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後悔と優しさ
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「野乃助俺も行こう」
「うん」
野乃助は今夜一人で行動する予定だった。
うまく行かなかった場合、犠牲は少ない方が露見はしないですむ。
鶴松の話題は隣町の呉服問屋の若旦那がオシャベリだったおかげで随分広がった。
鶴松は美坂野の家から出さず隠していた。
鶴松を求める町民の熱狂が高まっている。
まだだ。
まだ出しちゃいけない。
夜になれば江戸の町は人っ子一人いなくなる。
江戸の町の怪異は今朝の瓦版と話の広がりでさらに現実味を帯びた。
こんな夜に出歩くのは一般の町民ではなく。
化け物をものともしない豪胆な者たちしかいない。
心の内ではどう思っているかは知らないがそれを表に出さず外に俺は出る!!とする気風のある連中だろう。
計画がうまく行く為には連中も欺(あざむ)かないといけない。
一番危険な場面が来ているからここは俺がなんとかするしかない。
野乃助は小志乃や春駒、陰間たちの身がばれて計画が台無しになるのを防ぐ為彼らにはフォローだけを頼み、その夜は染芳と野乃助二人ですることにした。
「小志乃さん、お前たちは充分距離を取ってくれ。俺たちがヘマをしたらすぐに逃げられる距離を保ってくれ」
そう言って野乃助は準備をしていた。
姿は見えないが全員どこかにひそんでいるのだろう。
鶴松は今夜も蓮華王院と二人で見回りに出ている。
野乃助はいつもの公家の格好をして出番を待っていた。
染芳も公家の従者のような格好をして出番を待つ。
いざとなったら染芳が助けてくれる。
野乃助は緊張感で体が震えていた。
染芳がぎゅっと野乃助を抱き締めた。
「大丈夫。何かの時は俺が助ける」
「うむ」
西の方から太鼓の音がした。
陰間茶屋から奉行所の人間たちが出たのだろう。
太鼓の音を数える。
一つ、二つ、三つ。
三人か。
陰間茶屋の旦那に奉行所の人間が遊びに来るように営業をしてもらったのと、出る時に、おふざけのようにして太鼓を鳴らして人数を教えてくれと伝えていたのだ。
送りの陰間を奉行所の与力は求めないに違いない。
陰間に送ってもらおうなどとは思わない人種だ。
鶴松たちの拍子木が聞こえない。
まだ遠いのかもしれない。
鶴松たちの登場が遅れるかもしれない。
野乃助はあせる。
奉行所の与力が出たと夜の町を陰間が走って報告に来るのも念の為やめさせた。
不穏な空気を察知して何か気付かれては困る。
やつらは。
化け物が出たら切り伏せてくれる!!と出て来るに違いない。
そうなると周囲の陰間が危ない。
だから野乃助は自分一人でやると申し出たのだ。
「足音が近付いているな」
「来たな」
野乃助はごくり、と唾を飲む。
出るしかない。
驚かせる幽霊役の野乃助と染芳が夜の町を歩く彼らよりも緊張していた。
奉行所の与力たちの前に二人進み出る。
その異様な二人の格好に与力は
「あっ!!」
と声を上げた。
が、すぐさま三人は刀に手をやった。
野乃助は血の気がひいていくのを感じた。
思った以上に豪胆な者たちだったようである。
そばにいる染芳も刀を抜く。
峰打ち(みねうち)を狙っているのだろう。逆さ刃にしていた。
だが与力たちは刃を向けている。
これは。
失敗か。
鶴松たちが来ては余計にいけないかもしれない。
危険な目に逢わせるかもしれない。
野乃助は後悔をしていた。
そこで三味線の音がした。
「恨めしい」
小志乃だった。
路地から小志乃が白装束に三味線を持って掻き鳴らしながら現れた。
そこで与力三人に隙が出来た。
その隙を見て一瞬足りとも目をそらさず気を抜いていなかった染芳が三人の腕を、刃を、峰打ちして地面に刃を叩き落とした。
染芳は一人しくじった。
一人が野乃助に切りかかって来た。
野乃助は避けられないと悟る。
染芳と小志乃が空気を吸う音が聞こえた。
二人共、俺の名前を呼ぶなよ。俺が切られても。
