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執着
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次の日の朝。
江戸の町に騒動が起きる。
瓦版の内容を読んだ町民たちは奉行所の与力たちをも巻き込んだ怪異現象に狂乱した。
名前は出ていなかったが昨晩の与力たちの名前はすぐに判明した。
奉行所の上役たちの聴取に鶴賀たちも瓦版同様の話をしたのが噂好きの町民にすぐ知れ渡ったのである。
鶴松と元蓮華王院、木曽の助太刀をした、と。
鶴松の力は本物で鶴松を化け物たちは怖がり退散した、と。
自分たちが刃を落として負けたという話は隠されていた。
その話は瞬く間に江戸の町を駆け巡った。
美坂野の家に匿(かくま)っていた鶴松を求める声は最高潮に達していた。
鶴松の大店の前もこのままでは町民たちが暴徒と化す勢いになっている。
元々、喧嘩っ早い江戸の町民。
そろそろ頃合いだろうと野乃助と木曽は打って出た。
「今、鶴松は毎夜の見回りで怪異を鎮めている!!力を温存している為に休んでいるのだ、休ませてやらねばならぬ。いずれ怪異は収まるだろう。だがしかし、全てが取り除かれたわけではない。皆の生活もその内変わらないようになるだろう」
「蓮華王院様、瓦版の話は全部本当ですかい!?」
「蓮華王院様隠さないで教えてくれよ!!」
元蓮華王院の木曽に町民が殺到するのを奉行所の人間が守る。
「静まれい!!」
野乃助と木曽の言葉は町民の声にかき消されそうになりつつあったが奉行所の人間たち、特に鶴賀の鎮圧と木曽の気合いにより町民は平静を取り戻しつつあった。
「これなるは鶴松の加護を練り込んだ札。心配な者は求めるがよい」
隣町の最初の犠牲者の呉服問屋の若旦那が一番に買い漁るのを見て、つられるように町民たちがその札に押し寄せる。
町民たちの手にも届きやすい値段設定と、連日の怪異と鶴松の話に浮世絵師たちがそれを題材に絵を描いて売ろうとしていた矢先だったので、それを牽制する算段もあった。
鶴松に便乗して商売を始めるやつらはたくさん出て来るだろうと野乃助は睨んでいた。
それより先に先手を打ったのである。
鶴松から派生する商売も、金も全て俺らが独占する。
全ての金は千代吉姐さんの身請け代に化けるのだ。
これ以上は美坂野の財力も、千代吉姐さんの体も持たない可能性が高い。
いい頃合いだった。
野乃助はうまくいったことに安堵する。
札を死に物狂いで買い集めようとする町民たちの顔をゾッとしながら野乃助は見ていた。
まるでこっちの方が百鬼夜行だ。
どんどん飛ぶように売れる鶴松の札。
今までの怪異とさらに奉行所まで助太刀に入ったことでその話への真実味が増し、人が人を呼び、また怪異に怯える不安な心が恐慌を引き起こしたという相乗効果が功を奏した。
瓦版屋からも賄賂が野乃助たちに入る。
今までの中で一番の売上げを記録したのと独占的にネタを提供したということでその見返りでかなりの額の金が野乃助たちに渡された。
札に群がる町民たちを見ながら野乃助は「本当に恐ろしいのは人だな」と思いつつ、これじゃあ準備していた相当数の札が足りないかもしれないと、そばにいた春駒に版元へ追加の発注に走らせた。
美坂野は鶴松を家で保護している。
鶴賀も鶴松への過度の熱狂ぶりを心配してその場の人員整理をし、奉行所の許可も得て夜の見回りには同席することになったという。
江戸の町を預かる奉行所としても毎晩の怪異には頭を悩ませていたらしい。
夜の見回りを怖がる者も出ていたし、心身を喪失する者もいたというのを秘密裏に教えてくれた。
奉行所としては与力の鶴賀たちが関わって、江戸の怪異を収めているという方が体面がいいのだろう。
鶴松たちの夜の見回りの護衛やその他の手助けを、怪異と関係した鶴賀に任せた。
だが。
野乃助は邪推する。
奉行所の人間たちも結局は人間。
そのような怪異にとり殺されるのも関係するのも真っ平御免。
かと言って、江戸の町の風紀と怪異を見過ごすわけにはいかない。
だから真面目でしかも怪異に関わった鶴賀を体(てい)よく出したのだろう。
さすが役所仕事。
