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思惑
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「起きたか?」
「美坂野なんであんたがここにいるのさ・・・・・・?」
床に伏せていた千代吉が起き上がろうとする。
顔色が悪い。
「お前をここ数日貸し切りで買った。寝てていいぞ」
「そんなお金どこから・・・・」
「もうしゃべらなくていい。寝てろ」
千代吉が声を振絞るようにしゃべるのを眉をひそめて美坂野は言った。
千代吉はやつれていた。
言い返すことも出来ず千代吉は目を閉じた。
こりゃ急がないと千代吉がやべえな。
早く吉原を抜けさせて医者のところに担ぎこんだ方がいい。
今呼んだ方がいいんじゃないか?と美坂野は思ったが薬を飲まない、医者の匙(さじ)も受けないと千代吉は断るだろう。
当時の遊女たちは性病の蔓延や無理な労働で短命の者ばかりだった。
野乃助たちの言う通りに出方を待つしかない。
美坂野は千代吉の手をそっと握った。
「千代吉、おめぇ地獄に行くにはまだ早ぇえぞ」
小さい頃から見知った仲の千代吉が弱っているのを見て、美坂野はいつもは憎まれ口を叩く間柄だが何も思わないはずがなかったのである。
その頃。
鶴松と蓮華王院、染芳、野乃助は小志乃の家にいた。
「蓮華王院様、いえ木曽殿。これにお願いします」
「分かった」
染芳が作って来た拍子木に木曽は達筆な字で文字を入れる。
そして和紙に鶴松の似顔絵を描き、その絵に文言を書き足した。
僧侶は絵心を持っている者も多くいた。
元名僧の木曽も言わずもがなでスラスラと筆墨で鶴松の似顔絵を描く。
それは座禅を組み手で印を結んでいる、まるで菩薩のような姿をした鶴松の似顔絵だった。
「ありがとうございます。俺はこれをすぐ持って行きます」
「分かった。では我々は見回りを始めるとしよう。手筈は整っておるのだな」
「はい」
野乃助は鶴松の似顔絵を受け取るとその場を後にしてどこかへと消えた。
染芳と木曽は鶴松を連れて夜の江戸の町に出た。
小志乃は全員を見送る。
しばらくして戸を叩く音がした。
春駒だった。
「みんな出ましたか?」
「ええ、先程。若さんが拍子木を叩きながら町を回っていますから音を辿れば若さんたちがいらっしゃいますわ。そちらの手筈は?」
「こちらも大丈夫です。じゃあ俺は店に戻ります」
「はい。ちなみに今日は誰を?」
「隣町の大店の呉服問屋の旦那が来ています」
「分かりました。では私は瓦版屋へそれを・・・・」
「小志乃師匠、夜も深い。女一人では危険ですよ」
「心配はいりません。何かがあっても私の身は守れます。それに皆さんが危険な橋を渡ろうとしているんですから。江戸の町にはこの刻には化け物しかおりませんわ」
そう言って小志乃は笑った。
「分かりました。くれぐれも無茶をなさらないように」
「ええ。瓦版屋に回って間に合うようでしたらそちらの加勢に参りますわ」
「分かりました」
そこで春駒と小志乃は別れた。
小志乃は瓦版屋の住む家の戸を叩き、版元を呼び出した。
「明日朝から瓦版を盛大に出しておくれ。これは美坂野さんからの手紙とお金です」
美坂野の懇意の版元は無言で受け取り手紙を読んだ。
「分かりました。でもこれ本当なんですかい?」
「本当ですとも。一大事ですよ。隣町の呉服問屋の若さんも証言してくれますわ。瓦版もたくさん売れることは請け合います」
「すぐさま、この通りに記事にして刷りますわ。小志乃師匠、ネタをありがとうございやす」
その手紙にはこれから起こることが書かれていたのだろう。
その版元にはもう起こったこととして知らされたわけだが。
今からその手紙の内容を起こすのである。
小志乃はその場を後にして、鶴松の拍子木の音を追った。
耳に手を当てて、かすかな音を手繰り寄せた。
東の方からかすかに聞こえる。
小志乃はそちらへと足早に駆けた。
春駒のところの陰間たちだろう。
路地に隠れて準備をしている。
春駒の姿がその陰間たちの中に見えた。
「小志乃さん、こっち」
小声で小志乃は呼ばれてその路地に同じく身をひそめた。
小志乃は風呂敷に入れていた衣装を着物の上から羽織った。
女幽霊の時にしていた白装束の格好になる。