野乃助は心の中でつぶやく。
その時刃が止まった。
「お前は。。。。。」
その与力が野乃助の顔を見つめていた。
野乃助の目とその与力の目が正面でぶつかる。
相手の顔が驚愕していた。
野乃助はハッとする。
この与力は。
俺が陰間だった頃俺の贔屓の客だったやつだ。
あれだけ陰間の少年がいたのに。
この与力は今でも俺のことを覚えているのか。
ばれた。
野乃助は混乱する。
鶴松たちの姿が与力の背後に見えた。
状況を察して急いで走っている。
野乃助は計画が失敗したことに絶望して一瞬目の前が暗くなった。
ばれてしまった。
ここにいる人間を危険な目に逢わせるわけにはいかない。
とその時。
その野乃助の贔屓客の与力は腕を押さえてひざまずく二人の与力のところに戻ってこう言った。
「なんと恐ろしい化け物よ。我の太刀筋を妖力で止めよった。腕が動かぬ」
と刃を落としてその場に同じくうずくまった。
染芳も小志乃も呆気にとられていた。
野乃助はすぐに察した。
俺に気付いて俺をかばってくれた。
「化け物どもよ、お主らの苦手とする鶴松を連れて来たぞ。冥府に帰るがよい」
木曽の言葉の後。
鶴松の拍子木が鳴り響いた。
小志乃は恨み言を述べながら路地に消えた。
「おぃ、行くぞ」
ぼーっとしている野乃助に染芳が慌てて小声でつぶやく。
野乃助はそのうずくまった与力を見たまま動けなかった。
与力はうなだれたまま野乃助の顔を見ようとはしなかった。
もう一度拍子木が鳴って野乃助は我に返った。
染芳と共にその場を後にする。
路地に入り、走りながら野乃助は泣いていた。
「どうした・・・・?」
染芳が心配そうに見つめながら走る。
「俺は大変なことをした」
野乃助は後悔していた。
明日の瓦版にはもう今日起こるであろう出来ごとを伝えてある。
刷られているだろう。
奉行所の与力が江戸の化け物に負けたとあっては。
刃まで地面に落としたということも、もし知られたら。
あの与力は失脚するかもしれない。
お上から責められてしまう。
自分の刃を地面に落とすということは。
そういうことなのだ。
それを分かっていながらあの与力は。
俺を助ける為にあの与力はそれを知りながら刃を収めて地面に落とした。
俺は。
あの与力の未来を奪ったのかもしれない。
鶴松を助ける為に昔の贔屓客の未来を奪ってしまった。
後悔の念がどんどん湧いて来る。
「野乃助どうしたのだ!?」
「俺は大変なことをしてしまった」
知り合いじゃなかったらこんなことを思わなかった。
知り合いであったから今更に自分の計画で誰かが傷つくことに思い至った野乃助であった。
長屋に戻り涙をポロポロとこぼす野乃助に染芳は慌てていた。
そこへ木曽と鶴松と普段の格好をしている小志乃と春駒が現れた。
野乃助の様子がおかしかったので心配して全員集まったのである。
鶴松は春駒が美坂野の家に送り届け、残った全員で野乃助の話を聞いた。
「それではあの与力は・・・・・」
「はい。俺と分かっていた上で騙されてくれたのです」
「それは・・・・もしお上に化け物に負けたとあれば良くても謹慎処分。もしくは・・・・」
最悪お家断絶。
「野乃助よ、ここは我に任せよ。我の口先でなんとかしようぞ」
「木曽殿?」
「任せおれ。言葉を操るのは我が得意よ。明日の朝に出る瓦版の内容を知りたい。それを見せてくれ」
版元に渡してある明日の瓦版の内容に目を通す。
「ふむ。相手の与力の名前は出てはおらぬな。だがしかし、いずれ追求されて身元がばれるやもしれぬ。それ程気が回る真面目な与力ならば全て包み隠さず話をしてしまう危険があろうな」
客だった頃のその与力の性格は野乃助がよく知っていた。
真面目であまり酒も飲まず何より野乃助によくしてくれた。
「我は今から与力の元へ向かおう。野乃助お主も来るか?」
「はい」
ついて来ようとする染芳を押し留め、木曽と野乃助は与力の住む屋敷へと向かった。
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