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笑うつむじ
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「あの、先生!」
今夜も出て行こうとしている背中を追いかけるように、玄関先で焦った様子の声に捕まった。黒谷が振り返ると、何故か上下ジャージ姿の白田が、いつものリュックにタオルと水の入ったペットボトルを詰め込みながら小走りで来た。
「なに?」
半ば用件をわかっていながら尋ねると、予想通りの言葉が返ってくる。
「ジムに行くなら一緒に行ってもいいですか?」
リュックを胸に抱いて、そうやって準備万端で不安そうな縋るような瞳をされたら、いくら本音では一緒は避けたいと思っていても嫌とは言い難い。出そうなため息を飲み込む。
「お前ジムは初めてか?」
こくこくと黒頭が頷く。顔に、断らないでくださいと書いてある。黒谷はガシガシと髪をかき、ままならない思いを流した。
「まあ、いいけど。ただし、お前のトレーニングに付き合ったりはしねえけどいいか?」
「あ、はい!」
「まあ今日は体験ってことで、トレーナーが付いてくれるだろうから大丈夫だろう。」
「はい!」
白田からキレの良い返事と笑みがこぼれる。黒谷の隣に並んでスニーカーを履くと、久し振りに一緒に家を出た。
白田は遠くで筋トレをしている黒谷をチラ見して、耳から入ってくるランニングマシンの使用方法を適当に聞き流していた。女性のトレーナーと親しげに会話をしているのだが、その内容が気になる。
「とりあえず、ゆっくり走ってみましょうか。」
その言葉にハッとして視線を向ける。いかにも運動神経良さげな爽やかな笑顔に慌てて頷いた。
「あ、はい。」
隣に立つ若い男性トレーナーに促されてゆっくり走り出す。順調な足運びを見守り、彼は次の段階へ進むことにした。
「少し速度を速めますね。」
「はい。」
そう言ったものの、日頃の運動不足がたたり息が切れ、大した時間もかからないうちに疲れてくる。スタミナ不足は否めない。ぜえぜえと息を吐き出し、だんだんと前のめりに傾く体の重さに足が進まない。
「あ!」
しまったと思った時には、足がもつれていた。とっさにランニングマシンのバーを掴もうと伸ばした手よりも早く迅速に、トレーナーが停止ボタンを押して白田を受け止めた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ、はい。すみません!」
厚い胸板から急いで体を離すと、恥ずかしい思いが込み上げてきて慌てて頭を下げる。早くもジムに来たことを後悔しながら、とんでもなく鈍臭い自分を呪う。
「足は挫いてないですか?」
そう問われて、右足の少しの痛みに気付く。自覚した途端、急激な速さでじんじんと広がり出す。眉をしかめたのを見逃さなかったのか、トレーナーの行動は素早かった。
「ちょっと失礼します。」
白田の右脇から支えるように持ち上げ、体重の負担を軽くした。
「ベンチに行きましょう。」
トレーナーとしての責任を感じている硬い表情に頷き、左足でけんけんをして移動する。ベンチに座ると、彼は足元へ屈み込み白田のジャージの裾をめくり腫れ具合を確認した。
「ああ、よかった。腫れてはないです、念のため冷やした方がいいので救護セットを持って来ます。」
幾分か表情が和らぎ、急ぎ足で側を離れる。その背中を見送りながら、白田は心の底から申し訳なく思う。速度調整の仕方も停止ボタンの位置もちゃんと教わったはずだった、上の空で走ったりしなければ起こらなかったことだろう。
「すみません。僕の不注意で迷惑おかけして。」
すぐに戻って来た彼へ謝罪する。
「いいえ、俺がついていながらすみません。」
再び屈み込み、自然な動作で白田の足を支えてシューズを脱がせた。するりと靴下に手をかけられハッとする。
「あの、自分でやります!」
「大丈夫ですよ、俺慣れてるんで。」
他意なく笑顔で答える彼の背後に影が差した。ポンっと肩に手が置かれる。
「俺がやる。」
まさにしっしっと追い払われた彼へ更に心の中で謝罪を重ね、白田は優しい手つきで靴下を脱がせる男のつむじへ話しかけた。
「いつから気付いてたんですか、先生。」
「お前が無様に転んだところとかは見てねえよ。」
「それ、思いっきり見てますよね。」
白田は顔を赤くして、くつくつと笑うつむじを恨めしく思った。
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