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蓮華王院
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鶴松は小志乃の家で長唄を唄っていた。
垣根越しに覗く男たちの視線を気にせず二人は長唄を唄い、三味線を鳴らした。
鶴松は性には奥手でも見られることには慣れっ子で全然気にならないのである。
暑いから障子を閉めることも出来ず二人は垣根から覗く男たちの視線を受けながら二人唄に興じ、三味線をかき鳴らした。
「若さん」
「はい?」
「最近、染芳さんと野乃助さんの調子はどうかしら?」
「調子ですか?」
「そう」
鶴松は最近二人一緒の姿を見ていないと話をした。
「そう。今度お二人を誘って遊びにいらして下さるように言ってもらえませんでしょうか」
「遊びにですか?」
「はい、この前の湯殿のお礼もしたいと思いますし」
「いいですよー。そんなの」
「いえ、私がそうしたいのです。お二人も呼んで唄会でもしませんか?」
「唄会ですかー?面白そう」
小志乃は気付いていたのである。
二人が何故かよそよそしくしているのも。
それなのにお互い意識し合っているのも。
何かあったに違いないと。
私よりも近しい鶴松の方が気付いてもおかしくはないはずだが何も気付いていないようだ。
やはり大店の御子息ともなれば浮世のことなどには興味もなくドン、と構えているものなのかと小志乃は鶴松を過大評価していた。
実際は鶴松はただ鈍(にぶ)いだけである。
「じゃあ二人に話をして予定聞いておきますー」
「ええ、そうして下さいな。あら?美坂野さん」
「おぅ」
垣根越しに覗いていた男たちを押しやって美坂野の顔がニョキッと垣根から覗いていた。
周囲の男たちが遠巻きに離れて行く。
美坂野は売れっ子の役者で、今で言えば人気の芸能人なのである。
現代のようにクラスメイトがいきなりテレビに出て有名になったという類の芸能人ではなく、銀幕のスター、遠巻きに見られるような芸能人と言ったら分かりやすいだろうか。花魁の千代吉と同じくオーラがやはり違うのである。
「鶴松、いい声してるじゃないか」
「えへへへ」
「もういいかい?俺と一緒に来てくれ」
「どこに?」
「楽屋に。おいしいお菓子がある」
「うん。小志乃さん行って来る。またお菓子持って来るね」
「はい」
小志乃は垣根の方を向いて畳に手をついてお辞儀をした。
垣根から拍手が起きる。
それは小志乃と鶴松の長唄に聴きほれ、見惚れていた聴衆からの賞賛の喝采だった。
「美坂野兄ちゃん、舞台はどう?」
「客は多いなあ。鶴松も席取ってあげるから遊びに来いよ」
「やだよー。この前みたいに瓦版屋にまた変なこと書かれるもん」
瓦版屋というのは御存知だろうが今で言う雑誌や新聞みたいなものである。
テレビもない時代、娯楽の一つでもあった。
ただ、この瓦版屋というのは曲者である。
お金さえ出せば捏造記事も書いてしまうところがあったのである。
今現在も変わらないと言えば変わらないか。ステマ記事なども書いて流行を作る側面もあった。
「変じゃないじゃないか」
「変だよー。僕と美坂野兄ちゃんが恋仲で僕がいつも舞台に通っている恋女房だなんてさー。家族は笑ってたけど通り歩くたびにほら、みんな見てる」
鶴松と美坂野が通りを歩いていると遠巻きに視線が注がれた。
コソコソと話をしているのが聞こえて来る。
「はぁー。絶対勘違いされてる」
「勘違いされたら嫌なのかい?」
「だってー。そうじゃないものー。美坂野兄ちゃんは嫌じゃないの?」
「嫌じゃないよ」
実は。
その記事を書かせたのは美坂野である。
瓦版屋に3両出してその記事を書かせた張本人なのである。
「鶴松いいじゃねーか。このまま恋女房と思われても」
「えー?」
美坂野が笑って言うのを非難するような目で鶴松は「えー?えー?」と言葉を投げ返す。
美坂野がお菓子を充分大人である15歳の鶴松に何度も上げようとする意図にも鶴松は気付いてはいなかった。
鶴松、お前はあの時俺にくれた饅頭のこと覚えていないのか?
俺は忘れたことないのに。
あの味もあの時の気持ちも。
そんな美坂野の気持ちはいつまでたっても鶴松には届かない。
だから強硬手段に出たのである。
瓦版を使って外堀を埋めて、鶴松に意識させようとしたのである。
だが、どうやら今回も駄目なようであった。
「鶴松は金のかかる男だなあ。全然落ちないなあ」
「へ?」
楽屋に入って美坂野はドカッと鏡台の前に座ると楽屋にいた人間を人払いをして鶴松と二人きりになった。
「鶴松、これ饅頭あるよ」
「わー。これ両国にあるおいしい饅頭屋さんの饅頭でしょう?良く買えたねぇ」
「おぅ。鶴松の為に買って来たよ」
「誰か使いの人行かせたんでしょう?」
「お・おぅ・・・・」
自分で並んで買ったわけではないのでなんとなく言葉がよどむ。
確かに下っ端を走らせて買いに行かせたわけだが。
鶴松が饅頭を二つに割って片方を美坂野に渡した。
あの時と同じ笑顔だった。
受け取って食べる饅頭はあの時のようにしょっぱくはなかった。
記憶の中であの時の饅頭はしょっぱかった記憶があるが今思えばあれは涙の味だったんだろうと思う。
「鶴松もっとこっち来いよ」
「?」
鶴松は言われた通りに美坂野のそばに座る。
「背中向けて」
「うん?」
美坂野に背中を向けて鶴丸は座った。
鶴松の背中を包むように美坂野は抱いた。
「どうしたの?」
「鶴松はいい香りするなあ」
「そう?」
「あったけーなー」
「暑くない?」
「この暑さがいいんじゃねーか」
「そう?僕汗かいてるから臭くない?」
「臭くないよ。いい匂いだ」
「えー?」
鶴松は抱かれているのに全然そういう風にならねーんだな。
なんで鶴松、なんとも思ってないって風に饅頭食べてるんだよ。
俺に抱かれてるんだぞ。
なんでお前は普通でいられるんだ。
「美坂野兄ちゃん、下の一物が僕にあたってる」
「そうしてるんだよ」
「え?」
そこで楽屋の戸がガラガラっと開いた。
「誰だっ!!人払いしただろうが。誰も入れるなって言ったはずだ!!」
「すいません、でも蓮華王院様が・・・・」
「蓮華王院?」
「おや、美坂野。私でも入っちゃいけなかったかね。睦言(むつみごと)の最中だったか」
「いや、そういうわけでは」
蓮華王院が使いの人間の背後から現れたので抱き締めていた鶴松から離れて美坂野は居を正した。
鶴松は饅頭を置いてペコリと蓮華王院に挨拶をした。
「こんにちは。貫首様」
「うむ。瓦版で根も葉も無い迷いごとが流布しているようだが」
「はい、僕も美坂野兄ちゃんも困っちゃいます」
「そうであろう、そうであろう。そんなことあるわけもない」
蓮華王院は満足そうに笑った。
この生臭坊主。いいところで出て来やがって。
美坂野はパトロンの一人である蓮華王院をキッと知られぬように睨んでいた。
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