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別れ
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夜。
美坂野と野乃助は揉めていた。
「俺は行かない」
「どうしてだ!!」
「蓮華王院も来るんだろう!?お前も知っているだろう!!俺たちが。。。。」
「いいじゃないか!!お前だけだ、気にしているのは!!蓮華王院様は今は木曽様と名乗ってお前のことはもう過去のことと一笑されているのに!!お前だけだ!!それでいいのか!?鶴松の為にどれだけ木曽様が手助けをしたと思っている!!」
「二人共落ち着け」
鶴松から離れて野乃助と美坂野が二人で言い争いをし、染芳がなだめていると千代吉と小志乃が来た。
「美坂野、目をつぶりな」
「あ?」
「いいから早くおし!!」
「なんだってんだ・・・・・」
美坂野は千代吉に言われるがまま目をつぶると右頬に強い衝撃があった。
「てめぇ何しやがる!!」
千代吉が頬を力強く引っ叩いたと分かって美坂野は千代吉を睨む。
「美坂野、お前は自分自身のことで頭がいっぱいのようだけど木曽殿はお前のことなんかもうこれっぽっちも思っちゃいないよ。あんたがそれに固執し過ぎさ。鶴松を助けたいんならそんなしがらみも気持ちも捨てな」
美坂野は無言になる。
美坂野は負い目があるから会いたくなかったのである。
男は女よりもそういう色恋に関してはひきずるもの。
随分と木曽には貢がせてこの役者の地位も不動の物にして、木曽が仏教界から追い出されても何もせず逆に追い返して不義理をしたことを美坂野は負い目に思っていた。
野乃助、千代吉、小志乃、染芳もそれは分かっていた。
だが木曽と触れ合っていた他の者たちには分かっていた。
木曽はそれを恨んではいない。
了解しそれでよかったとすら思っている。
「美坂野、行くぞ」
野乃助に腕を引っ張られ、美坂野はいやいや連れて行かれた。
通りに出る。
しばらく歩くと木曽と護衛の鶴賀がいた。
木曽と美坂野、野乃助と鶴賀の間に流れる空気が少し張り詰めていた。
「鶴松の怪我は大丈夫か?」
「おぅ」
木曽に声をかけられ美坂野はぶすっとした顔で短く答えた。
鶴賀は野乃助をじっと見ていたが目をそらした。
染芳はそれに気付いていたが何も言わなかった。
野乃助は染芳に「さぁ、行こう」と声をかけ歩く。
染芳は過去に二人に何があったのか漠然と気付いていたが何も聞かなかった。
野乃助を信じていたからだ。
「なんだかクサクサした道中だね」
千代吉が面白くなさそうにその場の空気を読んで言い放つ。
小志乃がぎょっとした顔をして一人であたふたしていた。
この空気に小志乃も居たたまれなかったが千代吉みたいに言葉で言える程度胸がないのである。
「なんだいなんだい、こんな通夜みたいなしらけた見回りは。鶴松。景気良く拍子木叩きな」
「うん!!」
千代吉に言われて鶴松は嬉しそうに拍子木を熱心に叩いて歩く。
鶴松には全くその場の空気が分かっていなかったのである。
楽しそうに拍子木を叩きながら歩く姿に少し空気が穏やかになった。
「あんたら鶴松の為に来てくれているんだろう?だったら余計なことを考えるのをおやめ」
「そうじゃな、千代吉殿の言う通り。そして見回りは今宵で終わりにしようぞ。もう大丈夫であろう。江戸の怪異はもう去ったと我から噂を流そう。我も江戸を去る故(ゆえ)」
「江戸を去る?」
木曽の言葉に全員が足を止めた。
「いかにも。もう我の役目もないであろう。我はもう一度修行の為、全国行脚をしようと思う。明日一番で江戸を去るつもりじゃ」
笑顔で木曽は答えた。
「し・しかし。急ではないですか?」