「俺たちでやるからいいのに」
「いえ、私もやりますわ」
小志乃は楽しげに話す。
「こっちにもう少しで来るよ」
一人の陰間が向こうの通りから走って来て春駒に伝える。
「分かった。鶴松たちには?」
「染芳さんに伝えてある」
「よし。じゃあみんな持ち場へ」
春駒の号令で皆が散った。
小志乃の目に隣町の呉服問屋の若旦那と若旦那を支えて歩く陰間の少年が見えた。
酔っている若旦那を送っているのだろう。
「おや、今日は火回りの拍子木がよく鳴っているじゃあないか」
「そうですねえ」
呑気なものだ。
これからどんな恐怖が待ち構えているかも知らず隣の陰間の少年にベタベタしながらその呉服問屋の若旦那は歩いている。
鶴松たちも近くにいるのだろう、拍子木の音が近くなって来ている。
「木曽殿、染芳殿。若さんをお願い致します」
小志乃はそう心の中で念じると表通りに飛び出した。
小志乃の姿を見て目を見開く呉服問屋の若旦那の顔があった。
声も出せずに腰を抜かしている。
小志乃の周囲には陰間の少年が物陰から操っている油を染み込ませた和紙が燃えて漂っていた。
呉服問屋の若旦那の横の陰間の少年は訳知り顔でニヤっと一瞬笑ったがすぐに
「うわぁああああああ!!」
と近くにいる鶴松たちに聞こえるように大声で叫んだ。
三人の走って来る足音がする。
小志乃のそばにはいつの間にか陰間の少年たちが化けた妖怪や霊たちがいた。
呉服屋の若旦那に気を失われては意味がない。
若旦那の隣の陰間が怖がっている振りをして何度も叩いたり揺すったりして正気を保たせていた。
この方も不運よね・・・・
と恨めしそうな顔をして呉服問屋の若旦那をにらみつつ心の中で小志乃はそう思っていた。
視界に鶴松たちが映る。
鶴松が拍子木を合わせ、拍子木の音が夜の江戸の闇を震えさせた。
「ああ、あれなるは鶴松。あの拍子木はいけない。鶴松だけは苦手だ。野郎ども鶴松が来たから失せるよ。鶴松の力には到底及ばない、恨めしい。憎々しい」
と小志乃は声を荒げて近くの化け物に扮装している陰間に言うと小志乃のそばで揺らいでいた火の玉が一斉に地に落ちて消えた。
闇が深くなった瞬間に。
小志乃と化け物に扮した陰間たちは路地に飛んでその場を足早に去った。
心神喪失している呉服問屋の若旦那には消えたように見えたかもしれない。
「そこなる者大丈夫か?危なかったな。江戸の怪異にとり殺されるところであったぞ。鶴松の生まれ持つ強い法力がなかったらお主は危なかった。運が良い」
「鶴松・・・・?」
「そうだ。お主も見て聞いていたであろう。鶴松に恐れをなして魑魅魍魎も逃げて行きおったわ」
木曽は地面にへたり込んでいる男を支えながら言いくるめていた。
「あ・あなたは蓮華王院様では!?」
「いかにも。昔はそう呼ばれておった。今は江戸の怪異を収めようとする鶴松の心意気に感銘を受けて手伝いをしよるのよ」
「おお!!」
呉服問屋の若旦那は感嘆した声を上げた。
「お主一人であるか?先程もう一人いたようであるが立てるか?」
「一緒にいた陰間は震えあがって走って逃げてしまいましたな」
染芳が答える。
「そうか。染芳殿。この御仁を家まで送り届けてあげるがよい。我らはもう少し化け物退治の為町を行くぞよ」
「あい、分かった」
染芳がその男に肩を貸して歩き出した。
歩きながら染芳はいかに鶴松がすごいかを熱心に話し、世間知らずなその若旦那はうん、うんと話を聞いていた。
「鶴松、もうよい。今日は帰って寝るとしようぞ?」
「うーん?今さっきの幽霊みたいなの小志乃さんにそっくりじゃなかった?隣にいた化け物もなんだか知ってる気がした」
「そういうこともあるだろう。化け物が見られてよかったな」
「うん!!初めて見た!!」
目を輝かせて胸を抑えていた鶴松である。
のんきなものよ、我らはヒヤヒヤものだ。
木曽は苦笑する。
役人に捕まり露見すれば死罪もおかしくないことを江戸の町に仕掛けておるというのに。
見回りの役人にも見つからないよう、役人の動向も夜に紛れた夜鷹や陰間が偵察はしてはいるから鉢合わせはないだろうが。
今回は陰間茶屋の旦那と陰間たちが全面的に協力しているそうだが。
何も知らないのは鶴松だけだったのである。
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