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千代吉の歩み
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鶴松が目覚めると夜だった。
「目を覚ましたね」
そばに顔を寄せて覗きこむ千代吉と美坂野の顔があった。
「バカヤロウ!!なんで表に出た!!出るなと言ったじゃないか!!」
美坂野が泣きながら鶴松の体を気遣いつつ優しく抱き締めた。
「お天道様が見たかったんだ。お天道様の下で生きたい」
「鶴松、もう少し我慢すればよかったのに。もうそろそろ終わるからね。それが終わったらお天道様の下で堂々と歩ける」
鶴松は本心を言わなかった。
みんなに守られて迷惑をかけるのは嫌だということを伏せた。
「千代吉姐さん吉原から出て来たんだね」
「そうさ。鶴松あんたのおかげだよ」
「僕の?そうなの?これからはお手玉も双六もたくさん出来るね」
「そうだね。早く英気を養って元気にならないと」
「うん。今日も夜の見回りしなきゃ」
「体がそんな状態だ。休みな」
千代吉は起きようとする鶴松を止めた。
千代吉は昼間のことを決して許してはいなかった。
鶴松の動けない今夜は。
今まで以上に江戸の町を恐怖のどん底に叩き落してやると陰間、夜鷹、野乃助、染芳、春駒、小志乃、木曽すら動員して一斉に怪異を起こさせていた。
一晩中鳴り響く音や怪異の中で江戸の町は恐怖に怯えるがいい。
鶴賀を呼び寄せてそのことは伝えていた。
「奉行所は出張(でば)るんじゃないよ。これは鶴松がこんな目に逢って動けないから江戸の化け物が勢いついたと知らしめるんだ」
「分かりました。役人たちの動向は私が監視しましょう。こんなことが起きたのも我らのせいもあります」
鶴松がいなくなったらどうなるか心の臓から思い知るがいい。
今後鶴松がこんな目に合わないように徹底的にやってやる。
鶴松を絶対傷つけさせやしない。
鶴松を求める、触れられるというものではないことを知れ。
崇(あが)め奉(たてまつ)れ。
その意識を植え付けてやる。
手も触れられない存在まで鶴松を高める、誰の手も届かない高みへ。
生き神へと。
目の前で泣く美坂野と弱々しくその頬を撫でる鶴松を二人にして千代吉は表に出た。
江戸の町のあちこちから悲鳴が聞こえる。
鶴松のおかげで夜も安心だと気を抜いて町を歩いていた町民たちの悲鳴を聞きながら千代吉は高笑いをした。
「あーはははは!!さてあたしも出よう」
千代吉は夜の町を歩き出した。
向かうは江戸屋敷。
吉原を抜けたことを贔屓客たちに挨拶に行くつもりだった。
挨拶すらせずにいきなり吉原を去ったから。
花魁時代に築いた権力とコネはいずれ何かの時の為に役に立つ。
路地の暗がりに三味線を持つ白装束の女幽霊がいて千代吉の姿を見てニコっと笑顔を向けていた。
千代吉は微笑み返してまた歩みを進めた。
木陰で佇む公家の亡霊と従者の亡霊の影が月夜の中で一つになっていた。
「亡霊同士でも愛し合うものなのかい?」
と茶化すと影が慌てて離れた。表情は見えなかったが千代吉は手を振ってまた先へと進んだ。
人魂の中で青白い子供の亡霊や異形の者たちがこちらを見て笑顔で手を振って寄って来た。
「全然怖くないじゃないか。可愛らしい」
そばに来たその化け物たちの頭を撫でてお菓子を与えた。
お菓子を与えるとまた路地に消えて行った。
頭巾をかぶった僧侶の亡霊が道の真ん中に立っていた。
すれ違い様、千代吉は深くお辞儀をして手を合わせた。
その亡霊も返すように深くお辞儀をして手を合わせ錫杖をジャランと鳴らした。
そのまま千代吉は歩き続けた。
道の向こうに懐かしい姿があった。
昔禿(かむろ)だった時代にお世話になった花魁だった。
「花魁・・・・・」
こんな怪異だらけの夜だから。
こんな夢を見させてくれているんだろう。
頭に差してあるその花魁の形見の簪(かんざし)をそっと撫でた。
その花魁は笑顔だった。
「花魁・・・・・」
懐かしさで近寄ろうとすると花魁は頭を振ってだめよ、と言うような口の動きをして笑って消えた。
夜風が気持ち良かった。
また歩を進める。
お絹ちゃんがいた。
お絹ちゃんは嬉しそうに微笑んだ。
こんな月の大きい夜だから。
この世とあの世の境界が曖昧なのかもしれない。
江戸に怪異があふれたから。
こんな夢をあたしに見させてくれているのかもしれない。
「あたしは今幸せさ、お絹ちゃん」
そうつぶやくと何度もお絹ちゃんは嬉しそうに頷いた。
「お絹ちゃん、あたし行かなくちゃ」
お絹ちゃんはまた大きく笑顔で頷いた。
涙があふれた。
涙で視界がぼやけて目を拭ったらもうお絹ちゃんはいなかった。
進まねば。
前に、前に。
生きる為。
守る為。
過去を失わない為。
忘れない為。
一筋、また一筋と涙が流れるのに任せながら千代吉はその怪異だらけの夜をしっかりとした足取りで歩いた。
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