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駆けて行く気持ち
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野乃助は小走りで吉原の大門を抜け、長屋へと向かった。
長屋の染芳の家の戸を叩く。
「染芳!!」
返事がない。
居ないことがさらに野乃助の不安を掻き立てた。
戸を開けると染芳の姿が無かった。
「どうしたの?野乃助さん」
同じ長屋に住む住人の女が野乃助に声をかけた。
「染芳見ませんでしたか?」
「染芳さん?ああ、湯屋か飯でも食べに行ったんじゃないかねえ。出かけるのを見ましたよ」
野乃助はそれを聞いてまた長屋から離れて通りを小走りしながら染芳の姿を探した。
もしかしたら。
千代吉姐さんの言っていたことを知ってしまったのかもしれない。
絶望して自暴自棄になるかもしれない。
武士であることを人一倍誇りに思って生きて来た染芳だから。
もう武士でいられなくなる、家もなくなると知ったら。
「染芳、染芳」
野乃助はつぶやきながら町を彷徨(さまよ)った。
裾(すそ)は泥と土埃で汚れ、足には血がにじんでいた。
鼻緒が擦れて足から血が流れていた。
野乃助は歩けなくなった。
どこにも染芳が見当たらなかった。
道端に座り込んで涙がとめどなく流れて来る。
後悔の涙だった。
もう染芳に会えなくなるかもしれない。
何故目をそらしたり近づいて来るのを拒んでしまったのか。
どこにもいない。
もしかしたらもう戻って来ないかもしれない。
千代吉姐さんまで話が行き渡っているということは。
本人に話が届いていてもおかしくない。
染芳本人にもいずれ伝わるだろうし家から連絡もあるだろう。
道端に座り込んで涙を流す野乃助の側に誰かが立った。
「野乃助?」
「染芳!!」
野乃助は立ち上がって染芳の袖を掴んだ。
「バカ野郎!!探したんだぞ!!どこ行ってたんだ!!」
「いや、寄木細工の依頼があったからな。その家に邪魔していた」
家の中にいたから姿が見えなかったのか。
野乃助はほっとしたと同時に怒りが込み上げて来た。
「どれだけ心配したか知っているのか!!」
「なんだと言うのだ!?」
「お前は何も分かっていない!!」
「ど・どうしたのだ?」
「俺がどれだけ染芳を探しまわったか、心配していたかお前は知らない!!」
泣いてすがる野乃助に染芳は困惑した。
「どうしたというのだ?」
「鶴松のところに行って俺に夜這いする為の本を借りたな」
「な!?つ・鶴松・・・」
「何故コソコソするんだ!!俺に真正面から言えないのか!!お前は武士だろう!!何故俺に直接言ってくれない!!」
「・・・・・・お前は俺に抱かれるのが嫌じゃないのか」
「嫌なものか!!嫌な事があるものか!!俺の気持ちに何故気付いてくれない!!何故抱いてくれない、俺が陰間上がりで汚いからか?」
「違う」
「じゃあ何故夜這いで誰かも分からない真っ暗な状態で俺を抱こうなんてこと考えるんだ!!俺はその程度の存在なのか」
「違う。俺はお前に惚れてしまった。でもお前は目をそらす、近づいても逃げて行く。だが抱きたい気持ちは耐えがたく無理にでも抱きたくなったのだ」
そこでお互いの気持ちに気付く。
「足を怪我しておるではないか」
「たいしたことない」
「何を言うか」
江戸時代が現在のように医療が発達している時代でもなければ衛生面でも良い状態ではない、傷口からの菌やウィルスが入り壊死などもある時代である。
「あ、野乃ちゃん染芳さん」
鶴松が野乃助と染芳の方へと駆け寄って来た。
