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千代吉の呪(まじな)い
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千代吉は鶴松をその日も呼びつけ話を聞いていた。
「そうかい。染芳とやらと野乃助は契(ちぎ)ったのかい」
「うん」
「で、鶴松は美坂野のところで寝てただけなのかい?」
「うん。行くところなくてお店の方で寝てもよかったんだけど。みんな離れでちゃんと寝なさいってうるさいんだ。だから、みんなにどうして離れで寝ないの?って聞かれちゃうと二人がいるのばれちゃいそうで」
「美坂野は起きたらいなくなってたんだね?」
「うん。野乃ちゃんが迎えに来ててそのまま帰った。今度お礼を言いに行かなきゃ」
千代吉は美坂野は一線を越えなかったね、と安堵した。
鶴松は駄目なんだよ、美坂野。
大店の御子息というだけじゃない。
鶴松は。
千代吉は前々から薄々あることに気付いていたのである。
「鶴松、あんた。話には聞いていたけど子供の頃から一人で離れにいたのかい?」
「うん。でもお店の方も行き来してたけど広い部屋使えて嬉しかった」
嬉しそうに鶴松はニコニコ話す。
貸本もたくさん集められたし好きなことが出来たと嬉々として話すけど。
客の大名から聞いたことがある。
少しおかしい子は離れで幽閉するように育てる話を。
当時の江戸の人間は知らなかったが、お白粉などには水銀が含まれる物が出回っていた。
お白粉には水銀が含まれていた。
水銀中毒のことが分からない当時は水銀中毒の患者が無自覚にも多く存在し、また知的障害を持つ子も多くいた。
紅やお白粉を普段から使用するお金持ちの妻子や大名の子には少なからず知的障害の子が多くいたという話もある。
母から子へ。
水銀の毒が妊婦の頃から。
そして乳母のつける顔から首筋、胸元へと伸びるお白粉から。
乳をもらいながら水銀ももらっていた。
野乃助は大人になってからお白粉を扱い出したのと本人が塗っているわけではないので重度の水銀中毒ではなかったようである。
ただ、運悪く母体の中にいる頃や小さい頃に水銀も与えられて知的障害を持つに至ったそういう子たちは狐憑きや神様憑きとして社会から隔離されて生きる。
名のある家柄では葬り去るということも簡単ではない。
だから幽閉したり、人目につかないように存在自体を闇に葬ったのだ。
ただ鶴松は。
普通に見える。
他の人間と同じく普通に見えるが。
この子は他の子と違う。
何故この子は迷わない。
何故この子はいつもニコニコしている。
感情を一つしか持っていないような気がする。
もう15歳なのに。
あどけない笑顔と愛くるしい表情。
まるで歳を取らない。
この子は。
人間としてではなく。
神様憑きか狐憑きとして離れを与えられているのじゃないか。
千代吉はだから美坂野を制止していたのもあるのである。
神様憑き、狐憑きとの契りはいけない。
いずれどちらも不幸になる。
千代吉の推測ではあったが、この前客が話をした噂で確信に迫りつつあった。
「鶴松は隣町の大店の娘の所に婿養子に行くのではないか?」
という噂だ。
だが鶴松本人は全然気付いていない。
確か隣町のあの店と言ったら。
同じ神様憑きと噂されている家。
娘はいるらしいが。
表で娘を見た人間は誰もいないというもっぱらの噂だ。
鶴松は同じ神様憑きの者として。
家族に捧(ささ)げられたのではないか。
「鶴松」
「はい」
首を傾げて可愛らしい笑顔で千代吉をじっと見ていた。
何も知らない澱(よど)みのない二つの目が千代吉を見ていた。
「あんたは人間さ。可愛らしい人間の子さ」
「僕もう15歳で子供じゃないですよ」
鶴松はふくれっ面をして千代吉の言葉に異を唱える。
とても神様憑きや狐憑きには見えない。
少し違和感があるだけだ。
千代吉は鶴松をじっと見る。
今現代で言えば鶴松は軽度の知的障害か精神障害だったのかもしれないがそれは今となっては分からない。もしかしたら精神発達遅延の可能性もある。
「鶴松。美坂野のこと好きかい?」
「うん、大好きだよ。優しいし。野乃ちゃんも好き。染芳さんも好き。千代吉姐さんも好き。春ちゃんも好き。小志乃さんも好き、ってあれ?姐さんなんで泣くの?」
「ああ、煙草の煙が目に染みちまったのさ」
鶴松を救う方法はないのだろうか。
鶴松はいずれ。
客の大名の話ではそういう神様憑きは長く生きられないと聞く。
「最近楽しいんだ」
鶴松は笑いながら言う。
「毎日お客さんが来て、野乃ちゃんとか染芳さんとか美坂野兄ちゃんとか春ちゃんとかが遊びに来て。小志乃さんのところに唄歌いに行って。千代吉姐さんに毎朝会いに来て。僕楽しい」
「鶴松こっちにおいで」
千代吉は鶴松を傍らに呼んだ。
「なーに?千代吉姐さん?」
「遊女たちの間で流行ってる幸せになれるっていう呪(まじな)いさ」
千代吉は煙草を仕舞っている小箱から鈴を取り出しチリチリと鳴らす。
千代吉は自分の頭から髪を三本抜くと鈴についている紐に結(ゆ)わえた。
その鈴を鶴松の巾着に結ぶ。
「幸せになれる呪(まじな)いさ。肌身離さず持ってな」
「うん。綺麗な音色だね」
鶴松が立ち上がって歩くと涼し気な鈴の音が鳴った。
鶴松は気に入ったようでありがとうとお礼を言った。
鶴松には千代吉のそのまじないの本当の意味が分からなかった。
それは鶴松に何かあった時は千代吉に降りかかるようにする呪いの意味があった。
依代(よりしろ)である。
自分の髪を結わえたのは鶴松に何か悪いことが起きる時は千代吉の方へと来るようにするという意図があった。
これでいい。
私はどうせ吉原から抜けられないのだし。
鶴松の業も背負って地獄に堕ちて行こうかねえ、と千代吉は本当の弟のように思っている鶴松を見ながら煙を吐き出した。
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