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鶴賀
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「木曽殿、あの与力の屋敷は御存知なのですか?」
「野乃助たちが逃げおおせた後、名前や家は聞いておる」
「そうですか」
野乃助は陰間稼業をしていた時は客と店以外では繋がろうとはしなかった。
それとは反対に店以外でも美坂野は客に連れられて花見に行ったり、飯に付き合ったりということはあったようだ。
陰間の時は名前も違った。
源氏名を使っていたし素性もばらさない。
野乃助と客の間には暗黙の了解みたいなところがあった。
他の陰間たちがどうだったのかは知らない。
ただ、野乃助は仕事と割り切って客の仕事や自分のことは一切聞かないししゃべらない。
一夜限りの夢を見せる仕事だ。
他の陰間や旦那から与力の連中も随分来ていると聞いてはいたし、自分の客にも多数いるとは聞いていたが今夜の与力があの男だったとは。
お互い運が悪い。
「ここじゃな」
でかい。
上から与えられた領の屋敷だから当然だが長屋とは大違いだ。
「訪ねることは前もってあの後伝えておる」
「そうですか、何故?」
「武士が自ら刀を落とすというのは前代未聞。武士の命じゃからな。それを自らしたということは相当の覚悟があってのことじゃろう。お上に知れたらどのような沙汰(さた)があるか。我々のせいで切腹を命じられてお家断絶などあってはならぬ」
「はい・・・・・・」
屋敷は人払いをしているようだった。
人の気配がない。
奉公人の姿は感じられず門は開いていた。
「ごめん」
野乃助と木曽は門をくぐり屋敷に入る。
奥座敷より
「蓮華王院様か」
と声が響く。
「いかにも。以前の名前ではあるが」
木曽が答えると
「どうぞ上がられるとよい」
二人で奥座敷に進むとそこには白装束を来たその与力が正座していた。
覚悟を決めているような思い詰めた顔をしていたが野乃助の顔を見てハッとした表情を浮かべた。
「そのような姿をみだりにするものではないですぞ。他の与力二人は?」
「彼(か)の者たちは酒に酔っていたから夢を見ていたのであると言い聞かせている。家に帰っているであろう」
「そちも酒に酔っていたでよかろう。夢を見ていたと」
「我は酒をあまり嗜(たしな)まぬ」
真面目そうな顔が木曽の言葉にしっかりとした受け答えをしていた。
木曽がうまく言いくるめるのを拒んだ。
「申し訳ございませぬ」
野乃助はその場で土下座をした。
「そこなる者、何故頭を下げる?」
「私は西の長屋に住む野乃助と申します。以前貴殿に何度もお目をかけてもらった身でありながらこ度(このたび)貴殿に御迷惑をおかけ申した上に、このような・・・・・」
「我はお主を知らぬ」
野乃助の言葉をさえぎり、その与力は答えた。
「え・・・・・・」
「我はお主を知らぬ」
「ですが・・・・・」
「我は野乃助という名前の者は初めてじゃ」
「私は以前陰間だった・・・・・」
「それ以上聞かぬ!!」
野乃助が陰間だった頃の源氏名を言おうとしたのを与力は大声でかき消した。
全てを知っていながらその与力は知らぬ存ぜぬを通そうとしていたのであろう。
陰間であった過去を野乃助にしゃべらせなかった。
器量の大きさと優しさに野乃助は涙がこぼれそうになった。
「与力殿、さすれば全て知らぬと申すのはお人が良過ぎまする。全ては我らの一存にて貴殿が巻き込まれてしまったこと。これなる野乃助も後悔しておりまする。貴殿に何かあってはこの野乃助も我も重い。野乃助を可哀想に思うのなら我らの話を聞いてくれまいか?」
木曽は全てを話す。
「私は何も聞かなかったことにする。夢物語を蓮華王院様が夜話(よばなし)にしゃべったとしよう」
あくまでその与力は頑固だった。
木曽は呆れた。
