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その11
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演奏を終えてすぐ、トイレ!と言って広紀が駆け出していったのを呆れて見送っていた鋼太郎たちだったが、あれから一向に彼が戻らないので変だと思った。
そういえば、ファイサルさんと優留もいない。一緒に後ろの方にいたと思ったんだけど、と享も首をかしげるので、いよいよ奇妙だと感じた鋼太郎は享とルカを会員達の話し相手としてその場に残し、まず化粧室へ行ってみたが、広紀の姿はなかった。
付近を見回してみたがレストランの建物の中には広紀も、ファイサルたちもいる様子がないので、外へ出て探していたところ…駐車場に停めた優留の車の前にいる所を見つけたのだ。
時折風が吹き、雨が体を叩きつける中で立ち尽くす広紀と…ファイサルと優留はぬかるんだアスファルトの上に座り込んでいる。
明らかに、何か普通ではないことがあったのだと鋼太郎は察した。
「ていうか…ここにずっといるつもり?とりあえず雨やどりできるトコまで行こうよ…それから何があったのか話してもらうし」
鋼太郎が広紀の、すっかり濡れてしまった黒のジャケットの袖を引っ張り、移動を促した。
◆
「俺は…テロに参加するつもりで、神崎の車を奪おうと、彼をナイフで脅した」
悪天候のため誰もいないテラス席に集った四人だったが、始めに口を開いたのはファイサルだった。あまりにも衝撃的な話で、後の三人は言葉もなくその場に立ちすくした。
「ちょっと待ってよ…あんたまさか…こないだ空港で捕まったってのは」
「俺だ。だけどあの時は本当に、俺は何もしてない。だが警察の奴らが、俺を明らかに犯罪者予備軍みたいな目で見るのにイラついた」
「だからって!ホントにコトを起こそうとしてたら意味ないでしょ!」
「だけどもう、それしか考えられなかった。自分の居場所がないことが耐えられなかったんだよ!俺は日本人でもシリア人でもない。何を誇りに、拠り所にしたらいいんだ!」
「アンタはまたそういう…屁理屈だけで何でも決めつけんじゃないわよ!」
「あのー」
気が短い鋼太郎が早速ファイサルと口論になりかけている所へ、優留がすっと入り込んだ。
「拠り所を求めて悩むっていうのは…大なり小なり、誰にだってあることです。俺もそうでしたよ。うちはもう…両親がサイテーで。子供にも過干渉かと思えばネグレクト。滅茶苦茶ですよ。文字通り家族崩壊。俺はずっと、兄以外の家族は存在しないことにしてどうにか生きてきた」
「マジで…」
「そうだったのか…」
初めて聞く優留の家族の話に、鋼太郎と広紀も驚きの色を隠せなかった。
明るく感じのいい普段の彼からは全く想像できない。
「ホント、普通の家族が羨ましくて、なんで自分にはそれがないのか、自分だけが世界から仲間はずれだって…ずっとイジけてました。…いるんですよ。あなたの他にもこういう奴がいくらでも」
「親が…そんな…ひどい話だ」
少なくとも自分の両親だけは自分を可愛がって、守ってくれた。ファイサルは優留の置かれた境遇を想像して慄いた。
「けど、ないものを無理に求めなくたって、それに代わるものが見つかるんだって気がつきました。それは例えば、仕事に打ち込むこととか…でも一番は、享と会えたことかな」
「無理に…求めない…?」
「まあ、誇りって言われるとよくわからないけど。でもそれって、生きてく上でそれほど必要ですかね。特にその、何人だからどうって」
逆にファイサルへ問いながら、優留はふっと息を吐き出した。
「俺みたいに一番身近な帰属場所のはずの家族がアレだと正直ね…自分が属するものに依存する意味がわからなくなる。結局自分がどういう生き方するかってことだけが大事だと思う」
「…」
ファイサルには思いもよらない考え方だった。どう答えたらいいのかわからず、優留に目を向けたまま答えを探した。
「俺の場合に限っては…かもしれないけど」
広紀が雨音に濡れる夜の庭を見つめながら、ぽつりと漏らした。
「誇りっていうのは、誰かに自分の優位を示して満足することじゃないと思う。だってさ、俺はこんな凄いんだぞって誰かにアピールしたって、相手は素直にああ、凄いねって思うか?イラっとするだけだろ。それって結局、認められてないんじゃないか」
「…その通りね」
あはは、と声を立てて鋼太郎も笑った。
「ファイサル、君はルカを見てたら気づかないか?誇り高いっていうのは他者への愛情の深さのことを言うんだろ。人は何より、自分に愛情を向けてくれる人間を尊敬するものなんだから」
「愛情…」
「君は…ルカのことが好き?」
広紀の問いに、ファイサルは頷いた。
「だったら、ただ彼の愛情に応えればいい。それで君も、彼と同じ場所に立つことができるはずだ」
…ああ、そうだ。
ルカほど情の深い人間を他には知らない。
ずっと彼に救われてきた。
そうだった。
あのとき。
広紀と優留を振り切って、奪った車で別世界へ行こうと決めかけた。
だけどネコの鳴き声が聞こえた時、ルカの顔が目に浮かんで…
思わず車から飛び出していた。
