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野乃助の振る賽(さい)
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野乃助は自分の長屋には戻らず美坂野の楽屋に寄った。
戸を開けると鶴松を抱いてニコニコしている美坂野の顔があった。
「邪魔するぞ」
「邪魔なんだよ」
美坂野は野乃助を見ると苦虫を潰したような顔をしていた。
鶴松は美坂野に抱かれて野乃助の方へ手を振っていた。
口は美坂野の口でまたふさがれていて言葉がしゃべれなかったようだ。
「鶴松。少し表を歩いててくれないか?」
「うん」
美坂野に抱かれていた鶴松はぴょんと勢いをつけて美坂野の腕からするりと抜けると表に駆け出した。
「おい。なんなんだよ。まだお天道様が高いうちから急に来やがって」
「お前人のこと言えるか?舞台練習もしないで鶴松といちゃついているだけじゃないか」
「ちっと位いいだろう。それよりなんだよいきなり」
「千代吉姐さんが倒れた」
野乃助は千代吉の状況を説明する。
「美坂野、お前金あるか?」
「なんでだ?」
「数晩でいい。千代吉姐さんを独占で買ってくれ。千代吉姐さんは俺らが言ったところで頑(がん)として薬を飲もうとしないだろう。このままでは姐さんが死んでしまう。お前が数晩買い占めてくれたら千代吉姐さんを身請けする金が準備出来る」
「嘘つけ。あいつの年季奉公の金がいくらか知ってるのか?」
「ああ、知っている。策がある。お前は千代吉姐さんを数晩独占して客を取らせずに休息を姐さんに取らせてあげることは出来るか?」
「ああ、今まで貢がせて来た物を売っ払えば相当な金になるぜ。これは蓮華王院から貢がせた40両の茶器だがそこら辺にもまだあるし、足りないなら金を他の連中から引いて来るが?」
お互い幼少の頃より陰間として生きて来て見知った仲だった。
根拠の無い事を野乃助が言わないのを美坂野は知っていた。
野乃助が言うなら策が本当にあるんだろう。
「頼む。その金は後ほど返金も出来るかと思う。だが、今は俺も金がない。美坂野、お前が当面出してくれ」
「おい、その策って言うのを教えろよ」
「分かった。こういうことだ」
野乃助は美坂野に説明する。
「成る程。それなら千代吉を吉原から身請けして医者に見させることの出来る金を集められるかもしれねぇな、鶴松も救えて一石二鳥だな」
「そうだ。この策しかない。ただ、それまでに数晩時間が欲しい。それまでの当面の金の工面をお願いしたい」
「鶴松の為でもあらぁな。分かった。俺が千代吉を独占するように仙吉楼の旦那には伝えておこう。任せとけ。ただ、それなら鶴松を早く生き神様にしなけりゃいけないだろう。今夜から決行するんだろう?」
「ああ。鶴松には他の人間をつける。お前は千代吉姐さんのそばにいてやってくれ」
「はぁー!?」
美坂野は今晩から鶴松と二人で夜の見回りをする予定だった。
鶴松と二人で怪異を沈めて鶴松の評判を瓦版屋に賄賂を渡して書かせて江戸の町の生き神にするつもりだった。
「美坂野は千代吉姐さんを数晩看てて欲しい。金を払って客がいないんじゃあおかしいだろう」
「そうだが」
「心配するな。鶴松には護衛と適任をつけてある」
「誰だ?」
「元蓮華王院様、木曽殿と染芳をつける」
「はぁー?蓮華王院!?なんでだよ!!俺への当てつけか!?」
美坂野は顔を赤くした。
「勘違いするな。蓮華王院様もお前に踊らされる前は江戸では知らない人のいない僧侶だ。蓮華王院様が鶴松の側にいて、鶴松の奇跡を証言してくれるならより名声は広まるだろう。一介の有名役者よりは信憑性が増す。怪異を収めているのは鶴松だと蓮華王院様が言うなら江戸の町全体が納得するだろう」
美坂野は不機嫌そうな顔をする。
野乃助は美坂野の我の強さは子供の頃より知っていたからこう言った。
「お前の愛する鶴松が救えなくてもいいのか?」
美坂野はその野乃助の言葉に不承不承と言った感じで了承した。
美坂野の所を後にして一度長屋に戻った。
「染芳、今夜から鶴松は見回りに出るのだが拍子木(ひょうしぎ)を作れないだろうか?」
「拍子木?あの夜に見回りをする時のか?」
「そうだ。すぐに作れるか?」
「分かった。拵(こしら)えてみよう」
染芳は野乃助を愛するが故にそれにどんな意味があるのか聞かず、すぐに作業に取り掛かった。
一心不乱に白木を削る染芳をチラッと見て野乃助は微笑む。
その真面目さに恋をした。
江戸の町人にはいない無骨で野暮な男だ。
だから愛した。
