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残暑
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次の日。
江戸の町の瓦版は大々的に昨夜の怪異を報じたが、瓦版を読まなくても江戸の町民には周知の事実だった。
鶴松が夜回り出来なかったから化け物たちがまた現れた、昨日鶴松に町民が押し寄せて鶴松に危害が加えられたことも噂は流れていた。
野乃助や染芳、春駒が独占的に牛耳っていた鶴松の札はさらに売れた。
そして江戸の町にはもう一つ、町民の話題をさらう人物がいた。
千代吉である。
吉原の人気花魁千代吉が江戸の町にいたという噂も瞬く間に流れた。
「町民たちには嫌気が差す」
千代吉はしばらくの間小志乃の家にやっかいになることになっていた。
「千代吉様、仕方ありませんわ。いきなり浮世絵でしか見たことの無い美人が町に現れたら殿方も浮き足立つというもの」
「小志乃師匠、髪結いを呼んでくれないかしら?」
「はい」
「表に人がいるからそいつらに言付けしてくれるだけでいいよ」
「え?」
小志乃の家の外には刃を携帯した武士が二人いた。
小志乃は驚いて戸をまた閉めた。
「ち・千代吉様?」
「ああ、昨夜江戸屋敷の方へ行った時にね。女一人では何かと不便だろうと大名さんが便宜を働いてくれてね。警護を付けてくれてるのさ」
「はぁー」
これなら千代吉が一人で外を歩いても問題ないだろう。
吉原の花魁と一目で分かる髪型のままだったので千代吉は町民の生活に馴染む為、髪型を町人の町娘風にしようと思ったのである。
独身男性の多い江戸の町では髪結い床と呼ばれる今で言う床屋があり、そこが社交場や娯楽の場またオシャレを気にする男性たちがよく通っていたようだが女性の場合髪結いがお客の家を御用聞きで回るようなスタイルだった。
男性の髪のように月代(さかやき)を剃ってという簡単なものではなく、女性の髪型に関しては複雑化していたのと、技術が必要だった為女性が働ける数少ない専門職として人気はあった。
以前にも書いたが、花魁や舞台役者の浮世絵などに描かれる髪型を真似する者も多く、今で言えば花魁や役者の描かれた浮世絵がファッション誌みたいなものだった。
また髪型で相手の職業なども分かる具合であり、江戸時代に月代(さかやき)をしていない者は医者や学者、公卿のような者もいれば、お金がない物乞い、人相見、または修験者などである。
その時代で月代の形には微妙な変化があり、髪型のモードは一定ではなく、江戸時代も今も同じようにその当時の流行の髪型というのがあったようである。
女髪結いが千代吉の髪を結い直している間千代吉は小志乃に話かけた。
「いつまでもこちらに御厄介になるわけにはいかないからすぐ自分の住む場所を見つけないとね」
「郷里(きょうり)にはお帰りにならないんですか?」
「帰らない」
きっぱりと言い切る千代吉に不思議な気が小志乃はした。
家族もいるだろうにいいのだろうか。寂しくはないのだろうか。
「私は遊女の仕事しか出来ないしねぇ、何か仕事を探さないとね」
「千代吉様なら仕事などせずとも・・・・・言い寄る殿方はたくさんおりますでしょう」
「そうだけどね。でもそれを言うなら小志乃師匠、あんたもそうだろう。師匠と同じ理由ですよ」
愛した人がいる。
女一人でも生きていける、その術を、手に職を持っていた。
「千代吉様」
「様はいらないよ」
「では、千代吉さん。私のところでしばらく次に何をするかまで一緒に働きませんか?」
「ええ?」
「千代吉さんは吉原で仕込まれた芸事と学問があります。町民に教えていけばいいじゃないですか」
「そうねぇ」
「しばらくお手伝いして下さい」
「いいけどねえ・・・・・・どーせ鼻の下伸ばしたやつらしか来ないんだろう。。。。」
余談だが助兵衛(すけべぇ)という言葉は江戸時代でも使われていたが元々「助」には「好き」という意味があり、何かに対して熱心であったり執着したりという意味があったが今現在のように好き者、エロい人の意味に使われるのは明治時代からである。
千代吉は髪を結い直してもらって外にぶらりと出た。
警護の者が脇を固める。
二人の警護を伴ってまずは鶴松のお見舞いに向かった。
「鶴松大丈夫かい?」
「うん、骨も折れてないし擦り傷とかだけだったから。あーよかった。今夜からまた見回りする!!」
「そうかい。あたしも付き合うかねぇ。ところで美坂野、あんた舞台の練習もしないで何いちゃついてるんだい。消えな」
「うるせぇーよ!!練習なんかしなくてもこの頭ん中に全部セリフも所作も入ってらぁ!!」
