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湯屋
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「小志乃さーん、いるー?」
垣根越しに鶴松の頭が覗いていた。
「若さんいますよ。そんなところにいらっしゃらず上がってらっしゃい」
「あー?野乃ちゃんもいる。ちょうどよかった」
「どうしたんだい?」
「美坂野兄ちゃんから羊羹もらった。食べよ」
鶴松はタタタタッと小走りで家の玄関へと走って行く。
ガラガラッと戸が開く音がして鶴松が飛び込んで来た。
「羊羹、羊羹!!」
「まぁ、お高いのにいいんですの?」
「うん。美坂野兄ちゃん羊羹嫌いなんだって。だから全部くれた。みんなに配ろうと思って」
「鶴松、汗だくじゃないか」
「走って来た」
鶴松は白い歯を見せてニコッと笑った。
三人で羊羹を食べる。
「鶴松、汗だくだから風呂に行こうか。小志乃さんもご一緒にどうです?」
「よろしいんですの?」
「ええ、小志乃さん一人だといろいろ大変でしょう」
当時江戸の町にはたくさんの湯屋があった。
家に内風呂のある家は全くない時代である。
金持ちも貧乏人も全員湯屋のお世話になっていた。
江戸の町は火事が多いのと薪などの燃料が高い、家の構造的に湯殿を作ったり井戸水の出の悪い江戸では難しかったなどの理由の為である。
薪などの燃料が生活費の中で占める割合は大きく、風呂好きの江戸の庶民には内風呂は手が届かない代物である。
さらに、公衆浴場の入浴料はお上より規定の料金のお達しがあるのでどこも一律で安かった。庶民に気軽に入れるものであった。そば1杯の値段よりも安かった。(そば1杯16文位。現代換算すれば260円位でしょうか。風呂屋はその半分の130円代位と思っていただければ)
「ええ・・・・・でも私は行水とかでよろしいのです」
「まぁ遠慮なさらず。鶴松と俺で守りますよ」
「いいのかしら」
「うん、みんなで風呂行こうー!!」
当時の湯屋は混浴である。
混浴の為に異性に対するいたずらも数多くあった。
当初はサウナ式の風呂として始まった湯屋も、鶴松の生きている時代には今現在のような湯に入る様式になっていた。
浴槽のある部屋は真っ暗く、柘榴口(ざくろぐち:三方はめ板で囲まれた小室に浴槽を置き、出入口に天井から低く板をさげ湯気が逃げるのを防いでいたしきり。客はこの板をくぐり出入りします。)という脱衣所と湯殿を分けるしきりを頭をかがめてくぐる時には、
「枝が触りますよ」
と声をかけ、中に居る人は
「ゴホンゴホン」
と咳払いなどをして自分の存在をアピールしなければいけない程浴槽の中は真っ暗なのである。
真っ暗なのをいいことにエロい奴は若い女と分かるや否や触ろうとする。
その為若い娘の入浴には家人が付き添いで一緒に行きガードなどをしていたという。
「なかなか湯屋に行けないのではないですか?俺たちが守りますから」
「でも、めんどくさいでしょう?」
「なーに。構いやしませんよ。行水ばかりじゃ物足りないでしょう。湯屋でゆっくりするといいです。俺たちが守りますよ」
小志乃は庭に置いてあった行水用のだろう、水を張った盥(たらい)を見てためらっていたが、
「お二人のご好意に甘えましょう」
と湯屋に行く準備を始めた。
鶴松と野乃助も各々の家に取って返す。
湯屋に持って行くさっぱりとした洗い立ての着物を風呂敷に入れてまた小志乃の家に戻る約束をした。
