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七海を送り出した翌日。
その日はもう受験後に一体どんな顔でアイツが俺の元へ帰ってくるのか、朝からハラハラドキドキしていた。
時計ばかりが気になり、一分一秒が長く感じられる。
昼を周り午後の仕事を終え放課後になり、ちらほらと受験を終えたという他の知らせを聞きながら七海を待つ。
七海の希望していた大学ならそこまで遠くはないし、そろそろこっちに帰ってきてもいいはずだが、七海はなかなか姿を見せなかった。
ひょっとして上手くいかなくて落ち込んでいるんじゃないか。
いやいや、ひょっとしたら電車の遅延等のトラブルに巻き込まれているのかもしれない。
ぐるぐると頭の中で考えている間にも夕日は沈み始め辺りは暗くなっていく。
仕事をしつつ時たま職員室から窓の外を見下ろしてみたりとウロウロしていたが、部活を終えた生徒が帰宅していく姿を目にしてさすがに遅すぎると青くなる。
まさか事故にあったりしていないだろうか。
もう仕事も手につかず何でも良いから無事に帰ってきてくれと違う心配をし始めた頃、ようやく携帯に七海から連絡が入った。
『数学準備室で待ってます』
作り上げていた指導要録をパタンと閉じる。
ほとんど走るような勢いで、俺は実習棟の一番奥のその場所へ足を向けた。
渡り廊下を抜け階段を駆け上がり、すれ違った生徒とぶつかりそうになり高い声を上げられた気がしたが「すまない」と一声掛けて目的の場所へ走る。
息を切らせてその場所までたどり着くと、俺はその扉を開けた。
窓の奥に群青色に染まる空と、消えかけた橙色が見えた。
ちょうど無機質な音を立てて廊下の蛍光灯が付きはじめ、伸びていた影が消えていく。
浅く呼吸をしながらドアノブに手を掛けたまま、ぼーっとその姿を見つめていた。
薄闇が掛かるその部屋で、僅かなオレンジ色が窓際の机に寄りかかるその姿を照らしている。
「みーちゃん、廊下は走っちゃいけません」
そう言って七海は、俺の心配を一気に払拭するかのような笑顔でニッコリと笑った。
なんだか泣きそうになってギュッと唇を噛み締めると、机から降りた七海が俺の元へ来る。
そっと手を引いて俺を数学準備室へ引き入れ、扉を締めた。
熱い手のひらの感触に胸が詰まる。
「…お、遅いっ」
「え、ほんとですか?これでも終わってソッコーで帰ってきたんですけど」
七海はキョトンとしたようにそう言ったが、お前の希望の大学からそんなに時間が掛かるものか。
俺の目の前にいる七海はまるで憑き物が取れたように清々しい顔をしているが、やはり途中で何か気に病むことがあったんだろうか。
七海はそんな俺の表情を察したのか、んー、と視線を持ち上げる。
「まーあとは結果待ちですね。落ちたらみーちゃんにいっぱい慰めてもらうからもういいです」
「お、おいっ。受かるつもりでいろ。不吉なことを言うなっ」
「もちろんそのつもりですよ。ただ俺以上にみーちゃんのほうが心配そうな顔してるんで、それが嬉しいっつーか…」
そう言って七海はどこかウズウズした表情を俺に向けてくる。
七海が何を望んでいるかは分かっている。
まだ合格発表までは時間があるし、もし落ちたら受験戦争は終わらない。
後期試験やら下手したら…と考えたくない可能性も残ってはいる。
もしものことを考えればここで勉強をやめてしまうには正直早くもあるし、教師としてはまだ油断をせずに…と言いたいことは沢山ある。
が、そんな言葉は神谷に任せるとしよう。
俺はそっと背伸びをすると、七海の頭に手を伸ばす。
少し伸びたその髪をくしゃりと撫でた。
「長い間本当によく頑張ったな。お疲れさ――」
ま、と最後まで言えなかった。
耐えきれなかったというように抱きしめられる。
そのまま喜びが溢れてしょうがないと言った様子で、頬ずりするように七海が俺に身体を寄せてきた。
「――やっと終わりました。これで思いっきりみーちゃんと一緒にいられる。いっぱいイチャイチャできますっ」
あまりにも嬉しそうな声でそう言われて、カーッと体温が上がっていく。
俺と一緒にいられることを本当に心の底から喜んでいるといった様子で、今日一日ハラハラと不安で堪らなかった気持ちがあっという間に溶かされていく。
こんな風にはしゃいだ七海を見るのは随分久しぶりな気がする。
本来ならここから合格発表までの間は多くの生徒が不安との戦いになると思うのだが、コイツにとってはそれより俺との時間が出来たことのほうが嬉しいらしい。
まるで新しい玩具でも買ってもらった子供のようにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、息が詰まる。
それでも自然と表情を綻ばせると、その背に手を回してよしよしと撫でてやった。
何はともあれ一先ず試験は終わった。
後は来たる合格発表の日まで、少しでも七海に不安な時間を作らせないように出来る限りのことをしよう。
そう決めて七海の胸の中から顔を持ち上げる。
「よし、なら今日はご馳走を作ってやる。まだ仕事が残っているから、先に俺の家へ行っていろ」
「やった。じゃあみーちゃんちで大人しく待ってますね。あ、でも一緒に買い物行きたいです。終わったら迎えに行きますから」
「なら帰りに連絡をするから近くのスーパーで…」
そう言って七海と約束をしながら家の鍵を渡す。
七海もニコニコとした表情のまま頷いて鍵を受け取り、俺達は仲睦まじく一緒に数学準備室を出た。
なんだろう。
なんだか今日は七海がとても素直だ。
てっきり受験も終わったことだし、ひょっとしたら数学準備室でまた盛られるのではないかという覚悟を多少持っていたが、驚くほど聞き分けが良かった。
受験を終えたことで気持ちがスッキリしているんだろうか。
それともようやく七海も少し大人になったんだろうか。
はたまたさすがに長い受験戦争を終えたことで、アイツも疲れが出ているのだろうか。
七海相手だからとつい余計な思想にいってしまった自分に反省しつつ、ともかく今は受験が終わったことに安堵する気持ちでいっぱいだった。
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