「そうやってあんたは芸を磨かず落ち目になっていくんだよ。若いからまだ娘たちにキャーキャー言われているかもしれないけどね。こんなところで茶をひいてないで失せな」
美坂野を追い出して千代吉は鶴松としばらく談笑した。
「ねえ千代吉姐さん」
「なんだい?」
「奉行所の人たちに町民の人たち許してあげて、って言ったらお縄解かれる?」
「いいのかい?」
「うん。僕をこうしたくて。。。。したわけじゃないんでしょう?」
「鶴松が許すんなら私も許そうかね。いいだろう、鶴松の情状酌量ってことで奉行所にはあたしが伝えてあげよう」
「ありがとう」
鶴松と別れて千代吉は奉行所へと赴(おもむ)く。
鶴松の言葉を伝えて捕えた町民は全員町に戻された。
奉行所としてもこれ程の人数をいつまでも面倒を見られないので助かったのである。
鶴賀が千代吉の相手をする。
「鶴賀殿、そんなに面(つら)が良くて色男で堅気(かたぎ)の仕事なのに26歳になるまで独り身とはどうしたことだい?」
「千代吉殿、そういうよい出会いがなかったからですよ」
「はぁーん。あたしには失恋したように見えるけどね。過去の色恋ひきずってるようなね」
そこで差し向かいで茶を飲んでいた鶴賀がお茶をふいた。
「汚いね」
「も・申し訳ありません。急に千代吉殿が変なことを言うものですから」
「野乃助かい?あれは男も女も虜(とりこ)にするからねえ。女なら吉原一の花魁になっただろうね」
「何故野乃助殿の名前が出るのですか・・・・・」
「だってそうなんだろう?」
「誰かから何かを聞いているのですか?」
「何も聞いちゃいないよ。鶴賀殿が野乃助を見る時の目でね。あたしを誰だとお思いだい?吉原で色恋を腐る程見て来た千代吉だよ」
「おみそれ致しました」
照れる鶴賀を千代吉は笑い飛ばした。
年齢的には鶴賀が随分上なのだが千代吉は年下でありながら大名たちを手玉に取るかの如く鶴賀をいじってひとしきり楽しんだ。
「鶴賀殿、その内もっといい出会いもあるさ。男と女もそう。男と男もそう。時間が経てばいい想い出になるさ」
「そうなのでしょうか」
「そうさ。失った恋はまた新しく見つけてくればいい」
千代吉はそう言って奉行所を後にした。
野乃助と染芳の長屋を尋ねる。
長屋の住人が何事か、とぞろぞろ集まって来た。
「見世物じゃないんだけどね・・・・・」
千代吉は行く先々で集まる町民たちにげんなりしていた。
町民たちからしたら今でいうテレビに出ているようなトップアイドルが目の前にいるから集まってきゃーきゃー言うのも仕方ないことである。
「ちょいとお前さん達、ちゃんと警護しといておくれよ」
両隣の警護に千代吉は言うと、騒ぎに気付いて表に出て来た野乃助と染芳の腕を取って野乃助の家に入る。
「はぁー。めんどくさいことだよ」
「しょうがないですよ、千代吉姐さん」
「布団敷きっ放しじゃないか。あれ、布団がまだ温かい。二人で寝てたね?」
染芳が真っ赤になる。
「もう夏も終わりだっていうのに暑いことだよ。あたしは邪魔かい?帰ろうかね」
「お待ち下さい!!茶でも!!ゆっくりしていって下さい!!」
「そうかい?」
「千代吉姐さん、染芳をからかうのはやめて下さい。武家の出で、千代吉姐さんの軽口を受け流せないんですから」
「悪かったね。そんなに畏(かしこ)まらなくてもいいよ、染芳殿。あたしはただの吉原の女なんだから」
染芳の無骨さと不器用さに千代吉は呆れながら野乃助と正反対だねと心の中で思っていた。
「今日の夜からあたしも鶴松の夜回りに同行しようと思う」
「姐さんが?」
「ああ、暇だしね。それにもう終わらせよう。もういいだろう?」
「そうですね。鶴松の大店もここまで鶴松が有名になってしまうと何か鶴松にすることも出来ないでしょうし。。。。」
「それに野乃助、千代吉殿。鶴松の大店の人間はこのたびの怪異が自分たちが引き寄せた、自分たちに向かっていると怖れ慄(おのの)いている。もう鶴松は安全でしょう。鶴松に何かすると祟られると勘違いしている」
「そうかい。もう充分だね」
茶を三人で飲む。
「長い夏だったねえ。目まぐるしかった」
「そうですね」
「ああ、そうだな」
この夏起こった目まぐるしい展開をそれぞれに思った。
家がなくなった者、好いた者と抱き合った者、苦界から抜け出した者。
友を助ける為に奮闘したこと。
夏の締めくくりは鶴松なんだろう、と千代吉は夏の終わりを肌身に感じてゆっくりと団扇(うちわ)を煽いだ。
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