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それぞれの胸の内
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鶴松の大事に気付いたのは春駒だった。
千代吉のいる仙吉楼の帰りに鶴松の家に寄った時、鶴松の大店の屈強な使用人たちに阻まれた。
「今、取り込み中だ。帰れ」
そう言うと春駒を押しやり、春駒は尻餅をついた。
「何するんだ!!」
「うるせぇ。若さんには会えないから帰れ!!」
離れから声にならない鶴松のうめき声が聞こえた気がした。
「若が今ひきつけを起こしてましてね」
「まぁ。お大事に」
町民が何事かと近寄るのを聞かれてもいないのに使用人たちは愛想笑いを浮かべて説明していた。
使用人たちは明らかに陰間の春駒を見下していた。
その目から視線をそらす。どうしてそんな目で見るんだ。
嫌だ。
春駒はどうすればいいか思案した結果、千代吉のいる仙吉楼に戻った。
「どうしたって言うんだい!?夜見世の準備中だよ!!」
「鶴松が!!」
「鶴松がどうしたのさ!?」
春駒の声色に鏡台に向って紅をひいていた手を止め千代吉は振り返る。
「分かりやせんが、鶴松に会えなくて。使用人たちが近付けないようにしてて」
「もっと詳しく説明しな!!」
春駒は一部始終を話す。
「なんだいそれは。何が起こってる?」
「分かりやせん。ただ・・・・なんだか嫌な予感がするんです」
「あたしはここから出られない。春駒。野乃助と染芳に事情を伝えて助けを求めな」
「はい」
千代吉の頭の中に賢そうな女性の顔が浮かぶ。そして美坂野の顔。
「あと、小志乃師匠もだ。美坂野には絶対言うな」
「あれ、千代吉姐さん小志乃師匠も御存知なんで?なんで美坂野さんには伝えてはいけないんです?一番仲が良さそうなのに」
「そんなことはどうでもいいんだよ。急ぎな!!」
「へ・へぇ」
千代吉の剣幕に驚いて急いでまた春駒は駆け出す。
野乃助と染芳の住む長屋に到着して野乃助の住む部屋の戸を叩く。
野乃助はなかなか出て来ない。
手で戸を開けようとしたがしっかりと戸締りしている。中から人の気配がしている。
いるのになんで出て来ない!?
しばらくすると戸が開いた。
「どうしたんだ、いきなり」
「何度も戸を叩いたじゃないか!!なんですぐ出て来てくれないんだ!?」
と言ったところで野乃助の背後に染芳を見つけた。
ぶすっ、とした顔をして顔が赤い。
急いで着たのだろう、染芳の着物が着崩れている。
布団が乱雑に畳まれていた。
よく見ると野乃助の顔も上気している。
秘め事の最中だったのか。
「鶴松が大事なんだ。一緒に来てくれ!!」
「なんだ?」
「走りながら説明するから。急いで!!」
小志乃の家へと駆けながら説明した。
「どうしたことだ?監禁されたのではないのか。それは?」
染芳が春駒を訝し気に見ながら言う。
「分からない!!でも鶴松の声にならない声が響いてた!!猿轡(さるぐつわ)でもされているような」
「本当だろうな?それより春駒。お前なんで千代吉姐さんのところに行った?」
「え?」
「どうしてその状況で千代吉姐さんのところに飛び込んだと言っている」
この目は嫌だ。
昔から春駒は野乃助が苦手だった。
それはただの劣等感だった。
野乃助は陰間から足抜けして町人として普通の仕事をして長屋に住んで馴染んでいる。
それに引き換え俺は。
鶴松の家に遊びに行ってご飯をもらったり。
春駒は陰間で別に野乃助程すごい売れっ子というわけでもないが、日銭が稼げるから唯唯諾諾(いいだくだく)と陰間茶屋でお茶をひいたり。
昼に寝て夜には乱痴気騒ぎをして。
いつかはこんな生活辞めなきゃとは思ってはいるけど。
なかなか抜けられなかった。
江戸時代はフリーターがたくさんいるような時代なので春駒と同じようにその日暮らしの者がたくさんいたから春駒の現状も仕方ないと言えば仕方ないのである。
金がない、雨が降っているな。だったら家にある蓑でも売ろう。傘でも売ろう。
たったそれだけで路上で傘を売ったり蓑を売ったり出来るような時代なのである。