鶴松は二人を心配していたが何が出来るか分からず、長屋を訪れ二人共いなかった為同じく町を彷徨っていたのである。
「鶴松の家の方が近いな。鶴松、染芳が足を怪我をしている。連れて行ってよいか?」
「うん。そこに酒屋あるから酒買って来る」
鶴松はまた駆け出してとっくりの酒を買って来た。
染芳が受け取って口に含み野乃助の足に吹きかける。
染芳は自分の着物の袖を歯で引き千切り、その切れ端を酒に浸して足に付着した土などをふき取りまた袖を引き千切って酒に浸し軽く絞ると傷口を縛った。
「しみるだろうが我慢するのだ」
介抱してもらっている野乃助は染芳の顔をずっと見ていた。
鶴松はそれに気付いて「こういうのは僕はじっと見ちゃいけないんじゃないか」と思って空ばかり見ていた。
「染芳の着物が」
「構わぬ。元々、襤褸(ぼろ)の着物だ。今朝洗って乾かした物だからそれ程汚れてはいなかっただろう。野乃助のやわ肌が傷ついてはいかぬ故(ゆえ)」
そう言うと染芳は野乃助に背中を見せ「おぶされ」と言った。
野乃助は素直にその背中におぶさった。
野乃助をおぶさって歩く染芳の後を数歩遅れて鶴松は歩いた。
道行く町人が野乃助に声をかける。
「足怪我したのかい?」
「大したことじゃありません。ちょっと鼻緒が切れちまって」
「そうかい。そうかい」
鶴松の家について盥(たらい)の水で綺麗にもう一度野乃助の足を染芳は洗ってやって、鶴松が傷に効くという野草を煎じた練り物を持って来たのでそれを塗って布でしばった。
「これで大丈夫だろう」
「すまねえ。ありがとう」
野乃助と染芳はそこで無言になった。
鶴松は今までになかった感情が湧くのを感じた。
居たたまれない。この空気はなんだ。
なんだかここに居てはいけない気がする。
「染芳さん、野乃ちゃんご飯食べた?」
「いや、まだだが」
「そうなんだ。ちょっと待ってて。ご飯食べてってよ」
「悪いよ、鶴松」
「いいよ、野乃ちゃん。ゆっくりしてって。持ってくる」
そう言うと鶴松はその離れを後にして店で準備されていた自分の夕餉と、それでは足りない為奉公人に「友達いるからもう少し出して」とおかずを余計に出させた。そして奉公人と家人に
「明日の朝まで離れに来ないで。文章を書いて静かに過ごしたいから」
と言ってまた離れに戻った。
お盆に夕餉を乗せて鶴松の部屋に戻った時まだ二人は無言のままだった。
「これご飯、食べて食べてー」
「鶴松は食べないのか?」
「うん、千代吉姐さんのところでご馳走になっちゃった」
鶴松はを嘘を吐いた。
「僕、美坂野兄ちゃんのところに行って来る」
「な・・・・・今からか?では俺たちも帰ろう」
とご飯をかき込む染芳が慌てて刀を腰に差して立ち上がろうとするのを鶴松は押しとどめた。
「ううん、二人はここに居ていいよ。僕美坂野兄ちゃんのところに泊まる予定」
「どうした?鶴松」
野乃助は不思議そうな顔で鶴松を見た。
「長屋は隣の人が歩く音すら響くよ。会話してる内容だって聞こえちゃう。そのー、僕今日離れに帰って来ないから。誰も来ないよ。じゃ!!この離れ、大切な貸し本とか金目の物たくさんあるから誰かいて内からつっかえ棒して戸締りしないと困っちゃうから勝手に帰らないでよ!!泥棒が入って来ちゃう!!ちゃんと朝まで居てねー!!」
鶴松はそう言うと駆けて行った。
「お、おい!!」
「鶴松ー!!」
染芳と野乃助が背後で叫んでいたが鶴松は聞こえない振りをして暗くなって来た通りを駆けて行った。
長屋でエッチなんてゆっくり出来るわけがない。
鶴松は滅多にない気をきかせたのである。
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