「修行なのに準備も何もなかろう。山に籠り、祈祷をし、諸国を回りというものだから思い立ったが吉日。明日一番に出ようと思う」
小志乃が引き止めても頑として木曽はその考えを改めなかった。
「木曽殿・・・・・何か言われたのですか?」
「どういうことですかな?」
鶴賀の言葉に木曽はしらばっくれる。
「どうせ大名付きの寺社が何か木曽殿に仰ったのでしょう?もう仏教に関わりの無い木曽殿が江戸の怪異を収めるのに一役買っているのが寺社のお偉いさんたちには気に食わないのでしょう」
「それは確かにあったがそれが原因ではない。我はもう一度自分を見つめ直す為、修行に出たいのよ」
「木曽様行っちゃうの?」
鶴松が悲しそうな顔をして木曽を見る。
「そのような顔をするでない。いずれ便りも出そうぞ。鶴松、達者で幸せに暮らすがよい」
「はい」
木曽の袖を掴んで泣きそうになっている鶴松の手を取ってポンポンと木曽は優しく叩いた。
その日の夜回りは軽めに終わらせ各自が急いで家に帰り、木曽の旅立ちの為に準備を始めた。
小志乃と千代吉はしばらくの間不自由をしないようにと金子(きんす:お金)と握り飯と日持ちのする物を夜中からこしらえた。
野乃助と染芳は背負い籠と日よけの笠を家にある物で丈夫そうな物を見繕い急いで補修して準備した。
美坂野と鶴松は鶴賀と木曽と一緒にいた。
「美坂野、随分迷惑をかけたな。我はどうかしておった」
「・・・・・俺も蓮華王院様には随分可愛がってもらったのに不義理しました。すいませぬ」
美坂野は頭を畳にこすりつけた。
「よすのじゃ。全ては拙僧(せっそう)の不徳の致すところ。我も惑うておったのじゃ。のう鶴松。お主は幸せか?」
「うん!!」
「そうか。美坂野と仲ような。いずれ落ち着いたら便りを出そうぞ」
「うん、いつかまた逢えますよね!?」
「そうじゃな」
「木曽殿、江戸を出るまで役人を護衛でお付けしましょうか?」
「いや、我はもう蓮華王院の貫主でもない一般の者よ。そのような特別待遇はいらぬ」
「分かりました」
木曽は後から仕事終わりで現れた春駒に明日の瓦版に載せてもらう記事を渡して瓦版屋に走らせた。
その原案には。
我の名を持って鶴松が全ての化け物を払ったと誓う
と明言する文章が添えられていた。
江戸の有名僧侶だった木曽がそう言うなら町民たちも安心するであろう。
明朝。
まだ紫色の雲がたなびいている刻。
通りに人もいない時間に全員が通りにいた。
「木曽様、これはしばらくの間の物でございます」
風呂敷に包んだ金子と握り飯を千代吉と小志乃は渡す。
「かたじけない。ありがたく頂きまする」
染芳と野乃助からも金子と日よけの笠と背負い籠を渡した。
「染芳殿も野乃助も世話になった」
「こちらこそ。木曽様がいなければ鶴松は助かりませんでした」
「木曽殿、お元気で」
「染芳殿も野乃助も達者でな」
美坂野と鶴松に木曽は向く。
「美坂野、鶴松達者で暮らせ」
「うん!!」
「木曽様もお元気で。落ち着いたら便りを」
「分かっておる。美坂野」
「はい」
「鶴松を大事に。最期まで見届けよ」
「分かりました」
美坂野が頷くと木曽は笑った。
「では行こうぞ」
「俺には?」
春駒が泣くように言う。
「春駒よ、お前は陰間を抜けよ。夜に動くのではなくお天道様の下で働くのを模索せよ。それだけじゃ」
「・・・・・・・・はい」
木曽は背中を見せて歩き出した。
我は恋に破れはしたのかもしれないが。
嫉妬に狂って人としての誇りは捨てずに済んだわ。
これからが修行。
今回の件で祓(はら)ったのは江戸の怪異にあらず。
我の中の嫉妬から来る色鬼も祓ってくれたのよ。
我は鬼にならずに済んだ。
そう思いながら木曽は笑顔で江戸を去った。
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