その大きな日に焼けた手や背中やキリッとした横顔を見るとこの男に抱かれたいと思える、そんな男の色気が染芳にはある。
美坂野や野乃助にはない天然の色気だ。
俺たちのように毒気のある色気ではない。
爽やかな一時の清風のような。
一緒にいると穏やかな気分になれる。
色恋の駆け引きなどをせず染芳は体全体でぶつかって来てくれる。
口八丁手八丁で世渡り上手な男ではないが。
江戸の町民の男はモテル為にいかに上手なダジャレを言うか粋な言葉を吐くかがモテル男の条件みたいに信じてそれをする優男(やさおとこ)が多かった。
役者の美坂野や元陰間の野乃助のように色白で細面の優男が江戸時代にはもてたという話はよくあるがそれだけではない。
実際に江戸時代でモテル職業と言えば奉行所の人間や力士、火消しなどもいたのである。
男らしい男ももてたのだ。
現代でもある風潮だと思うが江戸時代も同じである。
男っぽくて面白い事が言えないイケメンがもてるのも美少年風の愛らしい男がもてるのも両極端でありながら事実だったのである。
染芳は前者、野乃助は後者であった。
江戸の町人のように粋がろうとして無理に強がったり自分を強く見せようとするエゴが染芳にはなかった。
生まれが旗本故(ゆえ)の染芳の育ちの良さなんだろう。
「染芳頼んだよ」
そう言って染芳と軽く口合わせをして次の場所へ向かった。
「おや、珍しい」
「お久しぶりです」
春駒が働いている陰間茶屋へ野乃助は顔を出した。
以前、野乃助も世話になっていた茶屋だから旦那がわざわざ表まで顔を出して
「上がって行きねぇ。何か用かい?」
と茶を出してくれた。
「春駒に用立てが。あと旦那、内密にして欲しいんだが儲け話がある。一つ俺の話に乗らないか?」
と野乃助は言った。
儲け話という言葉に陰間茶屋の旦那の目がキラリと光った。
昔から知っている旦那だ。
お金にはがめついのとお金がからめば約束は必ず果たす男だ。
「春駒を呼んで来い。あとお前ら席を外してくんな」
旦那はお茶引きをして暇を弄(もてあそ)んでいた陰間の少年たちを追いやった。
春駒が現れて三人になった。
野乃助は両人に話をする。
「悪い話じゃないな。それに俺もかませてくれるのかい?」
「ええ、旦那。その代わり内緒ですよ。あと取り分は俺たちの方が少し多めに貰う。それまでの準備とかあったんでね。それでも悪くない話だろう?」
「ああ、悪かねえな。うまい話だ。俺もそれに乗るぜ。野乃助たちに6、俺たちに4の割合でどうだ?」
足元を見て来たな。
これも計算済みだった。
「旦那。この計画は他の人間に請け負わせても別に構わないんだ。昔のよしみが俺も美坂野も旦那にはある。春駒だってここで働いている。その恩義があるから持って来た話なんだ」
「分かった。野乃助たちに7、俺たちに3でどうだ?」
うまい儲け話で逃がしたくないからすぐに折れた。
「いいでしょう。その代わり旦那たちには期待しています。くれぐれもお願いしたい。うまく行くかは旦那たちにかかっている」
「分かった。昔稼がせてもらった野乃助と美坂野たちの為に一肌脱ごうじゃないか」
「お願いしますよ」
金の為だろう、と野乃助は思ったが黙っていた。
野乃助は旦那と話がまとまって茶屋を後にした。
春駒が追いかけて来る。
「いいのか!?あの金にがめつい旦那にそんな話をして!!裏切るかもしれねえぞ!!」
「大丈夫だよ。あの親爺は金が絡むと口が固い。そこだけは俺と美坂野はよっく小さい頃から見てるんだよ。それに裏切らないよ。裏切ったらあの親爺が危険な橋渡ることにならぁ。金に目がくらんでそれすらも物怖(ものお)じしない男さ」
「でも!!」
春駒は食い下がる。
余程、あの旦那が嫌いなんだろう。
現役の時は確かにイケ好かない旦那だったが茶屋を抜けた野乃助にとっては今ではどうでもよい。
まだ春駒はあの親爺の元で働いているからいい気はしないんだろう。
鶴松の命運があの親爺にもかかっているからいい気はしないんだろう。
「春駒。俺の言った通りだ。これがうまく行かないと鶴松も千代吉姐さんも救えない。お前はお前のやるべきことをやれ。鶴松を助けたいなら」
「分かってるよ!!」
そう言うと春駒は走って店に戻って行った。
すぐにでも野乃助の策を実行に移しに行ったんだろう。
賽(さい)は投げられた。
このサイコロの目がどう出るか。
答えは最初から決まっている。
野乃助には全てをうまく導く自信があった。
全てがイカサマ賭博のような展開がこれから始まるからだ。
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