鶴松はお店の方に顔を出して、
「僕風呂行って来る」
と声をかけた。
「おや、若さん。俺たちも行きましょうか?」
屈強な使用人の男が何人か名乗り出たが
「ううん、野乃ちゃんと行くから大丈夫」
と断った。
「野乃助とだと、どっちも危ないんじゃ?」
という家人や奉公人の声を無視して鶴松は通りに駆け出した。
小志乃も同じだが鶴松も痴漢されることがある。
そういう外見だからしょうがないが。
湯屋に行く時は屈強な使用人がボディーガードのように鶴松の回りを固めて湯屋に行っていた。
「まるで娘みたいだな」
と良くからかわれたがしょうがないのかなあ?と鶴松はのん気なものである。
暗い中、湯船から延びる手を何度も何度も振り払う煩わしさを考えたら誰かと一緒に入りに行った方が気が楽だったからだ。
「野乃ちゃんとこに寄ってから小志乃さんのとこに行こう」
と鶴松は道中の野乃助のいる長屋に向かう。
染芳と野乃助が長屋の前に立っていた。
「あー、染芳さーん!!」
「おぅ、鶴松か」
「お風呂行こうー!!」
美坂野のところにいた時は怒っていたが今は機嫌が直っているようだった。
「い・いや。野乃助にも言われたが俺は」
「なんだね?鶴松とか小志乃さんと一緒だとナニがおっ勃っちまうのかい?」
「違う!!」
野乃助と染芳が睨み合うのを鶴松は見ていた。
「二人共仲いいねー」
「どこがっ!!」
「どこがだ!!」
鶴松の言葉に二人はクワッ!!と鶴松を見て言うので鶴松はビクっとする。
「う・うーん。野乃ちゃんも僕も小志乃さんもだけど三人じゃ心細いよ。もちろん、僕たちでもちょっかい出す野郎とかを怒鳴りつけること出来るよ。でも、うーん。。。。。なにげに僕たちも痴漢の対象になっちゃうよね?だから染芳さん僕たち守ってよ」
「鶴松のところの奉公がいるだろう」
「小志乃さんいるって言ったら奉公の人たちが変な気を起こしかねないよ」
美貌の未亡人の小志乃と一緒に風呂に入ると知ったら鶴松のところの男やもめの奉公人は喜んで全員来るだろう。だから鶴松は小志乃と一緒とは言わなかった。
「ね?染芳さんいいでしょ?ね?染芳さんその辺りしっかりしてるから僕たち安心」
「さすが旗本の次男坊でいらはりますなあ。町人の願いを聞いてくれはるんですやろ?」
鶴松が懇願するそばで、野乃助がいつもより強い上方訛りで野乃助を言葉で痛ぶる。
「分かったよ!!ちょっと待っとけ!!」
染芳は自分の長屋の家に入り、風呂敷を持って出て来た。
三人で小志乃の家に戻ると小志乃は準備を終えて待っていた。
「まぁ。染芳さんまですいません」
「いえ」
「さあ、急ごう。夕刻時になると人増えるから人がいないこの時間ならゆっくり出来る」
野乃助の言葉に一同頷いて湯屋に向かった。
当時の湯屋の営業時間は資料が少ないので諸説あるが8時位~20時位だったのではと言われている。
江戸に住む人間は一日に2回程朝と夕刻に湯屋に入っていたというような記述もあるが、それは火山灰の降ることも多々あったからではないか、という説もある。
江戸の人の風呂好きと言われる所以でもある。
江戸以外の地域では人口も多くなく、湯屋も江戸の町ほど多くなかったので一日に2回も湯屋に行くようなことはなかったようである。
「ああ、空いてますね」
「うん、空いてるね。入ろう!!」
野乃助と鶴松はためらわずに着物を脱ぎ出した。
染芳は三人を見ないようにしながらおずおずと服を脱ぎ出す。
小志乃もそろりと脱ぐと野乃助と鶴松の背後に身を隠した。
脱衣所も男女同じなのである。
んんっ?
