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再生の始まり
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場は唄会どころではなかった。
小志乃は「この話は聞かれてはいけない」と判断しまだ暑い中会話が漏れぬように戸を閉め、障子を閉め、と動く。
染芳は壊れたように暴れようとする美坂野を押さえ、野乃助は涙を流しながら茶を点てる鶴松の肩に手を置いて憐れむように鶴松の顔を覗き込む。
「鶴松、何故言わなかったの?」
「父様も母様も姉様も言うなって」
「俺たちは友達だろう?」
「うん、野乃ちゃんは友達、みんなも友達」
「そういうのは言っていいんだよ。いつ結婚なの?」
「1か月後に家に入るって」
野乃助は染芳に取り押さえられてもなお暴れようとする美坂野を一喝した。
「美坂野、落ち着け!!」
押さえられていた美坂野が力を失くしてその場にへたり込んだ。
美坂野は何故・・・・かように乱れたのだ。
鶴松が婚姻するという噂は美坂野も俺も聞いていた。
まさか神様憑きの家とは知らなかったが。
饅頭を見た所から美坂野は壊れ始めたようだが。
何が起こっているのだ。
野乃助は思案する。
この話は手に余る。
どうすればいいのだ。
その場の全員が途方に暮れた。
ただ鶴松は黙々とお茶を点てる。
部屋には鶴松が茶筅(ちゃせん)でシャカシャカとお茶を点てる音だけが響いていた。
リズミカルに茶筅を動かすたびに鶴松の腰の巾着の鈴がチリンチリンと鳴る。
「千代吉は知ってたんじゃねーのか。あの女狐」
美坂野が怒りをまた露(あら)わにした。
「どういうことだ?」
傍らの染芳が美坂野に聞く。
「いきなり鶴松にそんな鈴を付けてあいつは何をしようとしているんだ!!」
「千代吉姐さんも知っていたのか?」
「分からねえ。野乃、俺は千代吉に会いに行く」
「待って、千代吉姐さんにはしゃべってないよ?この鈴はお守りだから持っときなさいってくれたんだ」
「なんでいきなりそんな自分の髪まで結い付けてそんな鈴持たせたがる!!」
「分からないよ。幸せになれるからって・・・・」
鶴松が怒る美坂野に震えながら泣き出した。
鶴松は何故皆がかように怒り、悲しむのか分からなかった。
それは鶴松を皆愛しているからだ、ということが鶴松には分からなかったのだ。
だから鶴松は戸惑い泣いた。
自分はみんなの思っていることが分からない、やはり自分はみんなと違うのかと泣いたのだ。
「美坂野、いい加減にしろ。鶴松が怯えている」
「鶴松・・・・・」
美坂野が泣く鶴松を抱き締めて体を撫でた。
「すまねぇ。でもお前は俺たちと同じだ。結婚なんかしなくていい。俺たちと一緒にいればいい」
「でも」
「いいから。俺らがなんとかする。小志乃師匠も他言無用だからな」
「勿論ですわ。それよりこれはどうすれば・・・・・。若さんのお父様とお母様に思いとどまるように直々にお会いして諌(いさ)めては・・・・」
「いけません。それは鶴松がしゃべるな、と言われた内容ですし」
「ですけどどうすれば・・・・」
「お茶出来たから飲んで?」
場の空気を読めず、おずおずとお茶を鶴松は差しだす。
各々が鶴松の出したお茶を飲みながら
「ああ、うまい」
「おいしいですわ、若さん」
「うめぇぞ」
「うまいよ、鶴松」
と言うみんなの言葉に鶴松は笑顔になる。
「若さん。若さんのこんなにおいしいお茶が飲めなくなるは口惜しいですわ。だからここにいてくださいまし。まだ私たちといてくださいまし」
小志乃の言葉に鶴松は尋ねた。
「僕ここにいていいの?」
「当たり前だろう。ずっとそばにいろ」
美坂野が鶴松を抱き締めた。
「いちゃいけないんじゃないの?」
「誰がそんなこと言った?」
「だっていつか離れて結婚に行けって」
「行かなくていい!!」
「行かなくていいの?」
「行かなくていい!!お前はどうしたいんだ!!」
体を離して美坂野は鶴松の顔を見つめる。
みるみる鶴松の顔は崩れた。
「ここにいたい」
そう言って鶴松は泣いた。
チリンと鈴が鳴る。
「千代吉姐さんは何か意図があるんだろう。その鈴には。千代吉姐さんにも相談した方がいい。俺たちだけが知恵を出し合っても難しい。あと1カ月しかない」
「そうだな。1か月。俺たちは何をすればいいのだ?」
野乃助と染芳が話す。
「私も千代吉姐さんにお会いすることは叶いませんか?」
「え?小志乃さん。女人は吉原の大門をくぐれませんよ」
「私も同席したいのです。女人に見えなければよろしいのでしょう?」
「ですが、大門のところの役人にばれたら」
「ばれませぬ」
「え?」
「若さんを救う為なら。ばれてなるものですか」
小志乃はそう言って自信を見せた。
何か策があるのだろう。
「分かりました。美坂野、今日の夜は仕事はないのかい?」
「ねぇーよ。休みにしてらぁ」
「そうか。明日の朝、千代吉姐さんのところに行くぞ。染芳もだ」
「俺もなのか?」
「そうだ。吉原に行きたがらないのも分かるが鶴松の為だ」
「お・おぅ」
染芳も実はあの女の色香、いや毒気のような街が苦手だった。
「僕、歌っていいの?」
鶴松がまたもや、おずおずと尋ねた。
全然空気を読んでいない。
唄いたいと思う気持ちしか読みとれないウズウズした顔を見てみんなが笑った。
かくも本人自身がこの調子なのはどういうことだ。
鶴松の様子に笑いながら、やはり鶴松はどこか他の人間と違うと思いつつ。
何故このようにすさんだ心が優しい気持ちになれるのか。
鶴松はその場にいた人間たちに必要とされていたのである。
そのことに鶴松以外の全員が気付いていたが本人はただ三味線を撫でながらチラチラとこちらを見てただ歌いたそうにしていた。
「しゃーねぇなあ。ほら三味線構えろ」
美坂野が涙跡をぐいっと拭って笑って小志乃と野乃助に言う。
小志乃と野乃助もフッと笑顔を浮かべて三味線を構えた。
染芳は鼓(つづみ)を構えた。
そして鶴松の唄は始まった。
始まりの唄。
出会った者たちとの始まりの唄。
それは鶴松自身の再生の始まりの唄でもあったのは後に本人が気付くのである。
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