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小志乃
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野乃助はお客の一人、小志乃の家の前で壁に寄りかかって立っていた。
家の中から小志乃の長唄が聞こえていた。
お客が仕事をしていたり、忙しくしている時は野乃助は声をかけず相手が気付くまで待つのを自分の流儀としていた。
野乃助は紅やお白粉を売る。
壁にもたれかかりながら通りを見ていると野乃助をキャーキャー言いながら見る娘もいたし、ぼーっと野乃助に見とれながら歩いて蹴躓(けつまず)く男もいる。
野乃助の容姿は充分人を惹きつけるのは周知。
野乃助もそれを分かっていて女性を相手に紅やお白粉を売り歩く。
同業者もいるにはいるが客の取り合いにはならなかった。
現在のホストクラブと同じで一度贔屓(ひいき)と決めたら暗黙の了解でそのお白粉屋からしか購入はしないし、お白粉を買うのは百姓の女などではなくある程度お金のある女達。
お互い何かしらの密約があるのはこちらも暗黙の了解なのである。
野乃助は相手が女だろうと男だろうとためらわず着物を脱ぐ。
長唄の声が途切れた。
家からニヤついた男が出て来て「また、来週」などと言って出て行った。
小志乃が
「野乃助さん待たせたわね上がってちょうだい」
と壁に寄りかかっている野乃助に声をかけた。
「はい、邪魔します」
と野乃助は座敷に上がった。
小志乃は野乃助から紅やお白粉を買っているが体を求められたりしたことはない。
野乃助の外見に惹かれて購入してついでに・・・・という関係ではなかった。
「ちょうど、紅が切れかかっていたのよ」
「そうですか。これどうぞ」
背中に背負っているお白粉箱から紅を取り出して渡す。
それを受け取り、小志乃は小指で紅を取るとスウッと口にひいた。
「ふふ、女の化粧をするところを見るもんじゃあありませんよ」
「ああ、失礼しました」
小志乃はニィっと笑った。
妖艶だな、と思う。
小志乃は武家に嫁いだ同じ武家出身の娘だったが旦那は急死し、小志乃は子供が産まれないことを旦那の実家に何度もなじられていたことから旦那の死の直後家を追い出されたらしい。
実家にももう帰れず一人、この家を借りて長唄の師匠みたいなことをしている。
武家の家の娘ということで芸事や作法は身に着けていたのと、24歳にしても衰えない美貌を武器にたくましく生きている女性だった。
当時14~17歳の女が結婚適齢期だったことから18歳位から女性は年増と言われるような時代だった。
それを考えると小志乃は「もう娘十八、番茶も出がらし」という時代だから年増扱いなのだがその美貌で生きていける位に男性を惹きつけていた。
当時ほとんどの大奥の女性たちは20代中盤には大奥を去っていたし、将軍に求められても30歳間際の人間は「御褥(おしとね)下がり」と言って将軍が求めても断るということがある位なので小志乃の境遇は決して女性として有利な境遇でも年齢でもなかった。
「花の色は 移りにけりないたづらに わが身世にふる ながめせしまに」
「小野小町ですか」
「ええ。私も野乃助さんの稼業もそういうことなんでしょう?」
小志乃はよく分かっていた。賢い女性なのだろう。
野乃助の職業はこの容姿が衰えたら食ってはいけない。この容姿だからやっていける仕事だ。小志乃だってそうだと言っているのだろう。
小志乃の外見がなければ長唄の師匠なんて閑古鳥が鳴いていただろう。ある程度の小金持ちの男が粋な芸事習いで長唄を習いに来ているがほとんどが小志乃目当てである。
小志乃もそれを充分分かっているようだ。
そして己の年齢に関しても。現実を理解していた。
「野乃助さんあたしだって分かっているのです。だから紅をひく。お白粉をはたく。これが私の甲冑、刀なのです」
「勇ましいですね」
外見を武器に。
そう、俺もそうだ。
だから俺も小志乃さんも似通っているのかもしれない。
「女だから、後家(未亡人)だからと泣いていても誰も助けてはくれませぬ。ならば強く生きねば」
「そうですね」
当時女の職業は限られていた。それほど職業選択の自由も無ければ、雇用自体も多くはない。
小志乃は女ということを武器にして闘うのを決めていたようだが一度として春を売ることはなかった。
曲りなりにも武家の娘。
鼻の下を伸ばした男たちを手玉に取りながら強く生きようとしている。
以前、野乃助が「小志乃さん。寂しいなら抱いて差し上げましょうか?」と言った時
「私が愛した人は死んだあの人だけだから」
と野乃助の優しさを拒んだことがある。
お互い性欲から惚れた晴れた、エッチがしたいというわけではなく寂しさを紛らわす為の慰めの行為を野乃助が申し出たと理解していた。
「野乃助さん。最近誰か良い方か想い人がいらっしゃるんじゃないの?」
小志乃の言葉に頭にちらつくのは染芳の顔だった。
「何故そう思うのです?」
「だって、いつも物想いにふけっているように見えるんですもの。町の娘たちも噂していますよ。物想いにふける野乃助さんのなんと悩ましいことか、美しいと噂してるわ」
「ふふふ」
人が悩んでいることでさえ、それさえも良く映るのだな。
人間とは勝手なものだ。
野乃助は他の男性とは違った。
色を極める為に男色行為をする、という風潮で男性との性行為もやぶさかではないこの時代。
野乃助は女性は性の対象ではなく、仕事上の為に女性に春を売るが心奪われるのは男性だった。
男性にだって春を売ることもあった。
でも。
心の内では。
染芳に抱かれたいと思ってもう男は相手にしていなかった。
自分勝手な誓い立てだが。
男とは染芳としか寝たくない。
野乃助は今現在で言うところのゲイである。
男性しか愛せない人間だった。
染芳のことばかりが頭に浮かぶ。
「野乃助さん、花の命は短いわ。分かるわね」
野乃助は目の前の小志乃の顔を見据えた。
「その想い、成就するといいわね」
小志乃は野乃助が無言で押し黙っていたのを何も聞かずにそう言った。
「花はね野乃助さん」
小志乃が庭の垣根にからまる朝顔を見ながら言う。
「お天道様が昇ったら閉じていた花を開かせるけれど。夜の露を払って何もなかったように綺麗に咲くわ。人も一緒よ。涙を払って人は生きて行くもの」
「小志乃さんらしい綺麗な言い方ですね」
「ふふふ。私は徒花(あだばな)、咲いても実を結ばずに散る花かもしれないけれど。それでも大輪の花を咲かせてみせましょう」
小志乃はそう言って笑うが。
花をつけても実を成せなかった、死んでしまった愛した人の子を成せなかった自分を嘲笑しているようにも聞こえた。
「そうですね。俺も大きな花を咲かせてみせます」
出されたお茶を野乃助はずずっとすすった。
いつかこの想いも。
花を咲かせるのだろうか。
無言で二人でお茶を飲んでいる時、鶴松の声が響いた。
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