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「みーちゃんっ、みーちゃん」
こっちこっちと七海が薄暗い昇降口で俺を呼ぶ。
静かにしろと人差し指を口元に当てる。
こういう事を咎める立場にいる俺が、なぜこんなコソコソしなければならないんだ。
分かってはいるがそれでも七海を見逃してやりたい。
そしてそんな考えになってしまう自分にウンザリする。
既に戸締まりが済んでいる校内の裏口から七海と出て、正門ではない方の校門から外へ出る。
誰にも会わなかったことにホッとしながら帰路を歩く。
「みーちゃん、身体大丈夫ですか?」
「…ダメに決まってるだろう。お前俺の歳を考えろ。高校生と同じ体力は持ち合わせていない」
「みーちゃんが高校の時だったら大丈夫でした?」
そう言われて少し考える。
あっさりと結論は出た。
「いや、俺の体力がないのは今に始まったことじゃないな。お前に合わせられる体力を持ち合わせていない、の間違いだ」
「今までスポーツとかやったことないんですか?」
「ない。運動は苦手だ」
「じゃあ何が得意なんですか?数学ですか?好きな食べ物は?犬と猫どっち派ですか?」
矢継ぎ早に質問が飛んできた。
というか質問がいきなり飛躍していないか。
思わず隣を歩く七海に視線を持ち上げると、ニコニコと機嫌良さそうな笑顔が返ってきた。
ドキリとして慌てて視線を前に向ける。
「…そんなこと聞いてどうする。というかお前俺に合わせて帰っているが駅はこっちの方角じゃないぞ」
「みーちゃんと一緒に学校から帰るの初めてなんですよ。ゆっくり話せる時間いつもないじゃないですか。みーちゃんの事いっぱい知りたいんです」
「俺に合わせて帰っているのはなんでだ」
「そんなフラフラな状態で一人で帰したくないからです。責任持って送らせて下さい」
責任という言葉を出すからには、一応自分がやったことに対して悪いと思っているらしい。
対応は紳士的だが、俺達は男同士であってしかも七海は生徒だ。
どう考えても俺が送られるのはおかしいだろう。
さっさと帰れと促そうと思ったら、不意にキュッと手を握られた。
右手に感じる温もりに一瞬フリーズしてから、バッと手を離す。
「な、なんだっ。お前また何かするつもりかっ」
「えっ?違いますよ。帰り道に好きな子と手を繋いで帰りたいのは学生の夢じゃないっすか」
「お、俺は学生時代にそんな夢を持ったことは一度もないぞ」
「真面目さんですもんね。というかみーちゃん通勤徒歩なんですね。家近いんですか?一人暮らしって言ってましたよね」
どうしてコイツはこう俺に質問する内容がたくさんあるんだ。
正直俺は昔から人見知りな性格で、二人きりというのはあまり得意じゃない。
自分から話題を提供するのも苦手だし、話題をうまく広げられるような会話術も持っていない。
勿論社会人として仕事上の人付き合いくらいは出来るが、個人的に付き合うほど仲良くなることはほとんどなかった。
一体何から答えるべきか。
いやそれよりコイツに帰れと促すのが先か。
何を返そうか悩んだ末押し黙った俺に、七海が不思議そうに人の顔を覗き込んでくる。
「あれ、腰痛いですか?やっぱりおぶりますか?みーちゃん軽そうだからダッシュで家帰ってあげますよ」
「し、しなくていいっ。俺と歩きたいなら人目につくような行動を取るなっ」
つい口調が強くなってしまう。
別に怒っているわけではないのだがコイツの言葉は突拍子もなくて、冗談で返事をする術を知らない俺はいつだってこんな返事しかできない。
「りょーかいですっ」
だが七海はニコッと笑う。
本当にこんな堅物教師の何が好きでコイツは一緒にいるんだ。
「教師は夏休みでも仕事なんすか?」
このまま会話が終わってしまうのではと思ったが、七海は気にした様子もなく新たな質問をしてくる。
「そうだ」
「マジっすかー。一緒に行きたいところあるんだけど無理かなー」
「無理だ。そもそも生徒と一緒に出歩けるか。誰かに見られたらどうする」
ああくそ、また口調が強くなってしまう。
もう少し違う言い方ができたんじゃないのか。
「…だ、第一お前も夏期講習があるだろう。特進科は特定の塾に通ってない限りは全員参加のはずだが」
「それはそうですけど、勉強だけで夏休み終わるとかありえないっすよー」
「何を言っている。お前は受験生だろう。もう少し自覚をもって――」
話しながらどうしてこう教師としての言葉しか出てこないんだろうと思ってしまう。
七海とまではいかないが、もう少し違った話が出来たら。
「はーい。反省しますよ。そんなに怒らなくてもいいじゃないっすか」
「別に怒っているわけではないが…」
「あ、そーでした?イラ眼鏡さんかと思いました。みーちゃんの機嫌損ねたくないんで良かったです」
怒ってるつもりはない。
だがそう受け取られてしまうのはやはり俺の話し方がいけないんだろう。
こういう時になんて返せばいいんだ。
どうすべきか頭を悩ませるが、今までこんな感情になったことがなければ誰かに気を遣って話そうとした記憶もない。
どれだけ俺は今まで自分本位に生きてきたんだ。
「…お前は俺の機嫌を気にして話すなど疲れないのか」
もう何を返したら良いのか分からず、ぽつりと呟く。
七海であればもっと気の合う友人がたくさんいるだろう。
どう考えてもコイツと俺の性格は真逆だ。
それこそ高瀬は器用な奴だったし、七海と当たり前に楽しい会話も出来ただろう。
「全く疲れませんよ。そもそも好きな人と一緒にいるのに疲れるわけないじゃないっすか」
好きな人、という言葉に体温が上がってしまう。
隣りにいる体温をやたら意識してしまって、顔があげられない。
自分から振り払ったからもうその手の温もりを知ることは出来ないが、すぐ数センチの距離にある温度を意識せずにいられない。
もう少し。
何かあと少しだけでも気の利いた会話ができれば。
「か、夏期講習は数学もある」
「え?知ってますよ」
まずい。頭が熱くて真っ白になりそうだ。
それでも何か話題がないかと模索する。
「て、テストもある。受験生に向けたものをちゃんと作ってある」
「へー、そうなんすか。夏休み中もテストかー。あーあ、やっぱ受験生はきついなー」
隣でため息を吐く声が聞こえる。
違う。
そんなガッカリさせるような会話がしたかったわけじゃない。
授業の話題ではなく、何かもう少しくだけた話題が出来たら。
「…あ、あと」
「はい?」
どこか端切れの悪い俺の言葉だろうと、七海はなんでもないように会話を続ける。
コイツは俺が好きだと言うくせに、なぜこんなに普通に会話が出来るんだ。
どうしようもなく真っ白になった頭が、悩みすぎた俺の口から勝手に言葉を紡がせる。
「…お、俺は犬派だ」
言ってから、カーっと顔に熱が昇っていく。
やっとの事で出てきた話題は、一番最初に聞かれた七海の言葉に対するただの質問返しに過ぎなかった。
だが七海はキョトンと目を瞬かせてから、くしゃりといっぱいの笑顔を見せる。
「ならいつか一緒に犬飼いましょうね」
そう言ってまたギュッと手を握られた。
もう既に一匹飼っている気がしてならないのは何故だ。
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