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お願いは命令
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白田は涙の滲んでぼやける視界の中、少しずれた眼鏡越しに自分のTシャツの胸ぐらを掴んで締め上げてくる男を恐々見上げた。背中を預けた壁のおかげでやっと立っていられる。
「何度言ったらわかるかなあ。今、この場で頼れんのってお前しかいないんだよ。なあ、やってくれるだろ?」
くわえ煙草で少しくぐもった声。一応、疑問符は付いてる。しかしながら、これは命令だった。ギリギリとシャツを締め上げてくるゴツい腕の力がさらに増し、その男の迫力と力技に白田の膝がぶるぶる震える。
「で、でも、先生、」
「あん?」
その一言が怖い。怖すぎて、また涙が増す。しかも言葉を発する度に煙の出ている煙草が揺れ、火傷しそうで思わず顔を背けた。
「大丈夫だって、なにもナニしろって話じゃねえんだ。」
「な、なに、」
男の言うナニに反応して背けていた視線を戻せば、ギョッとするほど近くに無精髭の生えた顔があり、そのクマのあるどんよりした目から反射的に目を逸らす。
「まあ、やりてえならやりゃいいんだよ。そこは自己判断、臨機応変だろ。そんで、俺にネタ提供してくれりゃいいんだから。少しは興味あんだろ?あんまり溜めすぎんのは良くないぜ。」
急に優しくなる声音。胸元の圧迫感がなくなり、おもむろに腰のやや下、尻とも呼べる部分をジーンズ越しにぐっと掴まれた。
「ひっ、」
自分より背の高い威圧的な男に対し、ほとんど声にならない悲鳴が漏れ、成人男性の平均的な体が縮こまる。猫に追い詰められた鼠のようにか弱く、見事に相手の嗜虐心をくすぐるその才能。先生と呼ばれる男はニヤリと笑みを浮かべて助手である白田の尻から手を引き、灰の落ちそうな煙草をこれでもかと深く一気に吸い込み、近くのテーブルに置いてある灰皿に押し付けた。肺に回った煙が鼻と口から出て、ヤニ臭い部屋に漂う。
「おら、とっとと行ってこい。」
しっしっと追い払う動作で手の甲を白田に向けて振る。用済みとばかりに仕事用のデスクに向かう男の背中を見つめながら眼鏡の位置を直し、反論が何も出てこず少し伸びてしまったシャツの襟元を正して唇を噛み締める。いや、白田には言いたい事は山ほどあってもいつもの様に何も言えない。自分で行けよの一言を言えたらこんなに苦しまない。キリキリと慢性化しつつある胃が痛み、先程滲んでいた恐ろしさから来る涙は悔し涙に変わる。33歳、もうそろそろこんな生活をやめて真っ当な社会人になりたいとは言いたくても、あの顔を見ると恐ろしくてとても言い出せない。これで何度目かわからない、この横暴な雇い主へ辞表を叩きつけるシーンを空想して涙を飲む。
「行ってきます。」
蚊の鳴くような声を何とか吐き出し、壁からよろよろと離れると床に乱雑に積み重ねてある雑誌や資料の隙間から自分のリュックを掴んで部屋を出た。パタンと玄関が閉まる音がそんなに広くもない部屋に響く。
「ありゃ食われちまうか。」
まあいいか、と男の手がデスクの上にある煙草に伸びる。箱を振って一本出したが、思い直して止めた。助手が煙草の煙でむせても文句を言えずに我慢している姿が浮かび、ガシガシと頭をかきながら狭いベランダの窓を開けるためにデスクを離れる。
「バカだな。」
窓を開けたついでにベランダにもたれかかり、どんよりした夜空を見上げる。助手は男の用意したメモを頼りにその店を訪れ、そして翌日にはネタをぶら下げこのマンションにやって来るのだろう。それが仕事なのだと自分に言い聞かせながら。
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