現代のように職業によって免許があまり必要ではない時代。
また通りも誰の許可がないと商売が出来ない、と言うような時代でもないので通りを流しながら商売を思い付きでやれる時代なのである。
1820年代の資料によれば江戸市内には2500人医者がいたという。
医者も免許制ではなく、自称だらけである。
ただ藩医のような格の高い、現代の医者は、それ相応の医療技術と薬の知識があったが、そうした知識や技術は、「家」によって受け継がれていた。ようするに家元制度である。
町医(開業医)、幕医(奥医師、番医師、寄合医師など)、藩医(藩に仕えている医者)、朝廷に仕えている医者は医官、御典医、儒学者を兼ねる医者は儒医と言う。これ位までならまだまともな方で、また漢方医学の内科は「本道」と称す。さらに漢方医学の医者は「漢方医」、オランダ医学を学んだ医者は「蘭方医」と呼ぶ。
ただ、そういう医者は一部でほとんどは藪医者だったようである。
江戸時代の川柳には医者をバカにしたような川柳が多い。
坊主が茶屋に入ったと思ったら医者の格好をして吉原に行った、やら。
縁談に関しては名医である(いろいろな患者が来るから家の事情を知っていてそれで縁談を取りまとめることは出来る。そこは名医だと皮肉を言っている)
など多数残っている。
そんな時代だから誰も春駒を責められるような時代でもなければ春駒が惰性で続けているのを誰も非難しない環境なのである。
春駒は鶴松の言葉を思い出す。
「春ちゃん。算盤(そろばん)の覚え早いね。お店に奉公して行く行くは番頭さんになればいいのに」
「そんなの無理だよ」
「出来るよ!!」
「じゃあ、鶴松が暖簾(のれん)分けでもして僕を雇ってよ」
「駄目だよ」
「なんで駄目なんだよ」
「だって駄目なんだもん・・・・・」
あの時の鶴松の悲しそうな笑顔が浮かんだ。
なんであの時の会話を思い出したんだろう。
何が起きているんだろう?
春駒は千代吉からは鶴松の事情を聞かされていなかった。
お金を渡されて指示を受けていただけだったのである。
小志乃の家に到着した。
小志乃の家には蓮華王院がいた。
「蓮華王院様、どうしてこちらに?」
野乃助が驚いて問う。
「話せば長くなりますわ。それより御三方どうしたんです?そんなに息切れなさって」
蓮華王院の代わりに小志乃が答えた。
「鶴松が」
「若さんが?」
春駒が事情を説明する。
「何が起こっているのです?」
「分かりません。ただ、あまりよくないことが起きるやもしれません。胸騒ぎがします」
野乃助が不安そうに言う。
「とにかく、参りましょう」
小志乃は準備をする。
誰にも見られないように小志乃は死んだ旦那の脇差(わきざし)を着物の帯の中に忍ばせた。
柄(つか)の部分に意匠(いしょう)がされているものだから巾着のように見える。だから誰にもばれない。
小志乃はなんとなく。
話から嫌な物を感じ取っていた。
使うことがなければいいのだけれど・・・・・と脇差に手をかけて着物の中に忍ばせるとその重さが安心感を与えた。
まだ小志乃は死んだ旦那のことを愛していた。
だから小志乃は死ぬこともやぶさかではないと日頃思っていた。
どうせ死んであの人のとこに行くのなら。
誰かを助けて死のうと思いつつ、ここまで生きて来た。
小志乃は死に場所を求めていたのかもしれない。
「我も行こう」
と黙っていた蓮華王院が言う。
「え?」
「我も事情は分からないが行くとしよう」
「ですが、蓮華王院様。下賤(げせん)の者のいざこざですわ。蓮華王院様は体調も悪いのですから家でお休みになってて下さいまし」
「いや、食事と一泊の恩義もある。我も行こう」
小志乃のやんわりとした拒否を受け付けず、無精髭が生えて疲れが見て取れる蓮華王院だったが目には生気があった。
皆が戸惑う。
「我も鶴松に会わねばならぬよってに」
そう言うと蓮華王院はサッと立ち上がる。
皆がそれぞれに思うところがありながらも。
鶴松の家へと向かった。
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