うまい手柄も頂戴して、手を汚すことも無く体裁を繕(つくろ)いやがったな。
野乃助は心の中でそう思いながらも隣で鼻でふふんと笑う木曽の顔を見て
「ああ、木曽殿も分かっている。これも含めてよしとする、合わせ飲むおつもりか」
と納得した。
全ては鶴松と千代吉の為なので今回のことで派生するしがらみや面倒なことはどうでもいいのだな、と気にしないことにした。
夜。
鶴松と木曽、鶴賀の三名は連れ立って江戸の町を練り歩いた。
拍子木の音が鳴り響くと町民は安堵した。
「鶴松が江戸の化け物たちを追い払ってくれている」
として安堵して眠りについた。
奉行所とお上のお達しで急遽夜の外出は全面的に禁止とされた。
吉原に関しては決まったお達しは出なかったが、客足の減少を怖れて吉原も対策として急遽夜見世の時間を早める、昼見世の時間の延長などの対応をした。
「鶴賀殿まで巻き込まれてしまいましたな」
そう言って木曽は笑いながら夜路を歩く。
「しかし、怪異が収まるのならばそれでよいのです」
「起こしているのは」
「それ以上は仰るな。なによりご覧あれ」
目の前を歩いて拍子木を真面目な顔で叩く鶴松を見て鶴賀は微笑んだ。
「かように真面目に怪異に取り組む者がおる。助けたい者たちがおる。その心意気に良いも悪いもないのでしょう。善悪で計るものではない。その心意気は我ら奉行所でも裁(さば)けますまい」
「左様(さよう)ですな」
もう起こらない怪異と分かっていつつ、それでも夜回りをする鶴松と歩を合わせて進む木曽と鶴賀であった。
その頃。
吉原仙吉楼では。
「美坂野、あんたもう来なくていいよ」
「どうして?」
「もういいよ。充分だ。あたしの為に金を使わなくていい」
ほつれた髪を直しながら千代吉は起き上がろうとするのを美坂野は手を貸した。
「鶴松の噂は吉原にも伝わっている。うまくいったんだね?」
「ああ。もう大丈夫だ」
「そうかい。よかった。もうこれで心残りもない」
「馬鹿言うねぇ。てめぇまだ死ぬには早ぇーぜ。もう少し気張れ」
「もういい」
千代吉は美坂野の汲んだ茶を拒んだ。
「その茶はまずい。あんた、茶の淹れ方がなってないね。あたしは神様に誓い立てしたんだよ。その茶は飲めない」
もしかしたら千代吉には美坂野が薬を混ぜていたのがばれていたのかもしれない。
美坂野はスクっと立ち上がった。
「だったら!!お前ぇーの誓い立てした神様とやらに言ってやらぁ!!そんな誓い立ては御破算だ!!」
「なんてこと言うんだ!!」
「お前ぇーは今度は鶴松っていう神様に誓い立てしやがれ!!鶴松の為に生きろ!!鶴松の為に自分の身を削ったんだろ!?鶴松を生き神に仕立てることを思い付いたお前が最後までちゃんと面倒見やがれ!!鶴松を見届けねぇーか!!俺と鶴松がおっ死ぬまで神様に仕立てたお前は生きろ!!」
美坂野は千代吉に強い口調で言った後、トーンを落としてまた座った。
「明日。お前を身請けする金を持参して旦那に渡す。お前は吉原を出る。話はもうついている」
「・・・・・・・・そんな金どこから」
「全部鶴松のおかげだ。お前は鶴松の加護で吉原を出られる。それを忘れんな。今回の件でお前の身請け代を稼いだ。方法は野乃助が思いついたが鶴松あってこそだ。お前は吉原抜けたら鶴松に感謝しろ。死んだら感謝も出来ねーぞ」
「余計なことしやがる」
吉原に来て何年経ったか。
吉原からもう何年も出たことのない千代吉には実感の湧かない話だった。
千代吉は美坂野の汲んだ茶を手に取るとマジマジと見つめグイッと一気に飲み干した。
「あたしは神様を今裏切った。ほんとに地獄行きな女さ。それを仕向けた美坂野。あんたも同罪さ」
千代吉の生気のなかった目に生気が宿った。
「そんなことガキの頃から知ってらぁ。地獄しか行く場所ねーよ。だがな生きてる間は鶴松のそばにいたいわな。お前もそうだろう?」
「そうだね。地獄への土産に鶴松との想い出が欲しい。どうせあたしらは鶴松と同じところへはいけないだろうしね」
二人は笑った。
ならば、生きねばならぬ。
二人の心の内に生に対する執着が同じように溢れだした。
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