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第11章
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屋上から見る空は、とても高くて遠くに感じた。
どうしてだか、あの時、飛び降りたら、
自分はあそこまで行けるもんだと非現実的な事を本気で信じていた。そうしたら、
そしたらきっと、御船にも逢いに行ける。
汚れた身体を抜けて、洗い流して、
御船に逢いに行く。
理論も常識も飛び越えてそんな事を考えていた。
そうしたら、後ろから腕がかかった。
咄嗟に奴らかと思ったのだ。
また自分を捕まえに来たのだと。
嬲られて、辱めを受けるのだと。
だけど、その腕を振りほどいてみたら、
それは御船だった。
逞しくて、変わらず美しい御船の姿だった。
暗闇の中でさえ、その艶が伝わった。
それが分かった瞬間、奴らに捕まった時とはまた、別の恐怖を覚えた。
今の自分を見られることが何よりも、
何よりも嫌だったのだ。
あんな事があった後で、どうしてまともにその顔を見る事が出来ただろう?
ーーーおれにとっては、御船だけが身体を心から重ねられた存在なのだから。
なかなか認めることは出来なかったけど、
心から好きな相手だったのだから。
そんな存在の前であんな痴態を演じた後で、
まともでなんかいられるはずがない。
そんな相手に、こんな醜い自分を見られたくは無かった。一刻も早く、消えて無くなってしまいたかったのだ。
自分の身体ごと。
ーーーだけど…、
『愛してる、智紀。』
放たれる、確かな、甘い言葉に、
一気に、
身体の力が抜けるほどの、
衝撃を感じた。
その言葉が、自分から、
飛び降りる可能性を剥ぎ取ったのだ。
そしてあまりに夢のように、甘すぎるその言葉に、
初めはただただ、恐怖を覚えた。
だってそんな言葉は自分にとって、
もはや後々の毒にしかならない。この夢が醒めたら、おれはどうやって現実と向き合っていけば良い?
それでも、御船は止まらなかった。
あやすように、言い聞かせるように、思いとどまらせるように、何度も何度も同じ事を言ったのだ。
ーーーそして、
息をしろ、と言われた瞬間、何かの糸が切れた。そして、更に抱きしめられ、
『傷みも、苦しみも、恐怖も全部、
俺に押し付けろ、俺が引き受ける。
その傷みごと
俺の元に、全部全部帰って来い。』
そう、言われた瞬間に、視界に
完全に色が戻ってきた。
ここは現実なのだ。おれはまだ、生きていても、
良いのだ。
帰っても、良いのだ。
御船の腕は、おれにそう言ってくれていた。
帰って来い。
ーーー帰る…、おれ、
智紀。
ーーーおれは、本当は、
愛してる。
ーーー本当はずっと御船に…、
星と、視界と、御船の目が、
キラリと光った。
その後に感じた熱い口付けも、深く、力強く、
溶けそうなほど、甘かった。
よく覚えてる。
ーーー御船、おれも、おれも
お前のことをーーー。
ピッピッ、ピッ、
小さな電子音に気付き、覚醒する。
七瀬は薄っすら目を開けて、
視界を定めた。
目の前には見慣れぬ白い天井があった。
カーテンの間から光が差し込んで、
七瀬を包む白い布団を照らしている。
ーーーここは…、
どうやら病院のようだ。
七瀬はぼんやりした頭で、昨夜の記憶を辿る。
ーーーおれが怯えて、鉄の部屋だと思っていたのは、病院だったわけか…。
自分の早とちりをなんとも可笑しく思い、
少し笑ってから、辺りを見回した。
自分が横たわっているベッドはカーテンで仕切られて、部屋全体の様子はここからではよく、分からない。
身体を起こそうとしたところで、
ふと、右手に違和感を感じた。
違和感、というよりは温もりだ。
大きな手が七瀬の手を包み込み、しっかり握りしめられながら、ベッドの上に重ねられている。
そして更に視線をあげると、そこには見慣れたダークブラウンの頭がベッドの上に乗っていた。
椅子に座りながらも、体重をベッドにもたせかけ、静かな寝息を立てている。
七瀬は思わず泣きそうになってしまった。
「…御船、」
七瀬は身を起こし、さらりとした髪の毛に指を入れた。
身体はまだ、心地よさそうに小さく揺れている。
「御船、」
七瀬は髪を梳きながら、少し強く、
御船に呼びかけた。蹲っていた身体がピクリと動く。
そして、のろのろした動きで、片手で顔を半分覆いながら、その顔が上がった。
眠そうに眉を寄せて、瞼は震えて、唇は欠伸を押し殺している。
「…ん、」
「御船…、おはよう、」
“おはよう”で良いのか、分からないが、
とりあえず声をかける。
「…ん、七瀬…?」
「うん、御船おはよう。」
「…七瀬?」
ハッとしたように御船の目が開かれた。
ガバリと跳ね起きて、顔に当てていた手をゆっくり、七瀬の頰に乗せた。
「…気が付いたのか?」
「…おかげさまで。」
気恥ずかしくなって少し顔を俯ける。
あんまり思い出したくないが、昨日の夜(もしかしたら今日かもしれないけど、ていうか今何時だ?)は結構、凄いことを言ってしまった気がする。色々と。
素面で、しかもこんな明るい所で顔を合わせるのは恥ずかしい。
しかし、なおも御船は七瀬を覗き込み、頰にやった手を今度は額に持って行った。
「具合は?どこか痛いところはないのか?」
「…ない。大丈夫だ。」
本当は握り締められた手が少し痛いけど。
「…熱も、ないな。」
確認するように呟いた後で、御船がガバリと七瀬を抱きすくめた。重なった御船の身体こそ、高熱の時のように熱かった。七瀬の胸もジンと熱くなる。
「七瀬……、七瀬…。」
「…ごめん、御船、心配かけて。」
「本当に、帰って来たんだな?」
肩に顔を埋めながら、御船が問う。
七瀬は小さく頷いた。
ーーー帰って来たよ、
「うん…、もう大丈夫。」
そっと御船の背中に手を回し、七瀬も小さく抱き返す。御船は更に力を強めて抱き締めた。
そして七瀬の肩の上で小さく呻いた。
「…もう、しばらく屋上へは行くな。
俺の心臓が止まるから。」
「…悪い。」
その切なそうな声に、七瀬の胸も詰まった。
「七瀬、」
そして、抱き締めていた身体を少し離して、
もう一度確認するように、七瀬を眺めた。
「本当に気分が悪かったりしないんだな?」
「うん、」
「苦しかったり吐きそうだったり、」
「ない、」
「痛いところも?」
「ないよ、」
ーーー未だ握り締められている手以外は。
とは言えずに、しつこいくらいの御船の質問に
しっかり力強く答える。
御船が心配するのは無理もない。
病人が屋上で飛び降りようとしたのを目の当たりにすれば、念入りになるのは当然だ。
本当に大丈夫だ、と言った七瀬の顔をじいっとしばらく見つめた後で、御船は七瀬をベッドの上に押し倒した。
「御船…ッ?」
ベッドの柔らかい感触を背中に感じたのと同時に、唇の上に熱いものが重なった。
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