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俗世へ
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千代吉が全員と対面したその日の夜から。
江戸の町で怪異が続いた。
闇夜に浮かぶ火の玉、川辺からすすり泣く女の声、烏帽子姿の男の霊と従者や、どこからともなく「おーい」と呼ぶ子供の声など。
急に始まった怪異に江戸の町民や近隣の農民は怯えた。
魑魅魍魎が騒ぎ出したのだ、凶事の前兆だ、百鬼夜行ではないかと噂は流れ漆黒の闇が包む時間になると人影は江戸の町に全く無くなった。
夜の町を警備する役人も怖がる始末である。
充分に噂が広まっている。
後は勝手に噂が独り歩きをするだろう。
これらの怪異を起こしていたのは美坂野たちである。
全ては千代吉の計画通りに進んでいた。
夜には屋台もすぐさま片付けて逃げ帰る程になっている。
「うまくいってますわね」
女幽霊の正体である小志乃はほくそ笑んだ。
小志乃の家に染芳と野乃助、美坂野が集まっていた。
「そうだな。うまく行き過ぎているが。まぁいいことだ」
火の玉を飛ばしたり、小道具を使った怪異を起こしていた美坂野も満足気に言う。
「あとどれ位続ける?」
「もういいのではないか?」
烏帽子姿の公家の幽霊を演じた野乃助と従者を演じた染芳は尋ねた。
「そうですわね、人の口の端(は)にも上って噂が勝手に大きくなってくれていますわ。そろそろいいかもしれません」
「仕上げか」
「そうですわね。仕上げがうまくいきませんと全てが無駄になりますわね」
そこで全員が腕組みをする。
何故かようなことをしているかは後ほど分かると思うが。
最後の締めは鶴松なのだ。
鶴松がうまくやらなければ鶴松を助けることは出来ない。
だが、鶴松には何も話をしてはいなかった。
千代吉は鶴松には言わないでそれらの計画をする方がいいと言ったからだ。
鶴松は隠しごとが出来ない。
露見してしまう可能性があるからだ、という千代吉の言葉にその場の全員が納得したからだ。
「そろそろいいだろう。俺も最近蓮華王院がしつこくてなかなか夜一人で動くのがきついのさ」
「蓮華王院様?」
「ああ。あいつとうとう蟄居(ちっきょ:謹慎処分)を寛永寺のお偉いさんに言い渡されたらしくてな」
「何故?どうして夜に来るのだ?」
染芳が問うと美坂野はケッ、と嫌そうに答えた。
「蓮華王院はやり過ぎなんだよ。自分の寺があるのに俺にうつつを抜かして舞台にお忍び、顔を隠してやって来る。舞台裏にも来る。町民たちも噂してらぁ。それが寛永寺の耳に入って偵察されていたらしい。噂通りということで謹慎処分を受けているがそれでも夜抜けだして俺のところに来ようとしやがる。めんどくせぇ」
「それは蓮華王院様、かなり危ない橋を渡ろうとしているのでは。。。。ばれたら」
野乃助はそんなことになっているとは知らなかったので驚く。
「知らねえよ。毎夜毎夜、戸口で俺の名前呼ぶなんざ、気味が悪い。何がエライ坊様だ。色恋に狂った生臭坊主じゃねーか!!今回あいつの目をくらませて火の玉飛ばすのにどれだけ神経使ったか」
「そりゃ大変だったな」
染芳が笑った。
「ですけど。蓮華王院様大丈夫かしら?ばれてしまっては仏門から追い出されてしまうのでは?お静かに家にいらっしゃればよろしいのに」
小志乃は気遣わしくも言う。
そんな会話がなされた数日後の夜。
美坂野の家の外では蓮華王院が今宵も「美坂野恋し」で戸口を叩いていた。
「美坂野、今日もおらぬのか?おったら開けておくれ」
「そこにいらっしゃるは蓮華王院様とお見受け致す」
蓮華王院はすぐに顔にかぶっている頭巾をぐっと手で押さえ逃げようとした。
「待たれよ!!私は寛永寺の寺侍、岩飛(いわとび)と申す!!顔を見せられよ!!」
提灯を掲げて岩飛が蓮華王院の顔に突き付けるのを右へ左へと蓮華王院は顔をそむけながら頭巾の下の顔は青ざめていた。
「ばれていた。つけられておったか・・・・」
お互い「顔を見せよ!!」「やめよ!!」と言い合いながら岩飛は蓮華王院の袖を掴もうとするのを蓮華王院は振りほどき、その場を走って逃げ去った。
蓮華王院は胸が早鐘を打ちつつ、自分の寺に戻ったがある失態に気付く。
美坂野宛ての恋文がなかった。
どこを探してもない。
まさかあの掴まれた時に落としたのだろうか。
さーっと血がひいていく。
次の日。
蓮華王院は陵雲院に呼び出された。
陵雲院、寛永寺共に江戸宗教界のトップたちである。
蓮華王院が訪れると客間にはそのトップの面々が居揃っていた。
陵雲院(りょううんいん)の学頭(がくとう:陵雲院では院主ではなくこう呼ぶ)と寛永寺の院主、寒松院(かんしょういん)院主、津梁院(しんりょういん)院主が待ち構えていた。
全部大名や徳川家の庇護がある社寺である。
「蓮華王院殿、今日呼び出されたのは何故か分かりますね?」
優しい口調で寛永寺院主が蓮華王院に問う。
「なんのことでしょうか」
「しらばっくれるな!!貴殿は蟄居(ちっきょ)を命じられている身分であるにも関わらず夜な夜な寺を抜けだして河原者(かわらもの)の役者などにうつつを抜かすなど!!前代未聞じゃ!!」
寒松院院主の怒髪天(どはつてん)に蓮華王院は青ざめる。
「まぁまぁ。蓮華王院殿、何か申し開きはございますか?」
津梁院院主がなだめながら問う。
蓮華王院はまだシラを切るつもりでいた。
「かように皆様お集まり頂いて何事かと私めは戸惑うておりまする。何事かのお咎(とが)めかは存じませんが一日も早く謹慎を解いて頂けるように仏念を一日念じておりました」
「さようでございますか。残念でなりません。あなたは諸国行脚して仏門に入られて数々の行事をし、内外共に名僧であられたのに。何が貴殿を変えてしまわれたのか。岩飛、入られよ」
寛永寺院主が嘆かわしそうに言うと、隣の間に控えていた岩飛が部屋に入って来た。
その晩のことを告げられ、証拠の文を出され。
蓮華王院は糾弾された。
その後の顛末(てんまつ)として。
蓮華王院をなんとか仏門に残してあげようと優しい処遇をしようとする寛永寺院主と津梁院院主と厳しい処遇を求める寒松院院主と陵雲院学頭で意見が別れてもめていたがその場で蓮華王院は見得を切った。
いつも見ていた美坂野のように見得を切る。
「私の業は深いようでございます。このまま業に焼かれて今後の人生は生きて行く所存。哀れと思うのならばこの姿をご覧あれ!!」
と言うと蓮華王院は来ていた法衣を打ち捨てて足蹴にした。
「何をなさる!!」
さらにその場で数珠を引き千切った。
「狂われたか!!蓮華王院!!」
狂ったのであろう。
私は美坂野に狂ったのだ。
呆気に取られているその場の者たちを残し蓮華王院は立ち去った。
自由な気がした。
胸がスッとした。
これからは美坂野と共に生きていける。
晴れ晴れとした気持ちだった。
その時までは。
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