アダルトコンテンツが含まれます。
18歳以上ですか?
- 文字サイズ:
- 行間:
- 背景色:
-
Vivre dans la révolution~革命に生きて
バスティーユ襲撃
-
第一身分の司祭には、平民出身の司祭も少なくなかった。
「平民が政治に口を出すとは・・・」
マリーは呆然としている。
全国三部会は「国民議会」になった。
7月9日、「憲法制定国民議会」に。
このままでは王政が危ないだろう、とルイ16世が途方に暮れる。
「国王陛下。市民の暴動に備え、三万ものの軍勢がヴェルサイユに集まっております。憲法制定国民議会の解散を命じては・・・・」
ジャン=フランソワとクレリーは言う。
しかし、そう簡単に同意することは不可能。
「ジャン=フランソワとクレリーの言う通りです。国王陛下、これを機にネッケルを解任すべきです。ネッケルは平民のためにしか動いていません」
7月11日、ルイ16世はネッケルを更迭、
翌日、午前中のパリでは・・・
「ネッケルが更迭されたって!?」
「我々のために動いてくれていたのに!これは、オーストリア女の言いなりだぞ!?」
「もう、女の言いなりの国王にはついていけない!」
ギリギリの生活に市民の怒りに火が付いた。
1789年7月12日・・・
カミーユ・デ=ムーランがパレ・ロワイヤル広場のカフェで
「武器を取れ!」
激烈に民衆を扇動した。そのとき、カミーユの婚約者ルシール、ジョルジュ・ダントン、友人のフレデリック・デュソワールたちも一緒だった。
ルシールはブルジョワ家庭産まれでデ=ムーランとは格差がある。
そのため、ルシールの父親からは交際を大反対されていた。
デ=ムーランは決して、ひるむことなかった。ルシールの家庭教師として出入りすればいい。
そうこうしていくうちに、二人の仲は順調にはぐくんでいった。
『ルシール。俺が独り歩きできるようになったら、結婚しよう』
*******
1789年7月14日・・・
「え!?」
ディディエは民衆の怒りを目の当たりに。もみくちゃにされていた。
「ぼーっとしているお前さんが悪いんだ」
民衆は気が立っている。
武器を持った市民が、バスティーユに集まったのだ。
主門の跳ね足が飛んだ!中に進んでいく市民たち。
デ=ムーランはデュソワールと一緒に市民たちの先頭に立ってバスティーユ襲撃。
それを機に、デ=ムーランは成功を収めたのは言うまでもなかった。
デ=ムーランは弁護士として成功するかと思っていたが、吃音が災いして、失敗に。
それでも、「自由の国フランス」のパンフレットを発刊し、反響を呼んだ。
大砲の音がけたたましく、頑丈な門が打ち破られた。
「ゴホゴホ・・・」
ディディエはもみくちゃにされ、咳ばらいをしていた。
翌日のヴェルサイユ宮殿寝室・・・
側近であるラ・ロシュフコー=リアンクール公爵が蒼ざめた表情で、国王の寝室に入ってきた。
ラ・ロシュフコー=リアンクールは、ジャン=フランソワ・デシャンの同僚である。
フランソワ・アレクサンドル・フレデリック・ドゥ・ラ=ロシュフーコー・リアンクール(François Alexandre Frédéric, duc de la Rochefoucauld-Liancourt 1747-1827)
「国王陛下、バスティーユ監獄が陥落しました!」
「暴動か? (C'est une révolte?)」
「今回は衛兵が暴徒に加担しています!」
「いいえ陛下、これは暴動ではありません、革命でございます (Non sire, ce n'est pas une révolte, c'est une révolution.)」
843年8月10日から始まったフランス王国。
フランク王国の発音が変化したものである。
こうして、946年間続いた王政は崩壊への序章を歩もうとしていた・・・
現在の設定
文字サイズ
行間
背景色
×
19 / 71