていいよ。協力どうもありがとう>
"馴染みの会社"に、すこーし、手伝ってもらっただけだ。
君は想像もしないんだろうな。
全部、仕組まれたお芝居だったなんて。
まぁ、気付かれたところで。
………………その時までに、僕から離れられない体にすればいいだけのことだ。
何にもできなくなって、僕が居ないと生きていけなくなればいいよ。
大丈夫、そうなっても。
「一生ずっと、大切にするからね、愛してるよ」
こんな薄っぺらい言葉なんかよりも、ずっと、もっと。
I can’t believe your words.
All I can believe is the circumstances that can keep you stay with me.
絶対的拘束でしか、君を愛せない。
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