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melt.4(R-18)
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「げっ」
口の中で小さくそんな声が出たのも、致し方ないと思う。
だってまさか、くるとおもわねぇじゃん。
「モヒート」
スマホに目を落としていて、こっちを見ていないのが幸いか。
メガネを掛けて髪型を変えているとはいえ、たったそれだけで難を逃れているのだと思うと、あまりに心もとない。
けど、経験則から言えることは、動揺したら負けだってこと。
「お待たせいたしました」
全力で平静を装ってカクテルを出し、やはり相手が顔を上げないのに、心の底からホッとした。
…………あー、マジでついてねー。
あれから、2週間が経ち。
どうにかあんなヘマは繰り返すこともなく、やり過ごしていた。
世の中には、クマを隠すための化粧品なんてものがあったらしく。最近はそれも駆使している。
先日、一度だけ保健室の前を通った。
けれど中にいたのは、いかにも保健医といった風体の、優しそうなおばさんだけだった。
だから、もう危機は去ったと安心していたのに。
目の前でスマホをいじりながら、チビチビと酒を飲む男を、ひっそりと睨みつける。
なぜこんな極上の男が、こんな辺鄙なバーに来んだよ。
彼女と高級レストランにでも行けばいいだろうに。
できる限り違う客の方を、不自然にならない程度に見ながらやり過ごす。
男はこちらを見もしなかったが、なかなか帰りもしなかった。
何杯も、そう強くはないお酒をたのんでは、居座り。
「すみません、お客様。ラストオーダーのお時間です」
果てはラストオーダーまで居座った。
まぁどうせ後片付けがあるから、帰りに鉢合わせるわけでもない。
だから、どうだっていいといえばいいのだが、肝は冷えっぱなしだった。だって顔あげられたらおわりじゃねーか。
ほんと、心臓に悪い。
幸運にもお会計は店長がしてくれたため、ついぞ顔を合わせることはなかった。
………まぁでも、危機が去って改めて考えてみれば、過敏になりすぎてたかも。2週間前に一度見ただけの顔なんて、覚えていないのが普通だろうし。
「お疲れ様です」
「うん、お疲れ様。ありがとう」
「こちらこそ。それじゃあ失礼します」
「はーい、気を付けてね」
考え事をしていても、慣れたきった手は勝手に片付けを進めてくれた。便利なもんだ。
ガチャリと戸を開けば、途端にひんやりとした冷気に体を包まれる。ぶるりと反射で体が震えて、その代わりに頭の芯が冴えていく。
この感覚、昔から嫌いじゃない。
一歩外に踏み出し、はぁと息をはけば、白く染まる空気。
それをなんとなく目で追った。
そうすれば、少し離れた場所が明るく飾り付けられているのが見えた。いよいよクリスマスがすぐそこに控えている。
……変わんないよなぁ。
去年も思ったけど。
親が死んでも、体が汚れても、環境が変わっても。
なーーーーんにも、変わんないんだ。
どんなに俺が汚くたって、空気は特に汚れたりしないし。
誰か、例えばそれがどこかのお偉いさんだったとしても、人が死んだからって、地球は自転するのをやめたりしない。
当たり前は当たり前ののまま、変わることなく続いていくんだ。
『もーすぐくりすますだ!』
『欲しいものは決めたか?』
『んーとね、ぷらもでるがほしい!』
『あら、じゃあサンタさんにお願いしないとね』
そんな、何気ない光景の面影だけを、ひとの心に残したまま。
「…………クソッ、」
肝心の、一番大切な温もりだけが、ここにない。
そんな、温かい光景を見て過ごした年月の方が、ずっとずっと長いはずなのに。
「……………なんで、」
どうして、いなくなってからの時間の方が、ずっと長く思えるんだろう。
どうして、あの温もりの感覚は、こんなにも遠いんだろう。
いつか、抱きしめてくれた、その温もりの記憶よりも。
『かわいいね』
反吐が出そうな顔で、撫で回された感覚ばかりが鮮明で。
ーーーーなんでこんなこと、今更。
ずっと、振り切ってきたはずの気持ち。
なんで俺が、俺たちが。
そう思わないわけじゃない。
そう思わない、はずがない。
だけど、囚われていても仕方がないから。
前を向かないと、今ある大切なものすら、守れなくなってしまうから。
ずっと、無理やり見ないふりをしていた感情の蓋が、急に開く。
あ、だめだこれ。
ぐるぐるぐるぐる。
胸の中を巡って巡って止まらない、不安、怒り、恐怖、不安。胸をかきむしりたいくらい、苦しい心臓を握りつぶしたいくらい、不快。
感情に引きずられて、もう嫌だと立ち止まりたくなる体を無理矢理引きずって、いつもの場所を目指す。
忘れろ。
見るな。
考えるな。
もう、どうしようもないんだと理解しろ。
きっとまた、あの不快な腕の中に閉じ込められれば、いやでも理解できるはずだから。
今自分がどこにいる人間で、どうするべきなのか。
大体、今更だろ。
ぐちゃぐちゃに、ズタズタにされたプライドは、もう戻ったりしない。
だから、足掻きたくない。
しんどくて、虚しいだけだから。
地面に近い足の先から、じわじわ体温を奪われて、感覚が曖昧になる。
それなのに、顔ばかりがカッカと熱い気がして、それでも脳みそだけは妙に冴えていた。
いつもの角をまがって、まっすぐ進んで。
ああ、ほら、もう着く。
着いて、いつもの場所に、もたれ掛かって、しばらく待つ。
そうしたら、ほら。
「ね、君かわいいね。5でどう?」
いやでも解るよ、やっぱりさ。
「……」
「あれ?足りない?じゃあ、奮発して、7はどう?」
脂の乗った顔をした、いかにも金持ちそうなコートを羽織った男は、見た目の通り羽振りがいいらしい。
「うーん、これでもだめ?じゃあ特別に10でどうかな?」
なかなかない高額に、嫌がる頭を無理矢理動かそうとした瞬間。
「却下。俺が15でもらう」
背後からそんな声が聞こえて、返事をするよりも先に腕を引かれた。断りもなくずるずると引きずられる。
「は?!ちょっと、」
「なんだ?金額が不満か?なら言い値を払おう」
抗議の声を上げれば、そんな空恐ろしいことを言う男。
その顔がふと振り返って、唖然とした。
「……………は?」
それは、さっきまでバーに居た。
2週間前、保健室にいた。
「とりあえず、行くぞ」
あまりの驚きに、反論することもできないまま。
気付けば俺は、あの男の家らしき場所に、来てしまっていた。
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