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戦友
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家に戻ると染芳は全裸で寝ていた。
「ああ、薄布団をかけて出て来たのだが」
何故か野乃助が顔を赤くして困っていた。
鶴松は笑い声を上げる。
その笑い声で染芳が起きた。
起きてすぐに自分の現状に気付いてバッと着物を羽織った。
「お前ら失礼ではないか。人の寝ている姿を見るなど」
「だってー。ここ僕の家だもん」
睦(むつ)みごとの後の生々しい気配がそこかしこに形として残っていた。
「す・すまん。すぐ片付ける」
散乱している染芳のふんどしや一物から出た物を拭き取ったのであろう、くしゃくしゃに丸められた懐紙(かいし:和紙でチリ紙としてやハンカチ、鶴松のようにもらったお菓子を包んだりといろいろな用途で使われたふところにしまっていた和紙)が散乱しているのを染芳が慌てて拾い集める。
「うーん?野乃ちゃん。楽しかった?」
色事に関しては語彙力の無さそうな鶴松が野乃助にそう尋ねた。
「そうだな。楽しかった」
野乃助は「楽しいとは違うんだが・・・」と思いつつ素直に鶴松の語彙に合わせて答えた。
染芳はあたふたと片付けながら野乃助の言葉に痛く感動していた。
「そうか。野乃助は楽しかったのか」
野乃助は染芳が涙目で野乃助を見ているのを、
「染芳は初めての色で余程感動したと見える」
と嬉しいような、それでいてこんなに思われていることに気恥ずかしくも思った。
鶴松の家の方から奉公人の男たちの声や朝餉の準備をする慌ただしい音が響き出していた。
「鶴松、俺たちはもう行くよ」
「うん。またね」
「鶴松、世話になった」
野乃助は鶴松に別れを告げ、染芳は心からの感謝の言葉を鶴松にかけて二人、外の通りに出た。
外の通りには仕入れの籠(かご)を担ぐ人間たちや荷車の往来で活気が出て来ていた。
江戸の朝は早いと以前書いたが、野乃助たちの家を出た時刻は現代で言うと朝5時頃である。
長屋に住む人間には行燈の油である菜種油が非常に高価で、
「菜種油一升(1・8リットル)で米二升が買える」
と言われたほど高価だった。
長屋の人間は大体陽の落ちる夜20時には寝ていることがほとんどだった。
また行燈の油としても使われる魚油は菜種油の半値と安価だったが悪臭がひどく、長い間使用していると苦痛になったという。
蝋燭の明るさは行燈の四、五倍だったが値段も菜種油よりはるかに高かった。
蝋燭の明るさが暗闇でどれ位効果があるかはご存知だろう、それよりも微力な行燈の明るさは本を読める程明るくはなかった、ということでもある。
その淡い光の中で二人は色事をしていたということになる。
鶴松の家のように使われていたのが菜種油であった為、染芳と野乃助は魚臭い一夜ではなく夢のような一夜を過ごせたのである。
そういう意味でも二人は鶴松に感謝していた。
お金持ちの家だからこそ素敵な一夜を過ごせたのである。
通りにはどんどん人の往来が増えて行く。
明かりの燃料のこともあり、夜早く寝た人たちが物の仕入れや店の営業準備と、町に活気が湧いて来る。
「いつもと変わらないのだな」
「何が?」
染芳が通りを歩きながら言う言葉に野乃助は問いかけた。
「俺は初めて色(エロ)を知ったが町はいつもと変わらないのだな、と思ってな」
「変わりゃあしないよ」
「そうか。俺の心持ちは随分と晴れ晴れとして変わっているのだがな」
染芳は不思議だ、と言うような目で野乃助に言った。
ああ、なんて純粋なんだろう。
野乃助はそんな染芳の言葉に胸が締め付けられた。
初めて好いた人間が染芳でよかったと思う野乃助であった。
「野乃助」
「なんだ?」
「小志乃さんから唄会を開く、来て欲しいと誘われている。一緒に行こう」
「何故?」
「この前の湯屋のお礼がしたいとのことだ」
「そうか。美坂野も誘う」
「美坂野を?」
「美坂野は鶴松を小さき頃から好いている。その気持ちにまだ鶴松は気付かずに来ているが」
「そうなのか?美坂野は鶴松に惚れていたのか!?」
「そうだ。もう随分前からそうだ。言わずにこの年まで美坂野は我慢していた。鶴松のことを思ってのことでもある。鶴松は大店の子息、その時美坂野はまだ・・・・・今のような有名役者でもなかった」
言葉が澱(よど)む。
以前は陰間だったとも、今でも蓮華王院や金持ちの後家などの相手をして金を稼いでいるのは言えなかった。
人気役者ともなればタニマチがいないと何も出来ない。
金がたくさんいる。
自分の舞台でいい劇をする為に人気の劇作家に自分の為、劇を書かせるお金もいる。持つ物も高級品を使って一流を極めようとするとなると金を湯水のように使わないといけない。
人の視線が集まる職業故に着る物、一挙手一投足、持つ物、全てにおいて一流を求められる。
それが美坂野は分かっているからまだ春を・・・・。
あの頃と違うのは利用される側ではなく、利用する側になったというだけだ。
身体を美坂野は売りながら、それを今は自分の意思でしている。
金を巻き上げる為、破滅させる為。
その為の体。
する行為は同じでもあの頃のような心持ちとは違う。
美坂野の心は。
悲しんでいるのではない、これは復讐なのではないか。
最近、金の尽きた美坂野のタニマチだった後家が捨てられたと聞く。
金を全て美坂野に注ぎこんだその後家は江戸の町から消えたらしいが。
美坂野、お前はそれでいいのか?
金と周囲に翻弄された美坂野はまだ抜け切れていない。
鶴松が好きなら。
その生活から抜けないといけないのに。
なんで続けるんだ?人気役者になってしまって抜けられずにいるのか。
でも。もしかしたら。
野乃助はふと、鶴松がこの前言った言葉が甦る。
「鶴松がこの前言っていた。美坂野に旅に出ようと楽屋で誘われたと」
「旅?」
「そうだ。美坂野は本当は役者なんかどうでもいい位、今の注目を浴びる生活ではなく鶴松との生活の方が一番に思っているということの言葉ではないかと思う。唄会で二人を会わせてあげたいと思う。心を合わせるのさ。唄にその気持ちを込めれば鈍感な鶴松もいい加減気付くのではないかと思って」
「野乃助は優しいのだな」
隣に立つ染芳が目を細めた。
「違ぇーよ。美坂野はダチなのさ。小さい頃からのダチだ。戦友だからだ」
「戦友?」
「そうさ」
言うまい。
俺の過去は知られてもいいが美坂野の過去は誰にも言うまい。
それを一番消したいのは美坂野だろう。
どんなことをされて来たか、俺がされて来たことよりもひどいことをさせられていたと聞いている。
通りを歩きながら無言になった野乃助に染芳は顔を覗き込む。
「大丈夫か野乃助?」
「お天道様がまぶしく感じることもあるのだ」
「お天道様?」
「そうさ。お天道様にまともに顔を向けられねえ時代もあったってことさ。それが自分のせいじゃなく周囲に翻弄(ほんろう)されていたとしてもな」
そう言って話をうやむやにしながら野乃助は歩いた。
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