鶴松は染芳を見て不思議に思った。
なんで顔赤いんだろう?目がキョロキョロしてる。
筋肉質な染芳の体の上に困ったような染芳の顔が乗っているのが鶴松はおかしかった。
野乃助の方を見るとそんな染芳を見ていたが堂々としたもので別に下を隠すでもなく仁王立ちして染芳を見ていた。
こちらも顔が上気しているように見えるけど湯殿から流れて来る蒸気にあたったのかな?暑いからなあ、と思っていた。
「ほら、染芳。行くよ」
「分かってるよ」
野乃助は染芳を小突いて湯殿へと向かった。
一番前を染芳が歩き、小志乃の右手と左手に野乃助と鶴松がガッチリガードして湯殿に入る。
「枝が触る!!」
と染芳は大きな声で言い放つと中からはコホン、と老人の女性の声だけがコダマした。
どうやら先客はほとんどいないようだ。
「わー!!」
「ほら、鶴松。騒いでこけるなよ」
野乃助が注意したが鶴松は湯に駆け寄りザブンと入った。
コホンと咳をした老齢の女性が鶴松のことを知っていたみたいで鶴松の「わー!」という声から気付いたのか
「○○のところの若さん?」
と鶴松に声をかけていた。
鶴松はその声に反応してその女性と話をする。
「ああ、やっぱり湯屋はいいですね」
のんびり入れると分かった小志乃はリラックスしているようだった。
それに引き換え。
染芳と野乃助は湯の熱さもあるがお互いを意識して言葉少なだった。
「おい」
野乃助は染芳に声をかける。
「なんだ」
染芳は答えた。
「暗いな」
「そうだな」
また無言になる。
「あったまったら背中こすってやるよ」
「いいよ」
「恥ずかしがるな」
「恥ずかしいと思っているわけじゃない!!」
野乃助の好意の言葉に染芳が言葉を返す。
「あらあら。染芳さんお背中流してもらえばいいじゃありませんか」
小志乃が笑いながら染芳に言った。
「若さん、若さんの背中は私が流しましょう」
「えー?小志乃さんに流してもらったって知られたらみんなから何か言われるよー」
「若、大丈夫ですよ。今は若たちとこの婆しかいませんから」
一緒に入っている老齢の女性も愉快そうに笑った。
「もうそろそろしたらたくさん入って来るから若い娘さんも手早く洗っちまった方がいいよ」
婆の言葉に全員湯から上がって洗いっこをしていた。
「私、若くないですけど・・・・」
と鶴松の背中を流す小志乃が苦笑いをしているようだった。
「いいじゃないですかー。小志乃さん。僕も背中流してあげるー。背中向けてー」
その一方染芳たちは。
「お前の背中でけーんだよ」
「うるさい」
野乃助が染芳の背中を洗いながら文句を言い、染芳は背後に裸の野乃助がいるということに委縮していた。
「ほら、洗ったよ」
「俺も洗ってやるよ」
「よろしく頼む」
野乃助が背中を見せたところで染芳は後を振り返った。
うっすらと暗がりに野乃助の背中が見えた。
その柔らかな肌に触れ、手触りで柔らかなうなじに触れ。
染芳は心臓が早鐘を鳴らすのを感じた。
鶴松を見てもドキッとするが早鐘を打つのはこいつの時だけだ。
この気持ちはなんだ。
「おい。手が止まってる」
「ああ、分かってるよ」
野乃助の言葉に我に返り、また背中をこする。
もっと触りたい。もっと触れたい。
後から抱きしめたい。
染芳は女色も知らなければ男色もまだ知らない。
染芳は野乃助が仕事の傍ら春を売っているのを知っていた。
この肌に何人も触れているのかと思うと染芳は気が狂わんばかりだった。
「終わったよ!!」
乱暴に野乃助の背中に手拭いをピシャリと投げた。
「痛ぇーな!!何しやがる!!」
「うるさい」
染芳はまた背中を向けて自分の体の前を洗いだした。
野乃助はそんな染芳の態度を嫉妬とは知らずただ悲しく思っていた。
俺は染芳に嫌われているのか?拒絶されているのか?と思ったのだ。
そんなやり取りを聞いていて二人の真意に気付いていたのは小志乃だけだった。
「若さん」
「はい?」
「野乃助さんも不器用。染芳さんも不器用だから。若さんよろしくね」
「えー?うん」
二人のそんな事情を知らない鶴松は「確かにあの二人たまに頭固いからなあ」と解釈して生返事をした。
その時鶴松はハッ、と思い出した。
羊羹届けないといけない人まだいたや。と。
明日でいいかな?と鶴松は野乃助と染芳の方でそんな心の動きがあったことも知らず考えていた。
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