車の下で必死に子ネコを探しながら、封印しようとしていたルカへの思いが一気に噴き出した。まるでルカを探し求めるみたいに、か細い声で鳴き続ける生き物を泣きながら探して…
ようやく捕まえて懐へ押し込んだら、今まで自分を塗り固めていた硬くて冷たいものが砕け散ったような気がした。
残ったのは、元どおりの自分。
何者にもなれず…秀でたものもなく。
だけどそれが俺という人間ならば、受け入れるしかないのか。
ルカに相応しい人間になりたくてもその術もわからない自分に苛立っていた。そんな自分を変えたくて…
でも、自分がしようとしていたのはまるで逆のことだった。広紀の言葉でやっと気付いた。
日本人とかシリア人とか、母のこと…唯の言い訳だった。まして幸せになって欲しいと父の元へ自分を返した母の思いを、自分はずっと裏切っていたのだから。
それは…ルカに対しても同じだった。
◆
鋼太郎までが戻ってこないので、遂にしびれを切らしてルカと享もレストランの外へ出てみた。すると雨が降りこむテラス席であとの四人がびしょ濡れになっているのが見えた。
「何してんだ…?風邪ひくだろ!」
ルカの声に、俯いたままだったファイサルがはっと顔を上げた。
「なっ、何?どうしたんだよ」
ファイサルが自分と目が合うなり、自分を凝視したまま近づいてきて…いきなり足元に抱きついてきたのでルカは仰天した。
「頼む…俺を見捨てないでくれ!お前がそうしろって言うならここに這いつくばってもいい。俺を許してくれ」
「はあ?……ていうか!見捨てたのはお前だろ!ミディ駅で!」
「違う…自信がなかったんだ。お前を好きでいる資格があるかどうか」
「資格?資格って何だよ?俺はお前のシューカツ先か!…え、好き?」
ルカは目を瞬かせた。そして下を向く。
ファイサルと目が合って、ルカは聞き返した。
「今…俺を好きって言った?」
「ああ。好きだ!今まではっきり言えなかった。そのせいで…俺は恐ろしいことに手を染める所だった」
ルカにしがみつくファイサルの手が震えた。
「ここにいる…皆に迷惑をかけてしまった…本当にすまない」
「お前…一体何する気だったんだよ」
「神崎クンの車を盗んで、テロに参加するつもりだったんだってさ」
「テ…」
「ちょっと!声がデカい!中に聞こえたらどうすんのよ!」
ルカが叫びそうになるのを横から鋼太郎が慌てて口を塞いだ。
「意味わかんない…何で好きとか嫌いとか言えないとテロに走るんだよ。バカか!バカ!」
ルカは何度も『バカ!』と言いながら、ファイサルの肩や背中を所構わず両拳で叩きまくった。
「ああ、バカだ。もう少しで取り返しのつかないことになる所だった…」
ファイサルは一切反論せず、ルカにされるがままになっていた。
「何でそんな、不器用なんだよ…」
涙声になった。思わずファイサルがルカを見上げると、ルカがファイサルの首に抱きついてきた。
「お前に好きだって言われる以外に、何が必要なんだよ…」
お前が好きだって、何度も言ったじゃないか。
好きなものは好きなんだ。理由なんて考えたことない。
ルカの言葉に、ファイサルはただ無言で…彼の胸元に顔を埋めた。
もう、余計なことは考えない。ルカの言葉と、自分の思いだけを信じる。
俺にできることは…ただ、ルカを愛することだけだ。
「展開がスピーディすぎて…」
「僕、これ以上邪魔にならないよう、中に入りますー…」
出来上がってしまったルカとファイサルの側から、あとの四人は安堵しつつ呆れつつ、そっと離れようとした、その時…
「にい」
「…えっ」
ファイサルに抱きついていたルカは、すぐ近くで何かの鳴き声がするのにやっと気づいて、辺りを見回した。すると、ファイサルの懐が何やらごそごそと動いている。
「何だお前…そんなとこに何入れてんだ?」
「にい」
ルカがファイサルのダウンのジッパーを下ろすと、ひょこっと小さな頭が飛び出した。
「ネコ?」
「えっ、ネコお?」
「ネコー!」
退散しかけた享と鋼太郎も思わず振り返った。
大きく鮮やかなブルーの眼がルカをじっと見て、また『にい』と鳴いた。
顔の外側と背中、尻尾は黒くて、口の周りと腹の毛は…多分白なのだろうが、すっかり薄汚れて灰色になった子ネコだ。
「はは…お前…どうしたんだよ、こいつ…」
愛らしい鳴き声を聞いて、思わずルカの口元が緩む。
「うわあ…まだちっちゃい。可愛い!」
享も二人に近づいて、子ネコを覗き込んだ。
「俺の車のエンジンルームに入り込んでたのを、ファイサルさんが気づいて、車の下から助け出してくれたんですよ」
「あんたさあ…その車でテロに参加するつもりだったんでしょ。そこでネコとか助ける?…マジウケるわー」
我慢できず、ついに鋼太郎は笑い出した。
「…我に返った。こいつのお陰で」
「ファイサルらしいよ。だって俺が初めて会った時は小鳥のヒナ持って木によじ登ってたんだぜ」
よかった…
懐に入った子ネコごと、ルカはもう一度ファイサルを抱きしめた。
お前は、何も変わってなかった…あの時のままだった。
俺が一番…好きなお前のままだった。
小鳥も子ネコも、どんな小さな命でも放っておけない。それが本当のお前なんだから。
これからも、ずっと変わらないでいてくれ…
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