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鶴松
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「若さん。朝ですよ」
「はい」
襖(ふすま)越しに通いの奉公の女中から声をかけられて寝床から起き出した。
襖がそっと開き水を張った盥(たらい)と布切れ、それに歯を磨くための先端の繊維をほどいた枝と塩と灰を混ぜた現代で言う歯磨き粉を盛った木皿が畳の部屋に押し入れられる。
「早くしないと皆さん朝食に集まりますよ」
「はい」
お店の隣の土地に使っていない掘っ立て小屋のような茅葺(かやぶき)の家があるがそこが僕一人が住んでいる家だ。
鶴松は家業は継がず、姉と入り婿の元番台の義理のお兄さんが切り盛りしていた。
ただ、朝食だけは奉公人家族全員で必ず一緒に食べるという習わしがあったので鶴松は急いで身支度をしていた。
江戸の朝は早い。
男も女もまずは身支度をすることから一日が始まる。
男でも髪を撫でつけ、歯を削れる位に何度も磨き、肌の調子を鏡で見たり、頬を膨らませてみたりして鶴松は今日もああ、こざっぱりしたという心持ちで着物に着替えた。
「鶴松おはよう」
「おはようございます」
膳がずらりと並べられた部屋にぎゅうぎゅうに通いの奉公の人と店に住んでいる奉公の人たちから朝の挨拶をかけられながらいつもの席に座りお櫃(ひつ)に入った飯をドスンドスンと仏様のご飯のように全員の茶碗に注いで行く女中に
「ご飯盛るのも大変だなあ」
と鶴松はのんきに考えていた。
「鶴松」
「はい」
不意に大旦那の父親に声をかけられて父親の方を見た。
「今朝、千代吉姐さんのところの使いが来て鶴松に用事とのことだから頼まれていた品物と一緒に持って行ってやってくれ」
「はい」
と返事をする。
千代吉姐さんは吉原の花魁だ。
夜の吉原は苦手だが朝陽の中の吉原は嫌いじゃない。
ささっ、と飯をかき込みまた歯を磨いて髪を整えて表に出た。
通りを通る人たちから声をかけられる。
「おはようございます」
「おや、どちらへ?」
「ちょっとお店の使いです」
「そうですか。若さんが表にいるのは珍しいねえ」
鶴松は外を歩くのがあまり好きではなかった。
なよっとした女形のように薄い肩、白い肌にまだ髭の生えていない滑らかな肌は女性でも男性でもない、少年と青年の間の微妙な年代になっていた。
鶴松は陽に焼けた男たちの中でも陰間の少年や役者と勘違いされるような色が白く女形と見間違えられるような外見だった。
つまりひょろっとした頼りない感じなんだろう?
と鶴松は思っているのだが。
だが、鶴松の外見の自己評価はあまり当てにならないようだ。
たまにからみつく視線を受けることがある。
悪い気はしない。ただ。
まだそういうのはちょっと。
鶴松位の年齢になれば女体のこと、秘め事のことなどをレクチャーされたりするものなのだが鶴松は「えへへへへ。。。。」とはぐらかしていた。
鶴松の家は大店だから鶴松との縁談もたくさん来ているらしい。
だが、家族は鶴松が今までの家系の中で初めての男の子ということで鶴松の好きなようにさせてあげていた。いいなずけが欲しくないならしょうがない、と鶴松の好きなようにさせていた。女遊びにも博打にも興味を持たず自分の家で本を読んだり書いたり、長唄を歌っていたり。俳句を詠んだり。そんな鶴松を温かく見守っていてくれた。
道中で神社にお参りをして帰る途中の美坂野と会った。
「おぅ鶴松どこ行くんだい?」
「千代吉姐さんのところにお使い。今日もお参り?」
「おぅ。今日も一日いい日でありますように、ってな。千代吉のところか俺も行くかな」
「駄目だよ。千代吉姐さん朝は遅いから化粧とかもしてない姿見られたらキィーキィー怒るよ」
「なんでお前は怒られないんだよ」
「僕はいいの」
「なんだそれ?それより鶴松何歳になった?」
「15歳」
「そうか。まだ女も男も知らないんだろう?俺が教えてやるよ」
「いいよ」
「俺が相手してやろう。女の抱き方も男からの抱かれ方も教えてやる」
着物の前襟(えり)のところから手を入れてこようとする美坂野の手を鶴松は払った。
「こんな道の真ん中でお天道様の真下で何してるんだよ」
「いいじゃないか。ほらみんなも俺たち見て喜んでるじゃないか」
見れば道中の女の人はキャーキャー騒いでいるし男たちはニヤニヤ見ていた。
「美坂野兄ちゃんがそばにいると目立つから早く行っておくれ。僕急ぐから」
「つれねえなあ。今度楽屋においで。おいしいお菓子あげよう」
「いらない」
そう言うと鶴松はあっかんべーをして小走りに走った。
そういうところはまだ子供なのである。
ただ、中身は子供のままでも体は大人になりつつある。
鶴松は自分が男性からも女性からもそういう目で見られ始めているのも自覚していた。
「色(いろ)を極める、たしなむのも芸道って言うしそうするのが普通なんだろうけど。うーん......」
美坂野のようなスターの気質はないと鶴松は自覚しているが容姿がどうやらそういうのにとても都合の良い容姿らしい。
何年か前にはどこだかのお侍さんとかお坊さんが来て僕を預けてみないか?と父親に言って来たのを父は「まだ鶴松には早いから」と断ったそうだ。どこかの後家(ごけ)さんが僕を奉公に上げないかと言って来たらしいし。うーん・・・・男性にも女性にもそう見られてるのかな。
それってそういうことだよね?
鶴松は本や人から聞いた知識でなんとなく色事のことも理解して来ていた。
色を極める中で男色もたしなむものとは分かっているけれど、美坂野とそんなことするなんて想像つかないし笑ってしまうだろう。ちゃんちゃらおかしい。
ま、いつかしたくなったらするさ。
鶴松はいつもこんな調子でマイペースなのである。
裾(すそ)が土埃で少し汚れるのを睨みながら小走りで道中を駆け抜けて千代吉のいる仙吉楼に到着した。
「若さんおはよう」
「おはよう」
仙吉楼のまだ禿(かむろ:遊女じゃない遊女の身の回りの世話をする少女のこと)の女の子が打ち水をしているのをヒラリと交わしながら挨拶をした。
「千代吉姐さん?」
「うん。頼まれていた品物持って来たの。僕呼ばれているって聞いたから」
「待ってて」
女の子は店に走って入って行った。
鶴松は店先の上がり框(かまち)に腰かけて裾の土埃をはたいて待っていた。
しばらくして禿の少女は戻って来ると
「千代吉姐さんが少しその辺りを歩いて出直して来て頂戴って」
と笑いながら言った。
ああ、千代吉姐さん多分昨日も遅くまで......。
しょうがない。
千代吉姐さん身支度するのに1時間はかかるだろうからまた吉原出てどこかほっつき歩こう、と鶴松は吉原の門をくぐって吉原を出た。
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