いくら奉行所の人間とは言え、ここまで生真面目なのは珍しい。
賄賂や悪行も少なからず横行する奉行所内の人間でこれ程品位麗しい御仁は余程の家柄の出だろうと木曽は思う。
「野乃助とやら」
与力は野乃助に優しい目を向けて語りかけた。
「以前に見知っている人間に・・・・・そなたに似ておってな。其の者は元気で幸せにしているのであろうかと思った」
「はい。きっと幸せに過ごしておりまする」
「そうか。それは良かった。私は今日化け物に遭遇してな」
「はい」
「化け物でありながら公家姿が似合う凛々しい姿だった。その姿に惚れぼれしてしまってな。刃を落としてしまったのよ。色香は毒だな。その傍らには屈強な者がおってな。いい太刀筋であった。どこの武士であろうか?あの構えと太刀筋はどこぞの流派であろう?名だたる剣豪であろう?」
「元旗本の家の者では・・・・」
「そうか。いい腕をしておる。彼(か)の者が公家を必死に守ろうとしておった。いい目をしていた」
お互いばれているのにあくまでシラを切り通そうとする会話に木曽は笑いだした。
「もうよかろう。与力殿、いや。名前で呼ばせてもらう。鶴賀(つるが)殿。あれなるは染芳という者。今は野乃助と居住を共にする者」
「そうであったか」
懐柔(かいじゅう)した鶴賀は柔らかく笑う。
「鶴賀殿、奥方たちはどうなされた?家族も全員我らの為に払われたのか?」
「我に家族はおらぬ。独り身よ。屋敷の奉公たちは帰らせた」
「なんと。かような屋敷に一人か」
「ああ。昔」
鶴賀は野乃助を見た。
「好いた者がおってな。もう今はいないがな。幸せに暮らしてるといい」
木曽はその視線に気付く。
それで野乃助をかばったか。
色と恋とはなんと難儀なものよ。
それで我らのことも否定して自分の不始末で片付けようとするか。
「鶴賀殿、その好いた者も今の現状を憂うでしょうな。そのように頑(かたく)なですと、うまくいくものもうまくいきませぬ。ここにおる野乃助と我の顔に免じて言う通りにして頂きたい。鶴賀殿がそのようではここにいる野乃助が悲しむのです」
野乃助の涙がポタリと畳に落ちた。
「なんのことかは分からぬがそれならば言う通りにしよう。町民が泣くのを黙って見過ごせぬ。野乃助とやら、泣くな。泣くようなことなど何もない」
「はい」
「鶴賀殿たちがおらなんだら、こ度(たび)の化け物をねじ伏せるのは厳しかった。鶴松と我を持ってしても強力であった。ちょうど与力殿たちが町の見回りをしていてくれて加勢してくれたおかげで助かったのじゃ」
「いや・・・・・・」
「そうだったのじゃ」
木曽は鶴賀をねじ伏せた。
「さすが江戸の町を守る奉行所よ。我らはそう話す。合わせよ」
「むむ・・・・・」
「今宵の化け物は鶴賀殿だからねじ伏せれた化け物。そうじゃなぁ、月に導かれた儚い恋の化け物だったのかもしれませぬな」
「そうだな。そうだったのかもしれぬな」
遠くを見るような目を鶴賀はした後、目を閉じた。
鶴賀は再び目を見開く。
「言う通りにしよう。我と一緒にいた与力にも同じように言い聞かせよう」
「そうしてくだされ」
木曽と野乃助は屋敷を後にする。
門から出て行く時に鶴賀が呼び止める。
「野乃助とやら」
「はい」
「達者でな。染芳と仲良う」
「はい」
手を振る鶴賀に深くお辞儀をした。
しばらく歩くと染芳がいた。
「どうした染芳殿?」
「野乃助を待っておった」
「ほほほ。心配であったか。我はもう消えるとしよう。明日の瓦版の内容を差し替えるぞよ」
木曽はそのまま闇夜に紛れるように去って行った。
野乃助と染芳が二人。
「お帰り」
「ただいま」
と二人寄り添って歩いて長屋へ帰った。
野乃助は何も語らない。
染芳も何も聞かない。
ただ二人の長屋へと手を取り合って帰った。
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